第二十六回

 るる、るんるんるん。
 ボディショップのバスソルトが匂う湯殿に、小袖の鼻歌がぼわんと反響する。

 かしましは烏帽子に似合う、蒲公英はお昼寝枕、明石屋のアーチを抜けて、歩いていきましょう。私は江戸の子です♪

「もう、お嬢様ったらあ。いつまで風呂入ってるんですかあ。オラ、早く帰りてえよう」

 外でぎゃんぎゃん喚いている伍空に、小袖はきっつい声を飛ばす。
「うるさいわよっ、伍空。あんたはお供でこんなスイートの端っこに泊まれるんだから、せいぜい感謝してあたしの旅装束にブラシでも掛けときなさいよっ。
 ……お風呂覗いたりしたら、承知しないからねっ」

 言われるまでもなく 駄々こねながらそおっとバスルームの扉に手を掛けていた伍空の頭に、湯桶ががつんと飛んでくる。
 痛い痛いと泣きながら遠ざかって行く丁稚の気配を、主従関係丸出しの小袖はクールに聞き流し、ひとり物思いにちゃぽんと沈む。

 ええ、あたくしも江戸のレディ。気位は高うござんすよ。
 真珠郎様、もしや蝦夷地で浮気の証拠をつかんだ時には、その時は……。

 小袖のたおやかな腕から、軽石がびゅうと飛んでバスの鏡に激突する。
 ぱりん、と蜘蛛の巣を描く気の毒なミラー。

 ふふ、と小袖笑って暖かい湯に身を沈める。
 こう見えても、腕に覚えはありますのよ、真珠郎様。
 女子の心意気、捨て置くような男子では許しませぬ。

 ふふん、と白き張りある若い女体を揺らし、バスジェルを泡立て始める旅娘。
 今日のお夕餉なにかしら。ルームサービスで取っとくように伍空に言ったけど、あいつアホだから間違えてるかも。
 納豆フルコース、なんかじゃなくて、ポーク・シュニッツェルが食べたいんだけどな。

第二十八回

 泰平の世を、近ごろ騒がす謎の義賊。

 赤本黄本、浮世絵草子のみならず、音源画像のディスクを商いて財をなしたる蔦屋様の、その大蔵が襲われて 大量のエロビが盗まれたのは極々昨今のこと。
 町屋長屋に借り住まう、恵まれない町衆の若人に その色気あるビデオはばら撒かれた。
「眼福! こいつぁ夢奴殿の巨乳シリーズ“真説浮気娘沙汰顛末(うわきぎゃるほんきヤっちゃいました)”じゃねぇかい!」
「おうっ、オレんところぁ淫凛太夫の“覗唐栗狼藉岡蒸気(のぞきからくりちかんでんしゃ)”だ!」
 モテない寂しい町人大喜び。鼠小僧ライクな盗人の粋なはからい称えて、その日は江戸中の居酒屋でイッキが絶えなかったという。

 かと思えば、時を同じく紀伊国屋文左衛門の豪商問屋が襲われて。
「きゃ、空から蜜柑と、よん殿の写真集が降ってきた!」
「あーれー、あちきの御前にベストセラーがぁ。“鍼医・ぽったあ”の新作と“忠臣蔵慟哭愛之沙汰(せかいのちゅうしんであいをさけぶ)”だわあ。それから蜜柑」
 あるいは、
「あんれまあ将軍様御用達の高級食材がなじょしてオラの庭に。こらぁ、“ほあぐら”だべ。蜜柑もあるでよ」
「おかみさん! こげに、ポロ葱とアーティチョークが降って参りましたぁ! そして蜜柑」

 お高い食料と流行の絵巻物が、雪のように無尽に町に積もる。
 謎の義賊。エロビや本や食材の窃盗を民衆に還元する、よくわからないシステムの盗人団体。

 目撃者証言。
「はあ、たしか十何人はいましたっけ。皆同じような背格好の、出自の宜しそうな旦那様で。
 ばばんばばんばん、ばばんばばんばん、って変なテーマソング合唱しながら、屋根から屋根をぴゅうぴゅう伝い飛んでたっすね。
 抱えた荷物で、もしや盗賊と怪しんだだけで」
「ええ、あたくし見ました。蔦屋様のお屋敷から、連携プレーで次々出てくる賊を。
 ばばんばばんばん、なぞと謡いつつ、盗んだ荷を渡し連ねておりましたわ。
 ずいぶん、身なりと男ぶりの良いお人たちで、あたくしぼんやり見惚れてしまいましたけれど」

 御政道が、乱れている。
 いちおう奉行のスペンサー左衛門、苦く呟いてトレンチコートの襟を立て、成果の少ない聞き込みを続ける。

第二十九回

「パールたん、さあ踊るのです」

 そう聞こえた瞬間に手足が陽気なリズムを取り始めている。
 猫じゃ猫じゃ。とおっしゃいますが、あ、猫が眼鏡でコスプレでアニメイトの袋に同人誌詰めて来るものか。あ、おっちょこちょいの、ちょいちょい。

 おーほほほほ。ユーリャが引っくり返って馬鹿ウケしている声がぼんやり聴覚野に届く。
 真珠郎ほぼ無自覚無意識ロボ状態。

「もっと踊るのです。さあコサックダンスよ」

 アイダアイダアイダ、アイダアイダアイダ。
 真珠郎、素直に腕組んで腰落としてぱっぱか両脚振り上げて舞う。
 ナターシャ笑顔、イワン馬鹿顔、すーきすきすーき、好き好きビックリハウス。赤の広場の人気者です。

 うほほほほ、笑い崩れて失禁五秒前のユーリャを、和装でキメた熊系大男のろしあ人、通称「草履のミハイル」が諌める。
「いい加減にしろ、ユーリャ。この男を篭絡してナノマシンを喰わせろとは頼んだが、お前のおもちゃにしてよいとは言っていない」

「だって、面白いのですもの」
 さあ次は馬賊のダンスよ、言われて真珠郎は両手に二本ずつスプーンを持ち、かちかち打ち鳴らしながら「ヨーグルトを讃える踊り」を披露し始める。十五拍子のグルーヴ感。

「お前がこの男をうまく操れるようになったのはわかった。それでどうなのだ。ヨシノブ公の秘密を、すべて喋らせることはできたのか」

 き、と突然厳しい目つきになったユーリャは携帯の電源ボタンをさくりと押してふんとため息をつく。

 踊らされるがままだった真珠郎、不意に指示が解けてくにゃんと体を揺らめかし、ユーリャの部屋の桃色ベッドに突っ伏してしまう。電源抜かれた家電状態。

「それはね、ミハイル、あんたが訊きだすことよ。私、知らないネ」


 第二十九回

 急にぷんぷん機嫌損ねるユーリャの様子を見て取って、ミハイルは首をひねる。
 おかしい。ここまで縦横にこのさむらいを操りつつ、肝心の尋問はまるで進行していないのか。

「こいつ、きっとね、深い催眠暗示のブロックをかけられているよ」
 いまいましい口調のユーリャ。

 まるまる操り状態で情報を聞き出していても、ことトピックがヨシノブ公のことに少しでも触れるたび、真珠郎はへやんと太平楽な笑顔になって「よろしいんじゃないでしょうか」と繰り返すばかり。
 ポリティカリーな話題はすべて「よろしいんじゃないでしょうか」。答えない。
 あちこち脳をいじくって神経生理学的な拷問をも加えてみたが、真珠郎苦しみながらも一切吐かない。吐露しない。
 どこまでもどこまでも足元なく墜落する感覚を巻き起こす脳幹の神経麻痺すら使ってみたが、どんな剛の者でも悲鳴をあげるその蹂躙に、真珠郎泣きながら虚空をつかみながらも笑って笑って
「よ……よ……よろしいんじゃないでしょうかああっ、ああー!」屈しない。

「後催眠暗示か」
 ミハイルが冷たく呟き、ユーリャの手からナノテク携帯を受け取る。
「逆暗示をかけて、そのブロックを解くしかないな。さらにバルビツールを注射して、自白を促そう。さすれば、ひとたまりもあるまい」

 ベッドに崩折れてよだれ垂らしてアホ状態の真珠郎、無意識の底でぼやりと思う。
 バーカ。何が催眠だ自白だ。甘いんだよ。ニッポンジンに対する認識が激甘だっつの。

 もちろん声にはならない台詞が、真珠郎本人の自我にすら聞こえないところでがんがん鳴り響いている。

 オレは催眠暗示なんかかけられていない。幕府そんなにセコくない。じゃあ何だとお尋ねか。忠義心、だよ。
 いいかい、白人のネエチャンとオッサン。
 日本人は脳だけじゃねえ、胸のど真ん中、みぞおち、太陽神経叢ってところでものを感じたり信じたりする人種なんだ。
 頭じゃねえ、ハートだよ。ここで大事に抱えてるモノは、言語化すらされねえんだっつーの。
 ロゴスで分断されない、日本人っていう一体感からじわじわダウンロードされてくる感覚だっつの。
 信念、道義、義侠心なんだよ。それのない白人連中には、日本人がどうして義のために腹を切れるのかわからねえだろ。
 理屈じゃわかんねっての。バーカバーカ。
 これが大和魂ってもんだ。


第三十回

 昏き道行き、山里に。二千の大隊、小径踏む。
 暮れ六つの鐘を聞き、そろそろ宿場が欲しいぞ欲しい。
 それでも歩みは勇猛に、御覧パレードが往くよ。

 ざざっ、と、叢を低く足音が横切る。

「ぬ」
 銅鑼衛門、颯と風起こるように身を翻し、異音に向かってずさりと足一歩踏み出す。
「なにものか」

 ざざ、ざざ、と丈高き野を揺らしてじりじりと、詰め寄る悪意の抜刀部隊。かあと烏鳴く、薄蒼き夜闇。

 後陣、まずは佐如介がふ、と息を吐きざま大刀抜き放ち、続いて同心、ちょいビビりながらもバタフライナイフを腰だめに構える。
 パレード参加希望者ご出来! とはまるで違う異様な雰囲気に、あーれーとさざめいて固まるお女子が半数、ニヤリ不敵に笑んで懐剣構える凄いのが半数。徒手空拳で拳法の構え取るつわものもちらほら。

 カントリーの闇に緊張がきつく匂い立つ。

 数秒の無音ののち、
 だああ! と突進の喚き響いてぎらりとモルゲンステルン。鎖の先にイガイガの鉄球ついた武器。ゴーゴー夕張よろしく振り回す。
 そいつぁ反則だろ、とも言わず銅鑼衛門その手甲を討つ。

 ばしり、光る剣の軌跡。
 うぎゃあああ、とよろしく殺陣めいて、崩れ落ちる先頭の鉄球男児。続いてどしどしと、ぼろを身にまとった戦陣が繰り出し各々得物を振り回してひらがな一行に突き進む。
 まさかり、特殊警棒、カイザーナックル、どうたぬき、おなべのふた、エクスカリバー、田村亮子、バールのようなもの、キンチョール、武器は様々。

 夜盗である。

 落ち武者が逃げ延び生き長らえた山里に、貧困にまみれた桐生の村人が参入し、主に追いはぎとオレオレ詐欺で日々を生き延びるギリギリスラムの民。
 あでやかな装束のひらがなざむらいと、供の華麗なお女中の、ゴージャス金子の気配に惹かれて、丸々剥いでやらんと血気狂わし襲い来る。

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