第十六回
大哉主水は腹の中で、ぬう、と唸った。
九郎之介に導かれ、すい、と静かな歩みで道場に踏み入ったそのさむらいの、立ち居姿の隙の無さにまずは感じ入ったのだ。
『できる……』
多くの武芸者を見てきた主水、瞬時の気配でそうと察する。
丈六尺の美丈夫であった。
すらりと細身に見えたれど、渾身漲る練磨の身体、ざらりと零るる長髪を、きんと高所に結いたれば、じねんに張りつむ顔色が、白く鋭く人を射る。眉目きりりと整いて、紅き唇頑是無し。
まこと、お女中がばたばた卒倒しそうな美剣士である。
「貴公が、その……」
年甲斐も無く顔を赤らめてへどもどする主水の目前で 美青年はす、と一礼した。
ふわり、と笑む。人を惹きこむ童子のような和やかさ円やかさ。
朱唇を割って、妙なる声。
「ぼくどらえもんです」
真空。
耳がつーんとして脳の止まった主水は鼻の頭をかりかり掻いた。
「なんと、仰せた?」
「ぼく、どらえもんです」
名乗ったのですよ、と、横から九郎之介が囁く。
『申し上げたでしょう。この者、諸国を巡る流浪の剣士、墨銅鑼衛門にあります故』
「ああ、ああ。墨殿でござったか。この度は、密議に応じその御身危機にさらしたればこそ、この殿中によくぞ……」
何言ってんだか自分でもよくわかんなくなった主水は礼をする。
「せっしゃどらえもん、ばくふのためにみをなげうつしょぞんでござる。
わかどしよりさまのききゅうのそんぼうにありたれば、なにとぞなにとぞそれがしのけんのさえ、おつかいいただきたくおもいさぶらへば」
黙ってその台詞を聞いていた主水、小声で九郎之介に耳打ちする。
『なんというか、その……。痴れものに見えるな?』
はっ、と息を吐いて礼した九郎之介、
『そこが、その、難点と申しあげられますか……』
ひそひそ話に加わったスペンサー左衛門、こほんと咳払いして仕入れたばかりの情報を小声で披露。
『腕に間違いはありませぬのさ、ビッグ。
ただ、彼の者幼少時に戦乱に打ち混じりて、脳のウェルニッケ野とブローカ野と申す部位に矢じりを打ち込まれて一命取りとめ、
以来理解に難はあらねども、御仁が言葉を発する時、ひらがな以外は用を為さなくなったとか』
「ううむ、そうか……」
説明聞いてもてんでわからない主水は困惑フェイス。
「せっしゃのけん、つこうていただけますかな」
やっぱりあほにしか聞こえない台詞の銅鑼衛門の、凛とした笑みの冴えに押されて、主水は思わず
「いいともいいとも! いいともろー!」
と、ひらがなで叫んでしまっていた。
第十七回
「あれはなに?」
街道を全力で突っ走る俥の窓から 上半身をハコ乗りで突き出した小袖が、誰に言うともなく呟く。
えんえん広がる田んぼと畑。ワォ田舎!一本やりの地平の向こう、かすかに見える村里や町から、風に乗って太い声が流れてくるのだ。
イチ・ニ・サン・ダーッ!
イチ・ニ・サン・ダーッ!
大軍勢の大合唱に聞こえる。
小袖は耳をすまし、俥の中に身を引き込むと運転手に尋ねた。
「あの掛け声はいったいなあに?」
「ああ、ここは水戸藩ですからねえ」
戸惑うこともなくくいいいん、と道なりにハンドルをきる俥屋。
「あれが世に聞く、王政復古の大号令、ってやつですさぁ」
まあ、あれが。と、テレビジョンで夕餉時にしかニュースを見たことのない小袖もうなずく。
たしかに世の中は、ご政道は変わろうとしているのだわ。
「ねえ、帰りましょうよお、お嬢様あ」
まだ鼻水たらしている伍空を軽くぶん殴り、小袖は俥のシートに身を沈めた。
乱世よ、真珠郎様。
この小袖が、貴公を追って駆けつけたとしても、あまりに乱心、無体、女子の本分を越えた所業とは思わないでくださいませね。
第十八回
「最近、小袖見てなくなくね?」
「なくなくねじゃ違うんじゃなくね?」
「じゃあ、なくなくなくね?」
何弁だか何語だかわからない言葉を器用に操りながら、お染とまりんはスタバのテラスで煙管をふかす。
退屈だ。
いいオトコも引っかからないし、懐中の金子も少ない。
泰平の世の町娘暮らしも、畢竟あきちゃった。
なんか面白いこと、ないかな。
「ちょいとお!」
「な、なによ。いきなり」
「あの人見てぇ!」
目抜き街道道行の、善男善女に打ち混じり、一際すらりと水際立った、良き男振りの若侍。
腰に帯たる二本差し、仙台袴にファイヤーパターン、きりり結いたる束髪の、碧煌めくロン毛の色香。
羽織はエトロかデラクアか、ミラノブランドさり気なし。
艶めく眦落日睨み、凛と黄昏サラウンド。
「うぎゃー! チョかっきぃー!」
「イケすぎだっつの、まじでまじで。あたし追っ駆ける!」
「ずるいっての、あたしも、あたしも供に道行き所望ー!」
裳裾を乱してトールのカップを倒して道に駆け出すお染とまりん。
お武家様、お待ちくださいましなー!
喉と鼻に引っ掛かるギャル声音が大路に二重奏でこだまする。
第十九回
真珠郎は やにさがっていた。
「ハイ、あ〜ん」
「うひひひ、あ〜ん」
美しきユーリャに、蕎麦粉のパテに乗せたキャビアを口に入れて貰い、泰然たる余裕ブチかましてウォッカの杯を呷る。
極楽極楽。男子の本懐。
ユーリャはベッドの隣に寝そべって、下着だかフォーマルだかわからないややこしい服を着て静やかに笑っている。
実際問題美しいし色っぽい。あー、はっぴぃ、はっぴぃ。
「真珠郎さまン」
劇画風に言われて真珠郎はますますにやける。
「そのブリニ、美味しいか」
「う〜ん、超オイチイ〜」
ほほ、と笑ったユーリャがピンクのシーツの上で身をくねらせる。
「そうしたらば、真珠郎サマはもうワタシの言いなりネ」
「……さはさりたれど、なんでかナ? ブリニ食べるとボクはもっとキミのとりこなの?」
うははは、と赤い笑みを隠そうともしないユーリャがベッドの上で仰け反って呵呵大笑。
「あっはっはっは。今のブリニ、ろしやの科学者がつくったナノマシン入ってたヨ」
涙まで流して笑っているユーリャを真珠郎は呆然と見つめる。
ナノマシン。微小極細先端技術機械。ハイテクからくり。が、なんですと?
「ゆーりゃ、な、何と申した?」
「だからぁ、ナノマシン。
ブリニに入ってたマイクロカプセルの中の兵器が、真珠郎サマの胃壁をすでに突破して血中に入ってそこで特殊なセルを量産しながら、脳神経に向かってずいずい進んでるところネ」
わかんない。でも、かなりヤバイ。
「そ、そ、そうするとボクはどうなっちゃうのかナ?」
「あはは、ワタシの可愛いワンちゃんになるよ」
びびって固まる真珠郎をベッドに残し、ユーリャはすらりと床に降り立った。
サイドテーブルの上のバッグから携帯を取り出し、ぴちんと赤い爪でフラップを開く。
第二十回
ユーリャは ぴ、とひとつボタンを押した。
緊張に痺れていた真珠郎の全身がとつぜんラクになる。
だらりと寝そべってあくび一発。のんびり尻を掻く。
あ、うん。どうでもいいじゃん。ナノマシンとかが別にどうだって。
ごにゃごにゃに崩れた姿を面白そうに眺めてユーリャ、一層濃く赤くはははと笑い仰ぐ。
「ふふ、即座核への信号を切ると人間はいきなりやる気ナッシングになるね」
また、ぴ、とキーを押す。
真珠郎はむずむずして焦りと憤りにとらわれ、ばしんと身を起こしてぐっとファイティングポーズを取る。
ぬぬぬ、拙者こんなことをしていてはいかん。一大事ぞ。闘わねば。
千里を駆けて槍とか振り回してえーと、何でかは知らねどとにかくファイトファイトぉヘイヘイヘイ。上腕の筋肉をびくびく動かす。
ユーリャ大爆笑。
「おお、効いてる効いてるネ。無髄神経系のA系列からドーパミンとノルアドレナリン、どくどく出ているヨ。
それでは、これはどうかしら」
キーを押す。
真珠郎の判断能力が真っ白になった。
んー、わかんなーい。ぼくちゃん何もわかんない可哀想なコなのね、どうちまちょ
、ママー、たしゅけてー……。
いじけて毛布の端を噛みだした真珠郎を甘く残忍な緑の目で眺め、ユーリャは唇だけで笑みを作った。
「ハーイ、真珠郎、て言うかパールたん。……ナノマシンが大脳の隅々まで行き届いて信号出してくれているのネ。
頭頂葉の長期記憶がぶつぶつに切れて、海馬の短期記憶だけで自分の人生を判断しなきゃいけないなんて、とてもとても不安ですネ。
……ママが、ぜんぶ教えてあげるから、パールたんはママの言うとおりにしていたらよいのです……」
ぼんやり、薄くやるせない気分でユーリャの白く広い胸に抱えられ、真珠郎はばぶばぶと赤ちゃん化。
大脳皮質全体に潜り込んだナノマシンのセルが、人間として必要不可欠なアイデンティティをあっさりもぎとっていく。
うーん、ユーリャままー。ボクたん判断できないから何でも言うこときいちゃうの。
ほほほほ、と笑いのめすユーリャの声をうっすらと、耳の奥に感じながら、
真珠郎は心のまったく別の部分がきるきると起動する音を聴いていた。
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