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車が十台は停められそうな玄関前の白いスペース。さらりと感触のいい地面に歩を乗せると、門の脇にある詰め所からわかりやすい若衆がどっと飛び出して、体ごとぶつけるみたいにしてオレの進路を阻んだ。プロフェッショナル。
「ニムラの叔父貴に会いに来た」
圧倒的に高いところにある顔に向かい、びっちり固めた声でそう言う。
オレよりもフキを警戒して睨みつけていた若衆が、呆れたみたいな視線を歪んだ鼻越しに降らせる。
「ああ? なんだお前は、どこのガキだ」
「手塚の息子だ。オジキには連絡を取ってある。会わせてもらえるか」
鼻歪みのチンピラが、背後で重心のいい戦闘態勢を取っている中年に視線を送る。ダークスーツに筋力のみなぎった玄人丸出しのおっさん。慌てもせずに内隠しから携帯を取り出し、オレとフキをこもごも眺めながら電話連絡。
手塚の、と電話に吹き込んだ一秒後に態度が変わった。すっ、と腰を低く落とし、ぶ厚い手を手刀の様に切って門に誘う。鼻歪みがたっと走って門のロックを解除した。
木造、だけれど内部に金属のぷんぷん匂う厚い扉がぎりぎり開く。半信半疑の鼻歪みがオレを見下ろしながらも中の通路をさし示す。
オレは体重が三倍になったような気分で、どっしりと石畳の道に足を落とす。
邸宅の外見を裏切って、ひどく欧米風にゴージャスな応接間の革張りソファ。床はつるつる気持ちがいい寄木細工で、上には冗談みたいなきらきらシャンデリア。でも部屋の隅にはなぜか床の間があって、日本刀が二振り飾ってある。
こせこせした感じのオバサンが麦茶を出してきた後、相当に待たされてようやくニムラのオジキの登場。着流しでも着ているかと想像していたら、やけにラフな甚平姿だ。白麻の上下に牡丹の花の墨絵がどばん。
「トビ坊か。大きくなった……と言いたいところだが、そうでもないな。背丈はどれほどだ」
人をひと言でねじ伏せるのがうまいオジキは、目の下の厚い涙袋をふやりと曲げて、笑いだか何だかわからない表情で向かいにどんと座る。
「ご無沙汰してます」とだけオレは答えて、フキの頭を抱えて一緒に一礼、とりあえず。オジキこそ、髪が薄くなったな。
「ハクマはどうだ」
フキのことをじっと検分しながら、オジキはオレに訊く。
ハクマ。手塚拍馬。そういえばうちの親父ってそんな名前だったっけ。
「入ったまんまです。……去年、恩赦課のリサーチがあったらしいすけど、親父は対象外でした。……たぶん、今世紀中は、出られません」
そうか、残念だが……と、ため息つくオジキをオレは見据える。ギャロップの兄貴分だったニムラのオジキ。親父の拘置でコロシをひとつ棚上げにして、順当に若頭にのぼりつめたオジキ。
「……例の件、訊いてくれる気には、なったのか」
オレの目線を避けるように咳払いして、ポイントに触れる甚平の若頭。オレは表情を締める。
「場合によっては」
ギャロップは、隣国から引っぱったハイな薬の隠し場所を一人で握ったまま矯正地区に押し込められた。坤神会にとっては、でかい取引の話だったはずだ。前代未聞の質と量を誇る一世一代の密輸入。ネタの置き場所を知りたいオジキは、何度もオレにアクセスしてきた。すごい儲けが眠ってる。留置された弟分の頭の中だけに眠ってる。
オレはいつもノー。ギャロップに会って訊き出すなんて、考えたくもない。矯正地区は三親等間の親族しか面会に行けない。オレが動けば話のしっぽでもつかめるかもしれない。だけどオレは面会なんて、死んでもイヤだ。
だけど、今は。
「会ってくれるか」
身を乗り出すオジキに、オレは同等の目線。
「オジキ相手に生意気っすけど、交換条件、聞いて欲しいです」
なんだ、そりゃ、と苦々しく舌打ちして麦茶をぐうと飲む。おっかねえな。やっぱり。
「オジキ。ここの組、エピスコに喰いつきましたよね」
ほう、と余裕見せてソファに背を任せる大幹部。
「医療課の流すライムのルート拡大、を請け負う代わりに、この街で奴らを護ってやる約束でも、したんじゃないすか」
無表情に話の矛先を逸らす構えの、余裕のオジキ。勝てねえ感じ。
「ついでに言うと、違法デリバリーのバイトたちの焼き討ちしたのも、組っすよね」
ふん、と眉が微妙にうごめく。隙あり。
「医療課から請け負ったのは、一件の配送の妨害ですよね。……でも組は、デリバリーのシステムそのものが欲しかった。で、話を広げて壊滅を狙った。……違いますか」
オジキは大理石板を敷いたテーブルに肘をつき、指で鼻のあたりをぐにぐに揉みながら、気の弱い人間なら即死するような目線を放った。
「面白い。……トビ坊、お前は本当に面白い。気のきいた推理だ。ハクマは頭の回らないヤツだったが、勘は鋭くてな。いいところだけ、受け継いだみたいだな」
オレの言ってることに答えてないオジキの脇道作戦。呑まれるかよ。
「エピスコとの取引額は、いくらですか」
冷たい反応。
「医療課のライム拡大をタネに強請って番人やって、引っぱれる金はいくらだって訊いてんです」
若頭の鼻からもくりとムカつきの気配。よっしゃ感情出た。揺すぶれ。
「どうせなら、エピスコ丸ごと強請りませんか」
なんだと……と低く潰した声が漏れる。
「医療課の犬やって、いくらか引っぱって何になるって言うんですか。ガキに変なドラッグ売ってケツ持ちして、それがこの組のやることっすか。……オレ、つかんでます。エピスコの上。本気、ヤバいネタです。国、からみますよ」
動揺が首筋に出たオジキが斜めの目線で絡んでくる。
「トビ坊、その横の、そいつはいったい何だ」
別のジャブを撃って話を平坦にしようとするオジキ。
「こいつ、フキです。オレのダチ。……エピスコの、科学者です」
爆弾一発投下。オジキがテーブルの下の緊急招集スイッチに手を伸ばそうとする。そりゃそうだ、エピスコの学者なんてやつ、捕まえて人質にしたほうが話が簡単そうだもんな。
「おっと」
オレは裸足の器用な足先でテーブルをこっちにずずっと寄せる。「焦らないでくださいよ。フキは、医療課に壊されて、まともな言葉の喋れない状態です。……でも、機密を全部つかんでる。ついでに言うと、このフキの言う言葉は、世界中でオレにしかわかりません」
マナビちゃんのことは伏せといて、と。
「何がしたい?」
ぎりぎり歯を噛む怖ろしいオジキ。聴いてるエミョンたちはハラハラかもしれないな。だけどオレは気持ち悪いぐらい落ち着きモード。
「オジキ、頼みます。オレ、これから医療課にカチコミかけるつもりっす。……ガードに入ってるのが坤神会なら、今晩だけでいい、引かせて欲しいんです。エピスコのやってることを締めてきます。……ライムのルートは、あきらめてもらえませんか。オレも、オレのダチも、それできつく壊されてるんです。それだけ締めたい。……あとは、エピスコ全体を揺さぶるネタを全部オジキに渡します。……それから、オレは親父に会いに行って、隠したもののことをきっちり聞き出します。本気、言ってます。オレ、追い込まれてますから。最後に頼めるのはオジキしかいないと思って、来たんす」
がっと頭を垂れた。
「ほう。……それは、ずいぶん勝手な言い草だな」
きっつい声に、オレはとりあえず命を覚悟した。若衆どしどし乗り込んできて持って行かれてご指導受けて組の最下層マシーンに矯正されて一貫の終わりかな。フキ、すまねぇ。
「しかし、あのハクマの子がなあ……」
立って歩く気配に薄目を上げてみると、オジキは床の間の日本刀をすらりと抜いている。うわ、オレ斬られるのか?
「本当に、生意気になったもんだ……」
すとん、と底光りする武器を黒い鞘に収める。大迫力。
「面白い。やってみればいい。……その代わり、少しでも組に面倒がかかったら、おれは迷わずお前を斬るよ。そこのおトモダチも道連れだ。東京湾の底は冷たいぞ。……今晩だけ、医療課の用心を引かせよう。何ができるのか……ハクマの息子に期待してみようかな」
ありがとうっす! オレは直立して、おっかないオジキに仁義を切る。
玄関口まで見送ってくれたオジキが、涙袋の重たい目でじっとオレの顔を見る。
「似てきたな……」
親父、っすか? 問うオレにかぶりを振る。鼻歪みの門番がひしゃげた目線でオレを見張っている。
「その目が、まるでそっくりだ……お前は顔も憶えていないだろうがな」
この文脈。親父に似てるって話じゃない。そうすると。
オレはどうしようもなくガキの呆然面になってオジキを見上げる。
母親とかのこと、言ってるのか。
胸の声が聞こえたように大幹部はうなずき、ぽつりと放った。
「メルキオリスカさんの目に、生き写しだ……」
玉砂利張りの玄関ですべって転倒しそうになる。メルキオリスカ? 何だそれ、何者、って言うかナニ人なんだよ?
つくづく訊いてる暇はない。オレはへんな名前を脳裏に収めたまま、フキ連れて玄関先をどすどすと辞する。
メルキオリスカ。
後ろからずどんと撃たれて一発逆転終了、な気配を背中に感じつつも、オレとフキは急がず慌てず屋敷を後にする。びびって跳ね上がったらオレの親父と同じだ。疑われて余計に話を面倒にする小心者の弱点。
曲がり角を二つばかり越して、ようやく額を湿す冷たい汗をぬぐった。
それじゃ、次は例のほがらかようちえんに急行して、と思った瞬間に尻から音楽が流れた。薄甘くゆったり寂しいメロディ。
「sp11」
フキが言う。そうか電話か。オレはポケットをごそりと探る。
いっちゃんからの着信だった。冗談みたいにいいタイミング。
「トビオお前はいったい何をやってるんだ?」
耳もとでわんわん言うのを首傾けてやり過ごす。うーん、オレの動きはもうバレてるね。
「お説教は今度聞く。いっちゃん今どこだ?」
「救急治療所から、プラクティカの病院にピーフケを搬送したところだ」
お、無駄足踏まずにすんだ。
「じゃ、デリバリーのトラックもそっちにあるのか」
「ああ。……だからどうだっていうの」
「トラック借りる」
マグマのたぎる気配の沈黙。
「……トビオ。お前、一人で勝手に何してるの? 宿舎に連絡したら、フキ連れて出て行ったってマナビさんは言ってるし、ケンズやエミョンも消えてオハラたちは大騒ぎだ。ちゃんと説明できないなら、あたしはこの病院から一番効く自白剤を持ち出してお前を見つけて太い注射で流し込んでやるよ」本気っぽい口調。
「一人じゃねえよ。……オレは、もう一人じゃない。それから、説明はできるけど今はあんまり時間がない」
噴火するいっちゃんから火山弾がばんばん飛んでくるが、受話口をフキの耳に押しつけてやり過ごす。
「……う。イチコ? うー、tprc14? sr10……」懸命に会話してるな、フキ。
一瞬しずかになった携帯電話が、トビオにかわりなさいときんきん喚いている。苦笑して電話を持ち直すオレ。パニクってるなぁいっちゃん。
「あ、オレだよ。今フキは、落ち着け、最悪の事態じゃない、ってことを言ったんだ。……ああ、わかるよ。フキの言うこと。変か? とにかく、オレが暴走して間違ってるなんて決めつけないでくれ。なるべく多くを救いながら話を収めようとしてるだけだ」
少し冷静になってくる姉ちゃん。こめかみ押さえて苦い顔してる様子が目に浮かぶ。
「とにかく、その病院に行く。話はそれからだ」
ぴちんと通話を切って前を向く。河原への道、頬に当たる風、遠くにディクテイターの色気あるシルエット。
ケンズとエミョンがいい感じに熱くなって、オレを待ち構えている。
目的地はフキが知ってる。オレは体を速度にまかせて先の計画をぎっちり練りあげる。
人工な光の増えてくる闇。つぶつぶ並んだビルの照明が次々迫り、鋭いラインになって背後に吹き飛んでいく。ずがんと道路が開けて、太い風が突き抜けた。街だ。
きらびやかに汚れた一区を駆け抜けて、オレたちはプラクティカの非合法病院を目指す。
「おおおお、すげえな全員バイクで来るなんて」
駐車場の暗がりでもはっきりわかるリンタロの細いシルエットが、跳ね上がりながらオレたちを迎えた。手にぴらぴらとカードキー。
ど、と斜めになって止まったディクテイターから飛び降りて、オレは走り寄る。「いっちゃんは?」
「わかんねえ、オレにトラックのキー放ってさ、あんたもトビオと一緒にどこにでも行っちまいなさい、だって。……何だか暗いし、変だよ。あんな壱子センセイ見たことねぇ。あれってさ、何だかいじけてるんじゃないかな」
なるほど。オレは周囲をざっとサーチする。静かだ。
「ピーフケの、病室か。ちょっと見てくる。あのな、一人ここに来るはずなんだ。肩はごっついけど脚は細いオッサン。来たら、待ってて、って伝えてくれ」
言うなり常夜灯めがけて軽く走る。
愛想のない夜間受付に部屋を聞き、エレベーターは無視して階段を駆け上がった。見た目はまともな中規模の病院だ。しんと冷たい通路をひたひた突っ走る。
三〇三号室、大部屋の入ってすぐ右手のベッド。
横たわるのは鼻から管を出したピーフケ、やたら包帯に覆われてへんな着ぐるみみたいになっている。薄く遅い呼吸。
枕もと、壁際に寄せたパイプ椅子の上に、体育座りのいっちゃんがいた。髪がばらけて頬に貼りついてる。
ちら、とこっちを見た目つきがちょっと変だった。白っ茶けた顔色に赤い斑点が浮いている。
「いっちゃん、どうしたんだよ」
ゆっくり近づくと、膝に顎を埋めるみたいにして視線を逸らした。こんな様子ははじめて見る。
ぶつぶつ言った。何だ? と耳を近づけてみると、ひび割れた小さい声で呟く。
「あたし……無力だな」
消毒くさい空気に混じるその台詞を、オレは深ぁく息を吸って呑みこんでやった。
らしくない独白が続く。
「いつも……懸命にやってるつもりで、から回りだ。……目の前に虐待や暴力があっても、何もできない」ピーフケの壊滅した顔面に目を落とす。「トビオは多くを救うために、一人で動いてるんだろう。……もう、全然かなわないよ。あたし、本当に、無力だ」
「オレもだよ」
訝しげにちらと向く顔。
「ピーフケも。とことん無力だったよ」
清潔でさらっとしたシーツに触った。体温、ちょっと伝わる。生きてんだ、ちゃんと。
「でも、手ぶらでヤーさん三人に噛みついたんだぜ、こいつ。すごくねぇか。無力って、絶対悪いことじゃない、ってオレは思った」
首を振り、わからないモードのいっちゃん。オトナがぐれると面倒くさいな。
「あのさ。人間って赤んぼで生まれて、もともと無力だろ。歳とれば、よぼよぼになってまた無力だよ。そっちの方が基本なんだ。……たまたまイケてて力があっても、そんなもの長続きしない。永久に勝ち続けるケンカなんか、ありゃしないんだ」
頼もしいはずのオレの姉ちゃんが、頭を落として何も言わない。
「ピーフケ、すげぇ格好よかったよ。自分が無力なのわかってて、立ち向かおうとしたんだ。あのさ、いっちゃん、……格好わるいのってさ、無力なのを言い訳にして、何もしようとしない人間だろ。それから、たまたま有力なことに自惚れて、高みに立ったつもりになってるヤツ。どうしようもねぇよな」
そっか、と、頼りない声が響く。
わかってんだろ、いっちゃん。
わかってて、たまにはすねてるんだろ。
弱っちいいっちゃんも、なかなか面白いよ。
オレは情けない姉ちゃんをきっちり見た。
両手で目頭をぐっと押さえて、あー、と強い声を出してみるいっちゃん。調子、戻ったか。
「よし」
髪をばらん、と振って勢いよく顔を上げる。くっきりした目をオレに向けて、鍛錬した表情筋で笑みを作ってみせる。さすがだ。早い。
「トビオに諭されちゃ、愚痴ってるわけにもいかないね。……みっともないところ見せた。さて、お前はいったい何をどうするつもり? この件、自分の判断で動いてみて、勝算はあるの?」
おう、とオレは適当な返事で返す。細かく説明しねぇ。顔色、読んでくれ。
「ふん、語らないね。……あたしにも参加させてくれ、と言っても、無駄なのかな」
いや、いっちゃんはピーフケについててやってほしい。どうしても、だ。
そう言うと辛口な目つきでこっちをにらんだ。よしよし、いつも通りのいっちゃんだ。
「ああ、ひとつだけ訊きたいことがある」
「なんだ」
「ナイアシン、それからトリプトファン、その成分って、脳神経のトラブルに本当に効くのか」
口開けて止まる姉ちゃん。
「あ、ああ。……何でそこまでつかんでるの? それはあたしが、フキの箱庭と告白からようやく類推して、ライムの薬害に有効じゃないかと考えたばかりの話なのに……」
なぜかしらん。オレは不敵に唇を曲げる。救急病院で見た食物成分表がびしびし脳内を駆けていく。どうしてオレ、今こんなに頭の中がクリアなんだろ、いっちゃん。
「じゃあ、ビンゴだな。……あのな、デリバリーが放火された日って、千葉に住んでるメキシコ系の元患者さんから、この病院に向けて大量のピーナッツバターが配送される予定だったんだ。入院患者さんの食事に使ってくださいって。お礼なんだろ。……でも、そんなものどっさり食われると、医療課にとっては話がすごくまずくなる。なにしろ、トリプトファンを大量に含んだ食品だ。もしかすると、ライムの中毒症状が治っちゃうんだからな」
なんだと、じゃあ放火はそれを、そんなことを阻止しようとして……と、病室なのにでかい声をあげるいっちゃん。気づいて口を押さえる。
「放火を大きくしたのは、坤神会だよ。一件の阻止を頼まれたのに、デリバリーのルートを横取りするために大掛かりなトラブル起こしたんだ。落花生の有効成分をストップするためのアクションが、とんでもなく巨大化したよなぁ」
オレは馬鹿らしい憤りに忍び笑いを止められない。よじれながら病室の出口に向かう。
「ピーナッツバター……」
呆れ丸出しのいっちゃんが立ち上がって、首を振る。
「そう。ここの医者に、伝えてやってください」
出て行こうとするオレに、いっちゃんが右手を突き出す。なんだ。
「持っていきなさい」
手の中の物は極小のプッシュ装置。エアーのシリンダーを仕込んだ、強烈な催涙ガスと、麻酔ガスのツイン噴射機だ。
何を携帯してるんだ、この姉ちゃんは。
受け取って、オレは冷えた廊下に飛び出していく。いっちゃん、頼んだぜ、ピーフケのこと。
駐車場に戻ると、カピバラ・トラックがエンジンかけたまま待機していた。バイクが消えてる。もはや積みこんだあと。
「お、トビオ。すぐ出られるぞ」
運転席から顔を突き出してるのはジェニー。マジ、来てくれた。本当に来てくれた。
オレは駆け寄って、飛び上がるみたいにジェニーのごつい面を覗きこむ。
呆れた。助手席ではステヴァンがいけてる顔で笑ってる。「トビちゃん、遅いヨー」
「……なんだよ、ステヴァンまで来ちゃったのか。店、どうしたんだ」
「閉めてきた」簡単に言ってきるるる車を鳴らす。「早く乗れ。全員、もう後ろに乗ってるぞ」
イエッサー。オレは叫んでトラックの荷台に突進する。
こんなことが本気であるんだな。馬鹿みたいな目的のために、どいつもこいつも嘘抜きで集結しやがって。
くそ、泣けそうだよ。
「で、さあトビ。何がどうなってんだよ。俺、まったく訳わかってないんだけど」
三台のバイクと友だち四人を積み込んだトランクの中。オレはリンタロの言葉につんのめって床に挨拶してしまう。
事情もわからないのにイケイケで仲間に参加して、のんびり質問を発するリンタロには脱帽だ。こいつ、オレの世界の定点にしたいほどだな。天然の友だち至上主義者。
「……では、リンタロ君にもわかるように話を解説しまーす」
皮肉で言うと、おー! と全員が喜ばしげに腕を突き上げる。負けたよ、君たち。
「えー、エピスコの医療課は、ヤクザ屋さんにリンクしてー、危険なドラッグであるライムを売りさばきましたー」
ふざけんなー、とブーイング。
「ライムの中毒になると死んじゃいますがー、なんと、ピーナッツバターとか食えばかなり治りますー」
マジー、うおー、と盛り上がる友だち。
「でー、プラクティカの病院に世話になったメキシコの人がー、お礼でピーナッツバターをいっぱい病院に送ろうとしましたー、そしたら医療課が、それをストップしろとヤクザ屋さんに頼みましたー」
うわー、許せねえー、と合唱。トラックの振動が尻に痛い。
「ヤクザさんはー、そのついでにデリバリーのルートを横取りしようとしてー、コージマを脅して名簿を買い取りー、メンバーの家を焼き討ちしましたー」
ぶっ殺す、ぶっ殺すコール。運転席ではジェニーがオレたちの会話に爆笑していて、運転がよろよろ道を逸れる気配。ごめんな本当にオレたち能天気なガキでさ。
「つう訳でー。オレはヤクザさんに交渉してー。ネタつかんでるから今晩は医療課ガードの手を引けー、と言いましたー。だから今月今夜のこの時にー。オレら医療課に突っこみますー。フキの頭を壊したライムの研究の、証拠を取って勝負をかけますよー」
しん。
唐突な静寂。あ、さすがに怖くなったか、とオレは慌てて薄暗いトランクを見渡す。えと、君たちのその表情はなんですか?
全員がきっつい目で床やら壁やらを睨んでいる。口もとはキレた笑い。うわー、皆さん、突き抜けましたか。
「ぜって、ゆるせね」
簡単に言うリンタロ。うなずく全員。ジェニーまで。ステヴァンまで。
「トビ。お前きっちり分かって作戦立ててんだろ。俺らどう動けばいい。教えろ」
おしゃれ服の裾を乱して真剣に突っこんでくるリンタロの、初めて見る気迫に押されて、オレは頭の中の見取り図をとつとつと喋った。
行くよ。
行きますよ?
誰に言ってるんだかわからない言葉を口に上せて、オレはちょっと狂気っぽいスマイルで皆を振り向く。
でけえー、単純に言ったのはケンズ。
確かに、でかい。
六区の外れのエピスコ医療課ラボ、どういうわけか屋上に飛行機の発着所まであって、自家用チックなヘリがばんばん飛び立ってるふざけたビルだ。どこの何様がご使用になっている施設なんでございましょ。
プラクティカのでかい工場設備を見てきたオレたちにも震えが来る、規模のまったく違うハイテクビル。全員が空の方を見つめて濁点ついた呻き声。
こんな場所に、こんなヤツらに、オレたちはさすまたとか催涙ガスとかあとは徒手空拳で突っこんでいくのか。本気で馬鹿だ。
勝算、ええと、ゼロっぽい。
止めてはいはい帰りましょう、ってことはすぐにでも言えそうな気がした。
でもな、何だかオレはやらかすんだ。
「逃げろよ」
オレは振り向いて、仲間全員に言った。「現実、見るとあり得ねぇだろ。オレらみたいなガキや無力な労働者が、こんな場所で何かできるなんて。ここまで見ただけでも儲けもんだよ。お前ら、ビビったら帰っていいぞ」
言い放って一歩踏み出したら、後ろから合唱が聞こえた。
「バーカ」
振り向くとにやにや引きつった笑い。みんなどうかしてる。トビオ、一人でカッコつけんなよ、とごしゃごしゃ文句。
一致団結で突入の気合い。お前ら、嬉しい馬鹿だ。どうしようもなく。
「おう、そうか。そう来たか。それなら、行くぞ」
おう、と集団の銅鑼声。本気で参るな、お前らって。
「フキ、w9rcrot、p3?」
「pa1、mktp4r、fl0」
最終目的を確認するオレとフキの会話に、友だち全員が目を丸くする。ぎんぎんに緊急ゲートを目指すカピバラ・トラックの内部。
「おお、トビオすげえ。フキ語がわかってんだ」
フキ語。ひと口にまとめるリンタロの方がよほどすごい。
「ああ、何だかわかるようになったんだ。……オレ、変かな」
いや、と単純に首を振ってにっかり笑うリンタロ。ある意味お前はオレの友だちの中で一番すごい存在です。どこでも危機感ナッシング。「俺もちょっとわかるんだよ。フキとはいろいろ話したもんな。……あのさ、pa1、っていうのがオッケー、っていう意味でさ。ca1、がフィールオールライト、なんだぜ」
フキといろいろ話したのか。本気でお前は凄まじいよ、リンタロ。
トラックがやけくその振動でゲートを破り、がんがん突いてハイテクセンサーを突き抜ける。今オレたちアナログ暴力の真っ只中。ジェニーが切れた笑顔でもういっちょ行くかー、と叫んでいる。うぃっす。
とにかく、滅茶苦茶だけれどフィールオールライト。
ゲートを正面突破したトラックから、オレたちはぶいぶい切り立って跳ね出て、一目散 に奥へ突進する。
トラックはまさかの隙を突いた侵入を逆戻し。こんなにハイテク万歳なゲートを直球で破る馬鹿連中なんていやしない。用心し過ぎた挙句にゲートはメカまかせの無人だ。くっついてるはずのヤクザな人間ガードはオレが引かせておいた。
びぃびぃ鳴ってるサイレンとふよよよ、と突き出してくる絶対零度のガスを噴き出すパイプを抜けて、ずるずる後退してトラックはバック。逆走してエリアを去っていく。ありがとな、ジェニー、ステヴァン。どこかで捕まったら明日の人生もなくなる話だってのに。
オレたちは網を抜けた魚みたいに元気いっぱい、ひたひた走りで一丸になってエレベーターフロアに突き抜ける。
セキュリティは、しばらくトラック突っこみのほうにサーチを向けているだろう。判断が内部に戻るまでの数分が勝負。オレは考えたつもり。つもりなのが情けない、もしかしたら浅はかすぎて、ダチごと一網打尽なひどい勝負だ。
フキからフキ語で聞いた通り、無反射ライトが足もとだけを明るくするフロアはとりあえず無人。だけどビル内には残業やら夜間勤務やらの人員がいっぱいいるはず。ヤクザ屋さんにだけ頼るほど医療課もおめでたくないから、外部内部にセキュリティの監視はいっぱいあるはず。動けなくなるまでにオレたちが何をできるかだよなぁ。
目の前にひやっと鋼鉄の気配がしてオレはストップ。巨大な案内パネルの表面に鼻をぶつけそうになっていた。すぱっと明るくなるパネルの表面。一瞥してオレは呻く。これはひどい。
『ラボの内部は、ごく控えめに表現して迷宮だ』昔いっちゃんから聞いた台詞がまざまざと甦る。『勤務してる人間ですら、テリトリー以外のところでは迷って立ち往生するほどの階層構造なんだ。エピスコが医療課にもの凄い資金をかけているのは知ってたけど、あたしもラボに行った時には途方にくれたよ』
本当だ。ひどいもんだ。
パネルにびっしり書きこまれた部署名、セクション、移動経路のパズルを見てオレはもう帰りたくなる。目的地を探してパネルに触れれば、ガイドが作動して順路を教えてくれるが、そんなもの使ったら足がついてしまう。
見て憶えるのか、これを。
らせん状に登りつめる各階四つもあるフロアを、エレベーターやらショートカット通路がうねうね突き抜ける。そもそもセクションだって意味不明だ。ボーングロス及びスパイナルフュージョンって何だ? ナノバイオテクノロジー、と表示された三階Aのフロアひとつ見ても、生体分子部、ナノマシン部に分かれてそれぞれ細かく生体適合性材料課とか、バイオアクチュエーター課とか、うんざりする文字がいっぱい躍ってる。その上ぜんぶ行きかたが違う。ついていけない構造だ。
ちくしょう、と腹を決めて一歩後ろに下がり、唖然と立ってたケンズに衝突しながらも、オレはその全図を見て脳にぎっちり焼きつける。できるか。できるのか。できた。
やっぱりオレの能力は今かなり異常なレベルに振り切れてる。
「よし、わかった」
オレは振り向くなりダチに順路と作戦をびしびし伝える。エミョンが手もとのPCパッドをすばやく鳴らしてそのすべてを記録していく。行けよ、頼むよ賢すぎるワルなエミョン、ケンズとリンタロを従えてセキュリティの穴をがっちり広げてしまってくれ。
フキとオレは早口の記号会話。もと居た部署の位置が変わってる、怪しく匂うポイントも分散してる、オレたちは案内パネルの表記をぱちぱち文字列に置き換えてすごい速度のコミュニケーション。おうよ、そしたらルートは決まったな。
オレたちは一気に散会、してそれぞれの持ち場に向かって突っ走って行く。
四階まで一気に直通で非常階段突破した後、監視ラインに食い込んだエミョンと盗聴携帯で連絡取りながら動かすべき通路だけ動かしていく。すごいオペレーターになってるエミョンの後ろではケンズとリンタロが、セキュリティ・ロボットの回線を電磁石とニッパーでばっちばち切ってる乱闘の気配。ロボ、すまねぇな。人間が反乱して危害を加えるなんて、お前の頭には入ってなかった概念だろうに。
にー、と進む上昇通路の上から、タイ締めた科学者だかエンジニアだかが二人転げて駆けてくるが、すんません非常事態なもんで、とにこやかに言って駆け足でやり過ごす。追いかけてくる気配もない。無害な人は逃げちゃってくれ。オレら乱暴だけど無差別テロリストじゃないんだ。
五階のフロアからはけっこう多くの人間がまろび出て警戒心と集団意識丸出しで向かってくる。腕の強そうな男と気の強そうな女のグループがどしどし行く手を阻もうとするが、困ったフキが礼儀正しくぽいぽい投げていく。オレもさすまたと催涙ガスですいませんねぇ、と謝りながら対処。道、阻まれると今は困るんです。もの凄く早く人の動きが見えるんで、アクション起こそうとした瞬間に突っこんでは封じ、ちぎっては投げ、走りながらの突破が異様にたやすい。こんなに動体視力が亢進してちゃ、あとが怖ろしいなって自分でも感じながら。
テコンドーだかチャランボだかを使えちゃうらしき野郎が無駄のないステップでオレの半径に踏みこんでくるが、どうにもその視線の先が見える。読める。内股割って動き止めてひねった骨格の継ぎ目に叩きこんでくる目論見。この速度の中で素晴らしい判断だ。実戦積んでるな。ほめたいけどオレの反応の方が勝ち。息を吐いた瞬間を見つけて後ろ足をさすまたでねじる。ポイントずれた突きを肘の一点で叩いてさすまたの柄で関節キメちゃう。早い速いオレ。危ないな。
世界最速のさすまたプレイヤーになったオレと、無言のリベンジャーになったフキは五階Aフロアから直通階段駆け上って、記号の会話をちりちり飛ばしながら疾駆。流れるみたいに後ろを飛んでいくエリア記号が頭の後ろでぷちぷち認識されてる。見える。
オレ、明らかに今ハイパーレクシアだ。
これってライムの摂取による急性症状なのか。くそ。
『脳幹っていうところが麻痺して、呼吸ができなくなって死んじゃうのよ』
思い出したくもない内容のオハナ姐さんの声がリフレイン。なんだよそうかオレ死んじゃうのかよ参ったな。
それでも、この勢いとすごい世界の見え方に乗って今は突き進むしかない。
「dah13w3sn19」
死んでもいいやこの目的のためなら。
「dahr13c2sr4」
死ぬもんか治療法は俺が知っている。
オレとフキのぎりぎりな会話。感動的な内容かもしれないが他者にはまったく意味不明、英数字叫んでるだけだ。
六階にジャンプするエレベーターのドアは閉じたまま。だん、と突っこんで開閉ボタンかちかち押すが、うんともすんとも言わねぇ。おいおいオープンセサミ!
「エミョンなんだこりゃ5‐7E0Pのエレベーター動かねぇぞ」
「ま、待ってくださいトビオさん、今こっちの外部セキュリティが作動して、ネットワークが全部ダウンして……手動でつないでます、なんとか、あ今ケンズさんたち正面入り口のセンサーを動かして、そっちに注意が集まるように動いてま、ああ、動きました、って、フェーズ五秒でそこ止まります、急いで」
わかんないが突然明かりがついてきろん、とドア開いたエレベーターにオレ達は飛び乗る。くんくん上昇して、
「ドア開かねぇー! エミョンー!」
「しゅ、手動で、そっちも手動で頼みます、たぶんドアのどちらか側にEOって書いたソケット」
あるある右にある。
「下のプラグ抜いて穴の片方に何でもいいから金属、鉄を突っ込んで、あ、感電しますから絶縁体を何か……」
うきゃー! さすまたの先端が効くな。素手で突っ込んだオレは口の中に異様なイオンの味わい感じて手が離れなくなりながら、フキにオレを蹴っとばせ! と指令。
エレベーターの奥に転がりながらオレもフキもびりびりきてる。あー、電気来た。
どういうわけかますます速く勢いついてくるオレはドアを手でめりめりこじ開けて、フキの手引っぱってフロアに転がり出る。いん、と嫌な音させて、ごたごた震えて垂直落下していくエレベーターの箱。おっかねえぇ。五秒フェーズってこういうことかよ。
体勢一気に直して歯を痺れさせる感電を振り切って、オレはほとんど四つん這いのケモノみたいに通路を駆け抜けていく。
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