第三十六回
それは、舞台の上で起こった。
スポ根歌舞伎「義経千本ノック」。
ロングラン公演を続ける人気の演目である。
今日も今日とて歌舞伎座の、桟敷埋めたる善男善女。当代一の二枚目役者、浅野忠信演ずるは、隈取鮮やか狐忠信。唸る魔球はハリケーン、拙者はサムライジャイアンツ。
折りしもシーンは四の切、予告ホームランのポーズをとった義経の眼前、ぐわしと白球握った狐忠信が、宙吊りでごごごごと天高く上昇せんとする場面。
三階席のエコノミーシートから、いよっ、浅野屋! 日本一! の掛け声が乱れ飛ぶ。幕の内弁当も乱れ飛ぶ。
その時。
ざ、と花道を駆け抜ける黒装束の一団があった。
下手から上手から、同じく異形の輩が手に手に物騒な道具を携え現われ、たっ、と客席に役者に銃口を向ける。
AK47、いわゆるカラシニコフ。
世界一メジャーな、ろしあ由来の突撃銃である。
新たな演出か、あるいはお茶目な黒子のゲリラライブか、と判断しかねてにやにや笑う観衆は、があんと一発威嚇射撃を受けてしんと黙り込む。
「この劇場は占拠した」
怪しき訛りのある声音、覆面の下からずんと歌舞伎座を支配する。
「我々は、寒い国からやってきた革命的反動的過激的組織、赤いきつね団だ」
ば、とマスクを取る首領の剛面は、どうにも白系おろしあ人。
ばばばば、と続けて面をさらす目立ちたがりな逆賊たちは、国御魂を捨ててろしあに追随するノリノリな日本人。
ゆーりゃ属するラジカル集団の一派、ついに江戸に攻めのぼり、歌舞伎座占拠の暴虐に打ち出でたのであった。
ひいいいい、と声にならない透明な悲鳴、客席を激しく震撼させる。
その上空では、忘れ去られた狐忠信が、宙吊りのまま為すすべもなくくるくる回転していた。
第三十七回
船の舳先でタイタニックごっこをする小袖。
伍空は船着場のスナックランドで購入したトドの串焼きを食べている。うまうま。
「ねえ、帰りましょうよお嬢様あ」
懲りずに言う台詞をこれも小袖無視して、スペクタクルな愛のドラマを脳内展開させている。
真珠郎様、よもや浮気とか悪所通いとか出会い系サイトで知り合った人妻と酸っぱい経験とか、しておられませぬわね?
ススキノの太夫とねんごろになっていたらば別れろ切れろと芸者の首をぽんと刎ねてやりますわ、おほほほほ。
目の前に広がる大海原。船首を分けて、藍色の海が逆巻き泡立ち光るバブルとなって後方に抜けていく。
午後の重い陽光吸い込む津軽海峡冬景色。
トド焼き食べ終わった伍空がおもむろに小袖の背後に近づき、タイタニックごっこを完成させようと腕伸ばして目論むが、すばやく肘返し打ちの返礼くらって引っくり返る。
フェリーの開けた甲板では、乗客がそれぞれに潮風を楽しんで一句詠んだり、舞を舞ったり、海賊ごっこをしたり、妻を海に突き落として完全犯罪を企んだり、ローレライの歌に幻惑されて自ら海に飛び込んだりしている。平和な船旅の風景。
群青のきらめきを眼下に見て、小袖は宇宙のようだわ、と思う。
思わず詩心盛り上がり、どこかで聞いた歌詞そのままの歌を、心赴くままにつくり始める。ステキだな☆って、思いまして。
『海を駆ける少女
愛は輝くお舟
宇宙の海は俺の海?
俺を育てた親父の海よ』
そろそろ、この作者も著作権法違反で逮捕拘留留置三年罰金三百万円以下一歩手前かもしれないわね、と冷静な解説をご都合主義的に発言しつつ、遊山を楽しむ旅人がデッキを行き過ぎる。
第三十八回
占拠を受けた歌舞伎座の民は 命凍えるほどに怯えきっていた。
舞台から花道から、慈悲のない視線を降らす黒装束の武装軍団。
手もとには殺傷能力かぎりなく秘めたカラシニコフの死の銃口。
「あーれー」
桟敷席で、お忍びの観覧を楽しんでいたどこかの姫が失神した。
かよわきレディとシルバーシート御用達の人民は、かくの如き緊張には耐えられない。
姫に先導されて、ばたばたとお年寄りやちびっ子が気絶する。
トゥーマッチバイオレントな観客席。
「静かにしろ!」
苛立ったテロリストが音声荒らげたその時。
きぃん、と一条の矢の軌跡。
悪の輩の頭目の、その黒頭巾切り裂いて劇場の松の背景に突っ立つ。
クリスマス・オーナメントを下げた矢じりがびりびり振動す。
「な、何者だ!」
泡を食って叫ぶテロリストをなぶるが如く、四方八方、正しくは十六方向から深く、激甚に、義憤に切り立つ声が飛ぶ。
「我を、誰かと人は呼ぶか……」
「許せぬ蛮行。日ノ本の国へのもだしがたき所業」
「ひとつ、人の世の中って本当にサンタクロースっているんですか?」
「ふたつ、ふるさと後にして花のお江戸の八百屋町」
「みっつ、三日月はげがある」
「よっつ、ヨのつくその名前」
「いつつ、いつでも苦しゅうない」
十六まで続くが馬鹿らしいので割愛する。
「ヨシノブ戦隊・ショーグンジャー!」
音は聞こえど姿は見えず、名乗る高声ぴたりと揃い、囚われの観衆どおんと歓喜に震撼す。
戸惑いあらわに突撃銃振り回すテロリスト、その手もとにかかかかと矢が射掛けられる。取り落とす武器。急所に矢尻受けてのめる逆賊たち。
ほんの一時で形勢は逆転した。
おたおたと分の悪い丸腰な悪党たちと、オールスタンディングでサポる観客たち。
ぱきん、となぜかスポットライトに照らされて、ざんと飛び出でたるヨシノブズ、てんでに舞台に飛び乗って、ざきざきとみね討ちに赤いきつね団を成敗。十六人の美事な連携。
血煙こそ上がらぬものの痛快愉快なスペクタクルに、観客やんやの大喝采。ヨシノブ・コールが鳴り響く。
上空では忘れ去られた狐忠信がくるくる回転していた。
第三十九回
ヨシノブズ・暴走! の早文は、すでに殿中に届けられていた。
ぐぐぐと唸って頭抱える主水とスペンサー左衛門。
ヨシノブズ・天晴れ! の瓦版は、すでに城下に打ち撒かれている。
さんざめく民衆がほこほこに高揚してクローンの噂を広めまくる今日。
城中の懸念と、城下の高揚は、天と地ほどの温度差があった。
今しもええじゃないか踊りのレイヴが始まりそうな民の熱気。
なんとか穏便に「なかったこと」にしたい政府首脳陣。
「十六人のクローンたちは。いやさ、本物のヨシノブ様は何処に」
慌てふためく主水のもとに、またもとんでもないニュースが届けられる。
「ヨシノブ戦隊・ショーグンジャー、蝦夷の夷敵の本拠地攻め破らんと、意気揚々と北上中!」
号外の瓦版をぐしゃりと握りしめ、主水はがくりと膝をつく。
く、将軍家のシークレットが、勝手に大活躍。
自意識なんか持たせるんじゃなかった。
我が国の臣民および無産階級の皆さんなどは、何も考えずにいてくれたほうが為政がラクなのだ。
そして、トップに置かれる人間も、官僚のかつぐお神輿に乗せられるがままの無自覚・無思想な、ただのアイドルタレントであるほうが国をまとめやすいのだ。
はからずも日本式無難上等まつりごとシステムの本体を露呈する主水、その権威失われたことを無意識の底に重く感じ、一気に脱力。
一気に三十年ほど老けた。しわしわと無力に巻かれしなび行く。
第四十回
ここで突然ロラン・バルトが登場して語り始める。
「わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、《いかにもこの都市は中心を持っている。しかし、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる。(中略)この円の低い頂点、不可視性の可視的な形、これは神聖なる《無》をかくしている」
(『表徴の帝国』1970 ロラン・バルト著 宋左近訳 引用はちくま学芸文庫p054より)
皺っぽくしなびてうつむく主水の姿を眼下に見て、神のような位置に巨大に現れて語りのめすバルト(仮)。この時には小説内時間は止まっている。ある種の限界が来たのだ。
バルト続ける。
「つまり、東京のみならずこの帝国、私の脳内イメージの日本、テクストとしての日本の中心には空虚がある。つい中心を求める、神やイデアや正義や論拠といった堂々たる中心がないと落ち着かない、そんな西洋では想像もつかない日本の存在の在り方。無であることをオッケーにしてとりあえず見ないようにして進んでいくこの根源的不在の中央を持つ表徴の帝国。素晴らしきかな。天晴れなり日本。わかんないから格好いい。中央を欠いた文化形態。これはまるで中身のエビがずるんと抜け出してしまったテンプラの衣のようである」
言い募るバルト、背後から遠藤ミチロウ(仮)の刃に一閃され声もなく倒れる。
ミチロウ代わって神の座のマイクを取り、貫禄のパンク野郎の重々しさを持って叫び放つ。
「テンプラ! からっぽ! いいか、テンプラの空っぽさ加減を語るにはオレに一日の長がある。こんなふらんす男の言うことに負けるな! 何が空虚だ。日本の中心には、西欧野郎の目には見えない充填した濃い無があるはずだ! 空しくなるな、西洋式の眼に毒されるな! 見るんだ! なぜならそれは存在する無なんだから」
ミチロウけっこう真珠郎と同じような極限理屈で言葉を吐き、文芸パンクとしてのもどかしさをシャウトに乗せて「渚のテンプラ・ロック」を詠唱したるのちに薄々と霞んで消え行く。
まるで物語の様相をなくしたこの話はここが拡散の臨界点。すでに誰もついてきていない破綻の極北平身低頭。
小学生の妄想レベルのストーリー限界まで膨らみ、以降ようやく着地点に向けて急激に収縮していく。
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