第十一回
く、恥辱なり。
後ろ手に細引で関節キメられた真珠郎は、魚のように上半身をのたうたせて床に転げる。
あー、オレ超ヤバい。このまんま捕らわれて打ち首? って言うか割腹とか強要されそう。本気まずい。洒落なんねぇ。死ぬんすか、オレ。ゲロりそうな気分、なんすけどー。
何なんでしょうあの賊の連中のもったり重い慣れない体臭、とか。異人かな。それにくっついて来てる和人の民の、見たことないような変なファッションとか。くそ、蝦夷地ではそんなんが流行りなのか?
マジヤベェマジヤベェと十回唱えた後、真珠郎は背筋に力を入れて重く苦しく息をつく。
オレももののふの端くれだ、何とか、ここから自力で脱出しないとな。
真珠郎が捕らわれているのはどういうわけかピンクの小部屋だ。
壁はさくら色、に少し熟れた紫の入ったような見慣れぬ色彩で、絶対に日本人のセンスではない。
奥に猫脚の華奢な洋椅子と西洋寝台、ほわりとした赤い毛氈で覆われている。
壁面にはめ込まれた丸い鏡のまわりを金色の装飾が彩り、どうやら婦女子の寝所。
頬の下にざらざらする床面は板張りで、粒の細かい土ぼこりに汚れている。
異人は家屋の中でも履物を脱がぬと聞いている。
さすればここは、やはり、野蛮な異国の民の住処なのか。
からころもエドウィン袴にマッチングおれのブルースウェードシューズを踏むな、と 辞世の句を叫びたてる真珠郎をきりきり引いて、
異人含む怪しい賊はこの部屋に強制連行、
床に投げ出してだあだあと何か言い、潮が引くように素早く出て行ってしまった。
がちりと錠のかかる音を真珠郎は背中で聞いた。バーボンのボトルでもあれば抱いているところだ。
行ったきりなら幸せになるがよい。戻る気になってもあんまり戻ってきて欲しくはない。怖いから。
せめて少しはカッコつけさせてくれ。
第十二回
恐怖を紛らわすために小声でジュリーを歌う真珠郎。
どうするどうなる。オレどうなるんだ。
どうするどうするどうする。キミならどうする。
床に倒れてパニックの、一人カラオケ大会な真珠郎を一瞬ですくませる、かちり、という物音。
錠前の回る音。
だくん、と真珠郎の心の臓がはねる。
きいいぃ、と西洋扉が軋んでゆっくり開き、床を這うおそろしく冷たい空気がつるりと真珠朗を取り巻く。
してみるとこの部屋は 人工的な暖気に暖められていたのだ。
こつん、こつんこつん、と硬い足音。
沓だ。
やはり異人か。ここは足袋でひたひた歩こうよ。蝦夷ったって日本なんだからさあ。
悔しまぎれの文句を乗せて、不自由な姿勢から懸命に振り向こうとする真珠郎の鼻腔に、嗅いだことのない不思議な香が届いた。
くんかくんか。思わず深く吸い込んでしまう。
薔薇と乳と血を渾然一如としたような、甘く遠い香りを真珠郎は呆然と感じる。
足音がぴたと止まり、次いで早足になってかつかつと真珠郎の正面に回り、ふ、と静止する。
踵の高い西洋靴。黒く滑らかに真白な足を覆っている。
すらり、と上に伸びる抗し難いフォルムの脹脛。
その足の持ち主がす、と屈んだ。
揺れる紅毛。白面。
真珠郎は口をからからに乾かして、声も出ずその面を見つめた。
第十三回
天女か。否か。
おお、と呟いて真珠郎の顔を覗きこむ浅緑の瞳。
美しい、と、真珠郎は我にあらず思った。
「わ、すっげカワイー……」と、勝手な口がそう動く。
外タレみたいな美女は、きつい意志の奥にプチ同情と奇妙な色気の気配を揺らめかせつつ、グロスのつやりと光る唇を動かした。
「あなた、サムライ」
ダー、ヤー、御意、イエース、と真珠郎は必死に言葉を発する。
「わたし、ユーリャ。あなた、見張らなければなりません」
なんですと? と目線で訊く真珠郎に異人で美人な女はうなずき、ある意味達者な日本語でさくさく言い放った。
「わたしの組織、あなたつかまえる。そして幕府を脅しますのです。
なぜなら、わたしの国、この国ほしい。領地するね。そして帝政ろしやは住民を蹂躙し君臨し栄光のほがらか王国を築くのです。ハラショー!
日本、足掛かりにはめりかを倒すね。よろしいか?」
よろしゅうないよろしゅうない、必死に言おうとする真珠郎の口を純白の掌がふわりと覆った。
「そしてあなたサムライね、わたしサムライほしい……」
スーツの衿越しに黒レースの襦袢をちらちらさせて、うふんと擦り寄ってくるユーリャの圧倒的な質量に真珠郎はじたばたする。
うわー! 懐柔されちゃうよ、小袖ごめーん!
縛られた姿勢で芋虫のように一応逃げる。
桃色の体臭がむんむん迫り来る。
真珠郎滅亡まであと三百六十五秒。
第十四回
「そのさむらいは、本当に使えるのであるか」
江戸都庁第二庁舎奥の院。
小皿にほとめく萱油、ぽうと燃え立つ油芯の灯り。揺らぐ闇夜の密議の小声、消えたあの子が気にかかる。
「ご懸念は、無用でござりまする。それがし、身を粉にして探し出した当代随一の剣士であります故」
自信満々に言って平伏する九郎之介。
その横でカッコよく脚を組むスペンサー左衛門。
「ヘイ、主水様。オレが保証する。
昨晩 勘定奉行の立会いのもとに、オレの三八口径コルト・ディテクティヴ・スペシャルと居合い試合を試してみたのさ。
……もう少しで、拙者の墓所にレスト・イン・ピースの文字が書き込まれてしまうところだった。
あの立ち居振る舞いの早さ、正確さ。見たこともない超絶の剣士だぜ」
言ってる途中で畏れ多くなったのか、やっぱりがばりと平伏する。
「主水様、かのさむらいに真珠郎殿奪還を委任するのが、拙者としてもオッケーだと思うでござる」
「そうか、そこまで申すか……」
主水は丹田に力を込めて むうと考え込む。
真珠郎の誘拐。松前藩を通じて届けられた、おろしや国からの脅迫状。公にしてはならぬ。
ましてや、ヨシノブさまを煩わせるなどは。
秘密裏に、真珠郎を助け出し、おろしやの賊をいさめて事を平常に収めねばならぬ。
大目付の九郎之介が、その広くきく顔を生かして探し出してきた、無双の剣士。
吉川の候のもとを脱藩して武者修行、天下に聞こえる剣法で、諸国を経巡る浪人の、云わばフリーでインディーズ、追うは八兵衛団子がうまい、カリスマ的人気を誇る流浪の剣士を使ってみよう、そうしよう。
「して」
主水は 平伏したまま痺れた足をぽりぽり掻いている二人に訊く。
「いかなる由縁で、その者はひらがなざむらいと呼ばれているのであるか」
それは……と、面を上げた大目付と寺社奉行。どっちが云うよ? じゃんけんぽん。負けた九郎之介がしぶしぶ言葉を放つ。
「ひらがなより他、喋れぬ者であるからに御座りまする」
第十五回
「ちょいとちょいと俥屋さぁん! もっとスピード出ないわけぇ? さっきから少しも進んでないじゃないのよ」
小袖は苛立ちをあらわに運転手に叫ぶ。
常磐大路の大渋滞。
きゅうきゅうに詰めた俥と大型荷車が、じり、と進んでは止まり、つうつうと駆けてはストップし、ぱぱあと喇叭を吹き鳴らしながら停滞している。
「こいつぁ無理でげすよ、お嬢さん。ほれ、レヂオもそう言ってる」
J‐WAVEの交通情報が、三里の渋滞をお知らせしていた。旅姿の小袖はじたじたと地団太を踏む。
もう。こうしている間にも真珠郎様が、蝦夷地で不埒なことをしているかもしれないっていうのに。
真珠郎を追って旅に出る、と決めたのは昨晩だ。いてもたってもいられない。
江戸城に問い合わせても、庁舎の受付女中がアポはありますか? などと能面笑顔で切り返すばかり。誰も小袖に真珠郎の行方を教えてくれない。
旅立つ前に貰ったメールだけが頼り。
蝦夷地の、クラブイベントの関係者にねじこんで所在、突き止めてやるんだから。
「お嬢様あ、こったら無茶やめてくだされよう」
ヴィトンのトランクに詰め込んだ大荷物を 無理やり持たされた丁稚の伍空が泣きべそ気味にぼやく。
因果を含めて、無理やり同行させたのだ。
小袖の家は老舗の種苗問屋だ。
父親と番頭の目をかすめて、ちょっと頭のファンキーな伍空を連れ出すのは容易なことではなかった。
しかし荷物持ち、って言うか用心棒って言うかパシリ?
ギャルの一人旅はさすがに危険だ。
「オラもう帰りてぇよう」
「ほらなぁ、お嬢さん。どだい、俥で蝦夷まで行こうってほうが無茶なんで」
小袖はぷちんとキレてヘルツの高い声で喚く。
「うっるさいわね! 何でもいいからとっとと進みなさいよぉ。
伍空、あんたごたごた言ってるとあたしのパンツを漁ってた証拠の写メール、ネットに載せてばらまくわよ?」
べそべそ言ってる伍空ときんきんいきり立つ小袖を乗せて、俥はうねうねと抜け道を探して車軸を傾ける。
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