第六回

 真珠郎の背後に ぶわりと熱く重い人の気配が立った。

「ぬ、何奴」
 反射的に刀の柄に手を掛ける真珠郎。

 その背に、ごつりとかたい物が押しつけられる。
「貴殿に用がある」
 ぼそりと低く降りかかる声。

「何者……拙者を誰と知っての所業であるか」
 いちおう言ってみる真珠郎の五臓六腑は バイオレンスの気配にしんしん冷たく縮んでいく。
 ルコックのスニーカーがかたかたと震度二で震える。

「江戸中央老中補佐、若年寄の金銀真珠郎であろう」

 うわマジ怖ぇ、寒波の中でつんと汗を凍らせる真珠郎は 大脳新皮質の判断力がつるつると低下。
 代わって旧皮質の奥に埋もれた闘争&逃走本能と、
 幼時から叩き込まれてパターン化された剣術能力がぐわりと芯から盛り上がる。

 裂帛、気合いとともに刀を抜き間合いを取ろうとした真珠郎の呼吸を読み、
 背後の男はさらに強くかたい物体をぐりりと押しつけた。
「動かぬ方が、得策であるぞ」

「む……短筒か。卑怯」
「いかにも」

 どっくりどっくり鳴る心臓の裏側に ひやりと突きつけられた銃口が、男の手の中で同じリズムに動いている。
 あー、心臓バクバクなのバレバレじゃん。まいったな、オレ超カッコ悪ぃかも。

 重く曇る函館の暮れ空。
 ちらり舞う雪が 恐怖で火照った額にいくつもいくつも降りかかる。
 はやくも辞世の句とかをひねり始めた真珠郎に、背後の男は笑えない気配百パーセントの声で告げた。

「では、一緒に来て貰おう」

第七回

「ねえねえ小袖、あんたのカレって若年寄なんだってー?」

 遠慮会釈ない友達の声に小袖はふわりと小さく笑う。
 スタバの窓際。ディカフェのラテにトッピングしたバニラが甘く匂う。スチームミルクのまるい湯気。

「そうなんだけど……超年上? かなりオヤジ? かもしんないのー」

 照れてうつむく小袖。鈴を張ったような瞳。白く小さな括れ顎。粋な衣紋の見越しの松に、ギャルな爪紅フレンチネイル。

「えー、でも藩属なんて超いいじゃんー、て言うか小袖かなり封建? 金子と碌、きっちり握っちゃう?」

 あははは、と笑い崩れるお染とまりんを横目で睨んで、小袖は色白の頬をぽっと染めた。

「馬鹿ね。そんなんじゃないの、カレかなりガキっちいし、かなり将来性とかナッシングだし。たまたま、親が譜代でー、就活に失敗して仕方なく若年寄なったみたいな? なんかそんな感じだしー」

「でもいいじゃん、あたしのカレなんて足軽だよ? 中間様の機嫌ですぐ約束ブッチするしー。いいなー、あたしも本丸系のオトコに乗り換えよっかなー」

 気さくで気楽な女友達のお茶引き会話に、小袖は胸の懸念をさくりと呑み込んで無理に微笑む。ぽう、と薄紅のため息が唇をかすかに引きつらせる。

 真珠郎。しょっちゅう公儀であるぞ任務であるぞと言いしなに、予定を覆して地方の藩に飛んでいってしまう年上の恋人。小袖は全然安心できない。
 思わず懐剣を突きつけて、もう、浮気じゃないのやんなっちゃう! どこぞへと行くならこの小袖もお供に連れて行ってくださいましな! さもなくば刺す。と叫びたくなる現実なのだ。
 愛いけれど、憎いお方。もう真珠郎さまったら。馬鹿馬鹿。ファックオフ!

第八回

「小袖、なにボーっとしてんのよ」

 まりんに言われて小袖は我に返る。
 いつの間にか自分の物思いに深くとらわれ、バタフライ柄の粋な半襟くつろげて、すーかすーかと大きく鼻息を出してしまっていた。
 乱れゼブラ模様の小振袖がずいんと広がってる、いやん。

「んもう、とにかく、お江戸のお役付きだってそんなにいいわけじゃないんだから……。
 先週だって約束すっぽかして、蝦夷で公務とクラブイベントがあるなんて言ってさ、それきり、十日も連絡を寄こさないのよ? ひどくない?」

「ヤバクねヤバクね? それヤバクなーい? 
 地方藩とか言って、けっこう藩妻とかいたりして。浮気っちいかも、絶対」

 お大尽の旦那衆とカラオケ止まりの縁交をしながら、常にコンパと称す御目見え会で新しい彼氏を漁っているお染がシビアなことを言った。

 どきり、と小袖は胸を高鳴らせる。ありそうなことだ。藩妻。地方妻。真珠郎さまのことですもの、あり得るっつーの。

「ちょっとそれ半端なく許せなーい?」

 笑顔で言ってみるものの、その台詞を自分に向けられたと解釈したお染がぶんぶんと手を振って、追及の手を緩めようと激しいジェスチャーをする。

「ちょ、ちょいと、小袖? あたしはただ冗談で言っただけだよ? やだ、マジで取んないでったら。
 ……でも若年寄なんつったら、モテるんでしょう、小袖が焦るのも無理からず、って感じかもねー」

 あはは、と心根の底ではさりげになにげに気遣いつつ、表面的には軽い会話で茶化す女友達をふざけてどん、と小突き、小袖はその小さな糸切り歯を唇の端に覗かせた。

第九回

「た、大事、大事であるぞ」

 袴さばきもままならず、つんのめりながら殿中廊下を駆ける松前藩江戸屋敷の大目付・取越九郎之介の手にファックス文書。
 ぴらりぴらりとジュリアナ時代の扇子のように振りかざしながら大わらわ。執務室に転がり込んだ勢いで前転する。

「ヘイ、落ちつくんだピーカブー・ボーイ。
 男が慌てるのは、ベッドの中で自分の女が見慣れぬ仕草をした時だけでいい」

 寺社奉行の固茹スペンサー左衛門がデスクから振り向き、片目をつぶってクールに呟く。

 九郎之介はしばらく前屈のままはあはあ息をつき、汗と涙をぬぐったりアキレス腱伸ばし体操などをして平静を取り戻そうとしていたが、
 やがてあかん、と叫んで、同藩出身の気心知れたスペンサー左衛門の目の前に、書類をばしんと叩きつけた。

 ちっちっちっ、と指を振って余裕かましたスペンサー左衛門は、ぎりぎり歯を剥いて睨みつける九郎之介の迫力に負けて眉をぐいんと上げ、ようやくファックス文書に目を通す。
 ちらと速読してひゅう、と口笛を吹き、真剣な顔になってまた右から左へと書面を読み直す。

「真珠郎殿が、賊の手に落ちた」

第十回

「ヘイ、これは松前藩の旗本からの隠密文書だな。
 ……密議で蝦夷に向かわれた真珠郎殿が、かどわかされて人質になっていると」

「左様」
 ようやく呼吸の整ってきた九郎之介が渋皮めいた顔のおもてを引きつらせ、苦しげにうなずく。
「賊は真珠郎殿の命をかたに開国を、自国への追随を求めてござる」

「おろしや国か」
 スペンサー左衛門の手はそこにない煙管を求めて文机の上をさまよう。
 ベイビィ、男には時に、禁煙を後悔する瞬間があるものさ。

 蝦夷地に跳梁跋扈するろしやの軍勢。
 松前藩や遠国奉行、八王子千人同心の目をかいくぐり、外モノ好きな若者をオルグしてシンパに巻き込み、じわじわと開国を迫る異国の勢力。

「キャビア野郎に、この神州で好き勝手はさせられないな」
 ぱきんと指を鳴らして、スペンサー左衛門は言った。

「主水様に知らせよう。
 大老の由仁黒着手間輔様はアルツハイマーで、まるでビネガーのかかっていないフィッシュ・アンド・チップスみたいに食えたもんじゃない。
 ……ヨシノブ様は、あの通りだしな。いいか、九郎之介。これはトップシークレットだ。
 真珠郎様奪還のために、ひとつキツいミッションが必要になる」

 は、御意に。と、もう面倒くさくなった九郎之介はテキトーに頭を下げる。

「OK。……男なら戦う時が来る、誇りを守るために命を賭けて、呑んで呑まれて呑まれて呑んで、それでも男は、酒を呑むのでしょう。
 ……拳士・明日之丞の言葉だ。君は知っていたかな」

 知らねぇよ、と九郎之介は言いたいが、微妙に馬鹿でハードボイルドオタクのスペンサー左衛門に、あえてツッこむ気力も今は湧いてこない。

 城内なのにトレンチコートでキメた寺社奉行はうきうきと、文机の上の電話を取った。

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