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 道に迷ってよたよた駆けつけてきたチフユちゃんたちよりも、いっちゃんの手配した救急隊のほうが断然早かった。一区内、いちばん近いところに詰めてたプラクティカの病院チーム。馬鹿みたいにでかいナビ機器を抱えてオレの居所をサーチしてきた。担架と酸素、ちゃっちゃと進む応急手当。

「止血はキミが?」
 ライトに照らされて睫毛の濃いなかなかの色男が、血に湿ったバイアステープを解きながら訊いた。オレはうなずいてその時刻を告げる。

 止血ったって、ピーフケの持ってたミニ懐中電灯で見える範囲の脚とか、腕だけだ。どくどくいってるヤバい箇所の上のほうだけ、お裁縫セットに入ってた紐でじんわり巻いた。頭からの出血はどうしようもない。掌でねっとり押さえて祈るぐらいしかできなかった。ぬるぬる粘るオレの指。

「息はある、瞳孔反応は正常、ショック症状に注意して」
 色男が言ってピーフケの体を担架に乗せる努力。数人に抱えられてずるずるすべる、オレの友だちのぼろきれみたいな身体。

 ようやく走りこんできて絶句したチフユちゃんとエミョンが、判断しかねておろおろ動き回る。

「どんな様子なんですかっ」救急チームに叫ぶチフユちゃん。しっかりしろよ可愛い姐さん、根性入れなきゃいけない局面だ。

「今のところ、打撲と裂傷がひどいですが、すぐに治療をすれば命は助かる状態ですとしか申し上げられません……。詳しい説明はあとにして、とにかく外に出ましょう」

 へこんで地面を見るエミョンの肩をオレは支えてやりたい。

 気にすんな、ケンカだ、よくあることだ集団と個人の一方的バトル。気持ちの小さいヤツはショックで死にかける。でもオレの経験からいくとそんなに死なない。人はもっと図太いもんだ。ましてやピーフケだろ。生命力、絶対にある。なにしろ焼き殺されかけた過去を生き延びたヤツだよ。

 絶対に大丈夫だって。



 ほとんど本能的にオレが順路をリードする最短ルートを通って、担架部隊は東の大ゲートに出た。ライトを消したバンがすぐ横の通りに止まってる。ピーフケを運びこむ。

 一瞬、チフユちゃんやいっちゃんに次の指示を仰ごうかという気持ちが湧いたけれど、すぐ却下した。たぶん、いや絶対この状況を一番トータルに把握してるのはオレだ。チフユちゃんはびびってる。いっちゃんは現場を見てない。ここはオレが判断するところだ。単細胞で素行不良のつまんないガキにすぎなくても、できることはある。

「エミョン、ピーフケの画像と声の記録は取れたんだな」

 うなずくエミョン。目の光がぼうっと白い。
「じゃ、それ持ってトラック乗ってとっとと工場に戻れ。チフユさんは運転、それから報告よろしく。オレはこっちに同乗していく。こいつらが、本当に信用できるヤツらかどうかもまだわかんないからな、ピーフケだけを連れて行かせねぇよ。じゃ、何かあったら電話しろ」

 さすまた持ったまま問答無用で乗りこむ。チフユちゃんが縦に口を開けて何か叫びかけたが、構わない。

「一刻を争うんだろ、とっとと車出してくれ!」運転席にどなる。バンは尻に火がついたように走り出した。



 よくある小説なんかだと、こういう場合に駆けつけるのは不夜城みたいな救急病院だろ、駆け回るスタッフやナース、ハイテクな医療機器。気が気じゃない付き添いは、手術中、っていう赤いランプの前でじりじりして。

 バンが到着したのは、ほがらかようちえん、という看板が付けっぱなしになっている哀しい廃屋で、狭いおゆうぎ場の奥には縁起悪いことに墓とお寺があった。その廃寺が経営していたのか、低い古い幼稚園の建物。

 担架を玄関に運びこむ。ぎしぎし手動のドア。
 廊下を進むとぼやぼや灯りのともった部屋があって、ほう、ほほ、とか言いながらヤバそうな爺さんが顔を出した。まさかあれが医者じゃないだろうな。

 気と歯と毛が全面的に抜けかけている爺さんは赤いポロシャツを着ている。背筋はずいぶん伸びてるが、見た目ひと言で怪しい。大きな鼻の穴からぶちぶち鼻毛を引っこ抜くのが癖のようだ。

「おお、こりゃやられたな。あー」と、ペンシルライトでピーフケの顔を照らし、まぶたをひっくり返す。「ありゃま、こりゃひどい失血だ。ええと、血液はあったかな」

 のんびり鼻歌を歌いそうに部屋に入っていく。

 オレはのどかな鼻毛ジジイを殴って気合いを入れ直してやりたいが、そうすると治療する人がいなくなるかもしれないので無理に拳をおさめる。

 干した魚みたいな顔の、こちらは一応ナースとわかる服を着た女が出てきて、担架を先導して部屋の中に運びこんで行った。と、思ったらすぐに一人で引き返してくる。

「あなた、血液型は」

 え、知らねぇ、と答えると、あろうことか右手に持っていたメスを伸ばしてさっとオレの左耳をかすめやがった。なんだこの女、シリアルキラーなのか。
 反応を起こせないうちに女は左手に持っていた白いスティックみたいなものでオレの耳の傷をまたかすめる。ちょっぴり血のついたそれを目の前に持っていってじりりと眺める。

「O型ね。病気もなし。使えるわ。こっちに来なさい」
 なにそれ、と言う隙もなく、魚女はオレの軍隊パンツのベルト通しをつかみ、隣の部屋にぐんぐん入っていく。ちかちかぱちぱちと天井に照明。病院のベッド。

 あっけにとられているうちにオレはそこに寝かされ、へんなポンプのついた怖い針を腕に突き刺され、気前よく血を抜かれてしまった。



 ひとひとと色んなランプの点滅する機械につながれたピーフケは、鼻と胸と腕に管をくっつけたまま石みたいに眠っている。薄暗い集中治療室。おはなまつりおめでとう、と書いたクマちゃんの絵の飾り物が壁にくっついたままの部屋。

 毒気と血を抜かれたオレはパイプ椅子に座って、ピーフケの寝顔をぼんやり眺めている。ぼこぼこに変形しても生きている顔。オレの血をぐるぐる流すピーフケの体。

 オレの膝から食物成分表がすべり落ちる。手術中、じりじりする自分を落ち着かせようと無理やり眺めていた本。給食配膳室の床に落ちていた、よくわからない本。でも隅から隅まで暗記するほど読んでしまった。字でも見てないとぶっ壊れそうなオレ。

 鼻毛の医者が部屋に入ってきた。口をもぐもぐして、何か食ってる気配。パンかクラッカーか、小麦粉の匂いだ。

「その子は持ちこたえたよ。おめでとうさん」言ってオレに紙袋を差し出す。頭脳パン、と書いてある。なんだこりゃ。

「うまいぞ、食っておけ」パイプ椅子をもう一つ引っぱってきて、ピーフケの足もとに座った。
「しかしまあ、めずらしい怪我だ。どう見ても数人がかりで痛めつけたリンチ傷だろう、それはこの街じゃよくあることだ。大抵は脛や頭を最初にはたかれてうつ伏せて、背中や脇腹に打撲が集中する。本能的に体の内側をかばうもんだからな、人間は。……この子は、突き倒された後で何度も上半身を上げようとしたんだろう。顔と胸をひどくやられてしまったな」

 向かっていこうとしたのかよ、ピーフケ。

「かわいそうに、左の眼は戻らんかもしれないよ。鼻骨は修復できるだろう。歯も、差し歯でなんとかなる。……鎖骨はごしゃごしゃになっていたがどうにかつないでおいた。スチールの骨が入ったと思えばいい。……肺の血だまりが心臓の大動脈を圧迫しかけていて、それが一番危なかったが」爺さん先生の口から息がすうすう漏れる。自分の歯を心配した方がいいかもしれないな、ドクター。

「運の強い子で、しっかり手術に耐えた。……あんたの血もイキが良かったんだろう、この子の体とよく馴染んで、きれいに酸素と栄養を運んでくれているよ」

 オレは頭脳パンを握りしめたまま、椅子から立ち上がった。ありがとう爺さん。言葉にならず、無言で頭を下げる。

「おう、とりあえず二、三日寝かせておけ。肺胞の破裂やらくるぶしの骨折やらは寝てれば治るわ」

 ほんとかよ、と眉を上げてにらむオレに構わず、怪しいドクターは部屋を出て行った。

 オレは幼稚園の部屋がうっすら明るくなってくるまで、ピーフケの二倍に腫れた顔面を、駄目になった左目を見つめていた。



 夜明けとともに迎えに来たカピバラ・トラックの、誰とも知らないプラクティカ・スタッフの運転でオレは工場に戻る。瞳孔全開で壊れそうになったリンタロと交代だ。ダチが心配なのはわかるが、こんな状態のリンタロにピーフケを見守らせておいて大丈夫なのか。

 もはや慣れてきたがたがたトラックの中でオレはかなり本気に眠る。渦を巻く夢。大河に押し流されそうなギャロップにさすまたを突きつけるところで、ぱちんと目が覚めた。

 のどかにぶんぶん唸る工場の、晴れたでかい空。クリアな空気。

 もと住む街の濁りと、ここの穏健さとじゃどだい話のノリが違ってくるんだ。



「昨日エミョンが持ち帰ったデータの裏が取れたよ。あのディーラーは医療課の人間じゃない。広域暴力団、坤神会のメンバーだ」

 ヤクザ屋さんってことか、とオレは重い目でうなずき、会議室の椅子に座った。

 睡眠不足更新中のいっちゃんは、目の隈に現れかけた実年齢を、だてメガネでどうにかごまかしている。

「アデプタスや医療課が、暴力団につながった。これを証明するだけでも、充分な告発材料になる」

 一方的に話を進めるいっちゃんに深い憤り。オレは今まで出したことのない声で言った。

「いっちゃん、ピーフケはそいつらにがっつり叩かれて、今どうなるかわかんないまま薄暗いところで寝てるんだぜ」

 あ、ああ、そうだ、本当にひどいことだよ……悲しげに言っているいっちゃんをオレは今引っくり返したい。

「あんなテンパってるリンタロに付き添いまかせて、本当にいいのかよ。あの医者だって病院だってわけわかんねぇし。いっちゃんがすぐに駆けつけるのが筋だろうよ」

「たしかに、そうだけれど、今はこの持ち場を外せないの。こっちも大騒ぎで……フキがまたオンになって、マナビさんの隠れていそうな場所を示唆してくれたんだ。昨日の夜のうちに、できるだけの捜索をして……」

 はいはい、ピーフケが肺を潰されている間に一所懸命シゴトをしてましたってか。

「見つかったんだよ。それはすごいことだろう? 今朝がた、斑鳩家の姉妹がもとの実家跡のレストハウスから、この工場に移動してきた。フキやテルミと再会できたんだよ」

 そりゃいいことだ。飛び上がってキャホー! とか叫ぶところだ。フキたちのためには。だけどピーフケはあばらや脚をぼっきり折ってる。

「マナビさんたちから話を聞いて次のアクションを起こさなきゃいけない。オハラは、それをあたしに委任した。アデプタスのやってきたことの証言を取って、裏社会とのつながりを押さえて……」

 そんなことはテシュノ本人にやらせとけ、とオレはひび割れる大声で叫んだ。本気で苛ついたんだ。

 オレのブチ切れをまともにぶつけられて、狼狽をはっきり見せるいっちゃん。

「あのなぁ、ピーフケは左目をやられたんだぜ? 二度と見えねぇかもしれねぇ、って医者は言ってる。それはいっちゃんにとって緊急事態じゃないのかよ」

 それは、それはもちろん心配だけど、あたしには今ここでやることが……馬鹿なガキに説明するかのようなくどい表情をオレは腹の奥からどすんと見据えた。

「まるでわかってないんだな。鈍いにもほどがあるよ。なんでピーフケがあんなにムチャクチャがんばったと思ってるんだ。ピーフケは、いっちゃんのことが……」

 クソ鈍い姉ちゃんが白紙の紙みたいになってぽかんと押し黙る。

「ちょっとは優しくしてやれよ、あいつはなぁ……」

 言えねぇだろ。オレは暑苦しい呼吸を噛みしめて言葉を呑みこんだ。喉がぶるぶるする。

 感情と本音を押し潰しすぎた人間に慣れているいっちゃんが、はっとプロのモードになってオレの顔色を読み始めた。どんどん読みやがれ。まるまる出してるからな。この、馬鹿姉ちゃんめ。

 いっちゃんの白紙フェイスに火がつき、下の方からどんどん赤く燃えてくる。

「いや、それは、……嘘だろう?」

 聞いたこともないような細い声で呟き、腹の前で握り締めた手まで真っ赤にする。

 嘘もなにも、オレは何にも言ってねぇよ。

 頭の中をいろいろな記憶が飛び狂いつつあるいっちゃんの、認識と理解が眼の中でばんばん閃いている。わかったみたいじゃん。

「そんな」

 そんなじゃねえよ。

「そうか」

 そうかじゃねえよ。

 いっちゃんはだしぬけにだてメガネを外した。外したというより指に引っ掛けてそのまま投げ捨てた。紺色のセクシー・メガネがリノリウムの床に落ちてこんからと跳ね回る。
 それを踏みつけそうな勢いで、いっちゃんは身を翻して会議室を飛び出した。

 開けっ放しのドアの向こうに吹っ飛んでいく全力の身軽な足音。

 オレは少しだけ唇を笑みにした。いっちゃんのことは最後のラインできっちり信用してる。人の想いを受けとめ損なう人間じゃない。

 裸足の足指でふざけた紺色のメガネをつまみ、よっ、と勢いをつけて部屋の隅のダストボックスに放りこんでやった。



 坤神会、って言ったよなぁ。

 外光を浴びて深くしっとり光る廊下を足裏に感じながら、オレは思う。

 けっこう馴染みのある名前だ。

 オレは軍隊パンツのポケットから携帯を引っ張り出す。膝あたりが異様な匂い。そういえばピーフケのげろに突っこんだった。洗ってない。もはやどうでもいい。

 オレは携帯の番号を呼び出し、窓から突き刺す朝の光の中で会話を交わした。



 資料閲覧室、とプレートのくっついたドアを、嗅覚でサーチして押し開ける。
 大当たり。カーテンを下ろして明かり煌々の、不健康な部屋の真ん中に固まってテシュノとマツさんとチフユちゃん。パソコン画面に向けていた目を一斉に上げてオレを見た。

「トビオ君、あなた昨日は、あの、壱子さんは……」
 意味成さない言葉のチフユちゃんをさえぎって、オレは近寄ってモニターを覗きこむ。デリバリー・メンバーのリスト。鈴木ぴい助とかいう名前の項目がちらちら光ってオレの目を射る。

「なあ、マツダさん。デリバリーが放火に遭った日って、どんな搬送を予定してたんだ?」

 落ちついて、トビオ君、などとテシュノが言うが、オレはこれ以上ないほど落ちついている。自分でも怖いぐらいだ。

 は、と息を呑んだマツさんがかちりとマウスをクリックした。現れる搬送予定リスト。オレはハイパーレクシアになったみたいに、一瞬でその画面を脳裏に焼き付ける。

「トビさんよ、確かにそりゃ重要な示唆だわな。そうだ、何で俺はそっちに考えが行かなかったんだ、この日の搬送の予定っつったら……」

 画面を読み始めるマツさんにチェシャ猫の笑み、を残してオレは、バイバイ、とテシュノたちに手首を振る。



 娯楽室、というのどかな表記のドアを押し開けて、オレはふふ、と小さく笑ってしまう。

 ぼったり広がるみかん色のカーペット、ぽこぽこ置かれたソファを無視して床にふわりと車座の女たち。ゆったりしたスカートを足もとに集めてしどけなく、それだけでもオレにはなんとなく夢みたいな光景だ。

 広い部屋でもやっぱりでかく見えるオハナ姐さんと、よく似た型をそれぞれ違う雰囲気で彩ったみたいな女が二人。ストレートヘアの聖女っぽいのがマナビちゃんで、くりくりパーマの陽気そうな方がアソビちゃん、だったらイメージ通りだ。違うかな。

 三人がお喋りに興じながらも、何度も目を上げて飽きずに眺めているのが無言の親子。向き合って、鏡像みたいに同じダンスを踊っている巨大なフキと、ちっちゃいテルミ。どっちも真剣な顔だ。だけどどうやら、フキが息子に伝授しているのはうさぎのパンツの楽しい踊り方。

 暖色ばっかりの淡い光に彩られて、泣けてくるような平和な団欒の風景。オレはドアにもたれて、しばらくそれを静かに眺めていた。

「トビオちゃん」
 気づいた姐さんが声をかけた。少しもやつれない大地みたいな姐さん。不思議な女だ。オレは、よ、と軽く片手をあげる。

 フキが踊りを止められない格好のまま首だけ栓みたいにきゅきゅきゅとひねり、う、う、と困る。オレとテルミを交互に見比べている。

 世界の定点が一度に二つもあっちゃ、フキだって困惑するんだろう。

「よかったな、フキ。会えたんだな、家族に」

 あの子は……? と少し怯えるマナビちゃんの膝を、オハナ姐さんがやんわりと叩く。ミランちゃんと仲良しで、彼をおうちに置いてくれていたトビオちゃんよ。

 その簡単な説明で安堵する姉妹。なりは違っても表情がよく似ている。ごめんな、あんたたちをまた追いこむようなことを、オレは言わなくちゃいけないのかも。

「フキ、奥さんとはしっかり再会したか。話したか。よく顔を見たか」

 でかい肩の動きがぱちんと止まって前のめりになり、その目がマナビちゃんに向けられて上下にサーチ。

「あのな、オレ、行かなきゃならねぇとこがあるんだ。フキの力が要るんだけど、来るか。やめとくか。家族と一緒にいたいんなら、もちろん無理には誘わねぇ」

 う、とフキは喉を詰めるように叫ぶなり、ずたずたつんのめる歩き方でオレの方に向かってくる。世界の定点をスイッチしたのか、まっすぐオレだけを見て、いつもの丸い目でやって来る。

「ちょっとあんた、いったい何なの」
 ばさっとスカート荒らして勢いよく立ち上がったのは、推定でアソビちゃんの方だった。濃いまなじりに鉄火な声。根性と場慣れの入った底の深そうな姐さんだ。

「うちの兄さん、勝手に連れて行かないでよ。うちの姉ちゃんがどんなに苦労してこの人と再会したか、まるでわかってないんだろ。自分、いきなり出てきて何だっての」
 ちょっとかすれる声質が迫力。オレは目を閉じてその爆風をやり過ごす。

 オレはいったい今なにをやろうとしてるんだろ、って自問自答しながら。
 考えてたせいで、落ち着きはらって見えたんだろう。アソビちゃんがかんかんしながらも気を呑まれ、泣くようにすんと鼻を鳴らして言葉を切る。佇む。その横にすっと細い若木みたいに、よく似たスカート姿で立ち上がるマナビちゃん。

「トビオ君……ね? オーナーから話を聞きました。ミランのこと……ありがとう。彼はあなたを信頼しているのね。でも、行かなくちゃいけないって……ミランの力が要るって……何なのかしら。彼を、危ないことに巻き込む話が、まだまだ出てくるの? 私たち、それは、つらいわ……」

「うん、危ない話。ごめん」

 端的に言ってオレはまた目を閉じる。何をするつもりなんだ、オレは。
 実に見事に言い逃れようなく本気にヤバい。

「あんたさぁ、あんた……」
 激しく言葉を突き出すアソビちゃんの憤りが、細く力なくなってぽとんと落ちる。この人、けっこうオレと似てるのかもしれない。ピーキーに突き上げるけどダウンも早い。直情で、根のシンプルな姐さん。

「マジでごめんな。フキ、じゃなくてミランだよな……。家族と再会して、平和でいてくれるのが一番いいと思う。オレ、だったら、もし家族いたら、そうしたい……」

 情けないぐらいに目がうつろになってるのがわかる。アソビちゃんがかくんと強張って、オレの下げた顔を見つめなおそうとするのがわかる。
「だけど、今、フキの、力が、要るんだ……仲間が、壊されて……それは、フキの仲間でもあるんだろ、オレは、どうしても黙っていられねぇよ。オレだけじゃ、だめなんだ、フキ、オレのダチだろ、助けて、ほしいんだ、力、貸してほしいんだ……」

 こんなふうに人に力をたのむなんて初めてだ。オレはいつだって一人でやってきた。一人でできないことは見えないふりをしてきた。まわりが最低だから仕方ねぇと。

 一人っきりで切り立って生きてきた。

 冷酷。

 孤独。

 この世界の暗い側にぽつんと消え去りそうな冷たい一点。

 もう一人はイヤだ、うまく操って適当に周囲をあしらうんじゃなくて、オレの言いたいこと、やるべきだと信じたことに共感してくれる友だちが欲しいよ。

 フキ、助けてほしい。
 ピーフケが、やられたんだ。

「助けてくれ……」
 恥ずかしすぎる台詞が喉を割って胸を砕いてごろんと床に落ちた。

「あんた、家族、いないの」
 ちょっと寂しいアソビちゃんの声。オレはギャロップのことを思いながらもきっぱりうなずく。

「いねぇ。……だから、似たものつくりてぇのかもしれないな。……このところ、フキがオレんところ来てくれて、まるで、親父だか兄貴だか、自分のガキだかができたみたいな……うまく言えねぇ、とにかく、少しは家族っぽい感じだったよ。だから、オレはそれに甘えようとしてるのかもしれねぇ。承知の上だ。ほんとは他人だってことぐらいわかってる。だから、フキに訊いてみたいんだ。……フキ、そっちに、帰るか。それとも、オレにつきあってヤバい目を見てくれるか」

 フキは、ぼんやりしたままオレの方に二、三歩歩きかけた。止まる。くるりと身を翻し、ずたずたとテルミの方に戻る。

 そうだよな。

 普通、安全で愛しい方面に人は帰るよ。

 オレはため息をついて細く細く笑った。こんな時に人ってしなびた笑顔が出たりするのか、変なもんだ。

 フキはテルミの前にすっと屈み、低く伸びていく声で発声した。
「hept05、ww21、p、01」

 マナビちゃんの顔がぱきんと割れる氷のように白く光った。脅されたように硬直して少しのけぞる。

「何なの、お姉ちゃん、兄さんは何て言ったの」アソビちゃんが振り返って問い詰めた瞬間、テルミが言った。

 ふわっ、と笑って。
「hpts2、dd、chot7」

 マナビちゃんが絶望の女王みたいに床にへたり込んでしまう。
「あ……」声にならない音で呻き、張り裂けそうに広がった目でフキを見上げたまま、レンガ色のスカートを探ってポケットから黒い袋を取り出した。中のものをざらざらと手の中にあける。

 切なそうに目を閉じて小さなこぶしを揺すり、床にぽろぽろと光るものをばら撒いた。

 石。半透明の、色とりどりの綺麗な石。

 絨毯の上に不規則な模様を描くラインを、マナビちゃんが横ざまに倒れたまま目の動きで追う。

「ああ、そういうこと……」
 石の配置をすっとサーチしたアソビちゃんが、深い声でうなずく。
「お姉ちゃんがそこまで考えてそういう占断を出したんだったら、あたしはもう何も言わないよ」すいと体を引く。

 オレには意味不明。数字や英字で喋る親子やら、石の配列で話す姉妹やら、ずいぶん複雑なコミュニケーションをする家庭もあるもんだと思いながら。

 でも、言葉なんかよりそういうもの方が、変な誤解を生まずに気持ちを伝えられたりするものなのかもしれないな。

 その証拠に、変なファミリーは同じ目をしてまっすぐオレを見ている。心はひとつ、って感じだ。

「トビオ君、ミランは、大事なもののために自分は行く、とテルミに伝えました。息子は、それが正しい道だと迷わず答えました。私は驚き、考えが乱れ、思わずストーンの偶然性に頼りました。……おかしなことをする女だとお思いでしょうが、偶然には真理が宿ると私は考えます。……石の配置は、安定への執着を捨て、動き突き進むものに従えというメッセージを表わすものでした……」

 おいおい、ずいぶん神がかりな奥さんなんだな。パワー・ストーンの使い手なんだっけ。

 オレは信じちゃいないが、奇妙な安心。偶然が味方してくれてるんだったら、これからオレがやろうとしている無茶も少し救われる。

 それにしても。

 オレは自分の頭をかりかり掻いた。この不思議な感覚は、いったいどこから出てくるんだろう。
 さっきのフキとテルミの会話。
 オレ、ちょっとどうかしてる。これって誇大妄想かな。頭がすかんと抜けてでかい情報がどしどし通って行ったような気分。

 ためしに言ってみた。

「フキ、chot07、0w20」

 振り向いたフキが即答。

「fkw2、chot7」

 わ、通じた。

「あなた、ミランの言葉がわかっているの?」悲鳴っぽく言うマナビちゃんにぶるぶる首を振り、「いや、わかんねぇよ。ただ、今さっき言ってたことを聞いたら、ちょっとパターンが見えた気がしたんだ。字の並びを単語やイメージに置き換えてんだろ。……合ってたのかな」

 マナビちゃんが何かの啓示でも見たように、アソビちゃんが気味悪い人を見るように、オレを見つめている。テルミはにこにこしてる。

 フキは、さっさとオレの横にスタンバイして、次のアクションを待ってずんずん顔を覗きこむ気配。

「chot7、w1w2、wof10」
 マナビちゃんが宵の明星みたいに光る顔でそう呟いた。わかった。困ったことにわかった。

『お行きなさい、共に。祝福します』
 そう言ったんだ。

「sdr7」
 オレは少し力なく笑ってそう答えた。

 たぶんこれは、ありがとう、って意味だ。



 よく分からない充足感と心細さでいっぱいになって娯楽室を出てくると、廊下にケンズとエミョンが茸みたいに並んで生えて立っていた。先生に立たされたダメな生徒みたいに。

「トビオさん、すいませんっ」
 エミョンが頭を床に着くぐらい下げながら、手に持っていたさすまたを差し出す。そう言えば宿舎の玄関口に投げ出したままだった。

 受け取りながら、オレは微妙な困惑。わかるような気がしないでもないが、なんでエミョンはこんなに恐縮してるんだ?

「わからん」
 とりゃー、と裸足の足でエミョンの脇腹を撫で上げる。「なに謝ってんの、お前は」

「だって、僕」上げた顔が蒼白で目ばかり赤い限界フェイスのエミョン。隣のケンズも似たり寄ったりの変な顔色をしている。「昨日ほんと、最低でした……。ピーフケさんがあんなにやられてるのに、何もできなくて。盗聴器とか作って、プラクティカの皆さんに認められてると思って、思い上がってたんです。僕が甘かったせいで、ピーフケさんが……」

「俺の方が最低だよ」ケンズまで枯れそうな声音で言う。うつむく。「役目がないからって、ここでぷらぷらしてて。ピーフケ、本気で怪我がヤバいんだろ、意味なくても加勢に行きたかったのに。何にもできないことが悔しすぎるんだ」

 オレはさすまた抱えてフキを見上げ、う、とか頷いてるのを意訳する気持ちで言う。

「あのな。お前らがへこむ理由は何もねぇよ。問題があるとしたら、プラクティカのオトナたちの、連携の下手くそさだ。……あんまり、頼りきるな。あいつらだってただの人間なんだ。見通し誤ることもある。責任、自分にあるなんて思うなよ。オレらガキかもしれねぇけど、できること、せいいっぱいやってるじゃないか」

 え、と、ぼけた顔を揃って持ち上げる二人を見てたら元気が湧いてきた。なんだ、ここにも仲間がいるじゃないか。気持ちわかってくれる、馬鹿でナイーブなオレのダチ。存在するだけでも本気で助かる。

「ありがとな、ピーフケは寝てりゃ治るって医者も言ってる。たぶん、いちばんの薬が今ごろヤツの枕もとに駆けつけてるよ」

 そういえば、壱子センセイが緊急事態だとか言いながら、トラックで突っ走って行きましたけど……? と言うエミョンの台詞にオレはニヤリとしてしまう。走れ走れいっちゃん。ただし事故るなよ。

「さて、オレも行くか」
 晴れ晴れ言ってるオレをのけぞるように見て、友だち二人はうずうず心配な尻をうごめかせる。

「トビオ、どこ行くつもりだ? 何をするんだ? 何でそんなに確信ありそうな様子なんだよ? 一人で何かするつもりなのか? そんなの、ずるいぜ」

 ケンズの強い声に、エミョンもきれいな顔を張りつめさせる。「そうですよ、トビオさん、あなたは一人で分かってて、一人で行動して……置いて行かれる者の気持ちがわかりますか? 確かに、こんなつまらない僕だけれど、昨日みたいに追い払われるのは残酷ですよ」

 え、一緒に来るつもりか?

 わざと驚いて訊いてみると、うん、と固い確信。オレはさすまたをどん、と床に突いてきっちり言う。

「あのな、危ないぜ。正直言うと、おそらく命とかがどうかする。……勝算とかないことを、オレはやろうとしてる。それでも、行くのかよ。お前ら、頭いいし、夢もあるんだろ。こんな戦争の末端みたいなところの、たかがオレの考えるつまらねぇ作戦に乗っかって、大馬鹿するつもりがあるのかよ」

 ある、と二人してうなずく。怖い目だ。

 無茶苦茶だ、お前ら。

「いつ、逃げてもいいぞ」

 逃げません、逃げるかよ、と合唱。困った友だち連中だ。

「そうか。……ケンズさん、あんたバイクの免許持ってるか?」
 いや、原チャ免許、と悲しい返答。
「別にいいけど、二輪動かせるか?」
 ケンズの口もとが不敵にうごめく。昨日見た通り、相当に不法ドライブやってるな。

「ボクが、できますから」
 おっそろしいエミョンの発言。

「いや、エミョンお前十四だろ。免許ないし、そもそも乗ったことあるのかよ」

 いちおう突っ込むが、エミョンは尻ポケットから六角レンチとニッパーを取り出して春風みたいに微笑む。そうか、シートかフロント外しちゃって配線引っぱり出してつないで勝手に……って、それは直結だろ、犯罪ですエミョン君。そこまでしてくれとは言ってない。マンホール時代の知り合いが、そんなことやって単車パクリで稼いでたな。

 しかし。

 オレは優秀で良い子なエミョンのイメージを修正。いったい何やって世の中しのいできたんだエミョン。メカに強い頭を生かしてプチ窃盗人生か。底知れないな。

 やれやれと頭を振って、オレはさすまたを握りなおす。
「とりあえず、タンさん見つけよう。あのバイクと道路地図、借りたいんだよな」

 言う端から目を輝かせる友だちふたり。お前ら、相当に馬鹿の素養があるぜ。



 エミョンが直結して盗んでくれるなら、借りられなくてもいいやぁ、と適当な気持ちで会ってみたタンさんは、異様に興奮してバイクのスペックを喋ってくれた。貸す気、まんまん。

「お前ら、すごいな、いったい何をやらかすつもりなんだ」

 うーんヤクザ屋に突っこむかもよ、と言ってみたら、引く気配も見せずますます高揚する。ここにもナイスな馬鹿が一人。

 タンさんの宿所は簾の揺れる広い和室で、三面の壁際に二段ずつのベッド、って言うかロフト。畳敷き二畳の寝場所を何て呼んでいいのかオレにはわからない。とにかく工員の眠りを保証する涼しげな場所だ。下段の畳にあぐらをかいて、休日を寛ぐ親切なタンさんはどういうわけか水泳パンツを履いている。

「これから、プール泳ぎ行こうと思ってさ」

 元気なタンさんはクロールの真似をしてみせる。「ほんと、この職場は恵まれてていいよ。福利厚生、きっちりしてるしな。俺、はじめてだよこういうの」

 そうかこんな場所もあるんだなタンさん。

「俺も遺棄児童なんだ」

 朗らかに言う台詞にオレたちは全員うなずいてしまう。滑らかな腹に薄く筋肉が引き締まった、背中のでかいオトナの男の体。うらやましい。

「会社から聞いてるけどさ。今のエピスコ、ひでぇ有様なんだろ。国を動かすどころか、ガキや失業者いじめるばっかりで。そんなん、ヤバいじゃん。プラクティカの人たちが、それ変えるために動いてるって、俺ものすごく賛同してるよ」

 オレたちは仏像っぽい笑みでニヤニヤする。そのプラクティカを出し抜いて行動起こすつもりなんて、今は言えねぇ。

「マジ、ありがとうタンさん。道路地図見せてくれるかな」

 あ、貸すよ、とごそごそ枕もとのボックスを探る気のいい兄さん。オレは受け取ってぺらぺらめくり、必要な画像だけくきりと脳に焼きつけた。なぜだかできる。おかしなことに。用なしのポケットブックをエミョンに放る。

「では、行ってきます」

 立ち上がり戸口の前で格好つけると、優しいタンさんが立ち上がって敬礼の真似をした。

 はいマジで、行ってきます。



「二人乗りでは高速に入れないんですよ、トビオさん、わかってますか」

 心配と不安をこもごも入れて言いつのるエミョンに適当な答え。はいはい、わかってますって。

 オレはタンさんの宝物、ディクテイターとかいうパラグアイ製バイクの後ろにさすまた持ったまま無理やり乗って、ノーヘルでへらへら笑う。

 昼寝の真似ごとでオトナたちを油断させた暮れ方の空、カラスとトンボがこもごもに行きかう工場の夕間暮れ、にまぎれて駐輪場に忍んで。

 フキがどうどう前かがみでエンジンを暖めている。タンさんのヘルメットが浮いちゃって似合わない。

 文句言うエミョンやケンズだって、工場の駐輪場から直結でパクってきた適当なバイクに勝手にまたがっている。やあ共犯さん、うるさいこと言わずによろしくね。

 ついて来いよ。

 フキが慎重な加速で走り出した後部から、オレは口笛でびるるると仲間をあおる。



 高速なんか入らない。オレのどうかした脳内地図画像の細かいルートを吹っ飛ばして、三台は都内に向かってる。

 正直、寒い。フキはとんでもない。ディクテイターの能力をぎりぎりに操って、きんきんと冴える夜に向かってぎりぎり速度をつないで行く。真夏なのに震えるほど、体感から熱が奪われる速度。
 でかい体の耳もとで叫ぶルート。フキがうう、と唸る声を返す。どういうわけか今のオレには道のちまちました標識、電柱にプリントされた所番地、ぜんぶクリアに見えちまうんだ。

 頭の中の地図画像をぺらぺらめくりながら、オレは振り向いて後続のホンダとマツダに指令を飛ばす。聞こえているんだかどうだか、必死の追跡モードでバイクを飛ばす悪っちい友だちふたり。ケンズのホンダはぴりぴり道をブレながらも狂気な速度できっちり追ってくる。

 エミョンのライドは優雅で、なかなか格好いい。ぶわん、と車体を沈めながらもコケたりせずに、ゆるゆる路面を呑む動物みたいに這ってつけて来る。困った馬鹿テク。背負ってる荷物には車上荒らし七つ道具と奇妙な改造機器、ガソリン抜くためのポンプまで入ってる。本気に危ないお子様。保安課に引っかかったら一貫の終わりだ。



 休みなく一時間ちょい、高揚したまま走りのめして、ようやく都内の十三区。高台から多摩川をのぞむ、古い墨っぽい屋敷街。
 延々と続く忍び返しの塀の邸宅、すごい面積を平屋で占める純日本建築のおうちを一町先に見て、オレはディクテイターを河原への順路に停めさせた。エミョンとケンズが続く。

「バイク、見張っといて」

 エミョンがバッグパックから盗聴携帯を取り出し、オレに突き出す。受け取る。

「トビオさん、おかしなことになったら、僕ら突入しますから。わかってますよね。僕だってガキだから、後先考えなくなることだってあるんですよ」

 エミョンがオレを脅してるのか。面白いけど笑う場面じゃない。
さすまたを差し出して、友だちに預けた。

「ありがとよ。……でも、突っ込む時にはできるだけのところに連絡しといてくれ。プラクティカでも保安課でも救急隊でも何でも構わないから。オレがやられたら、速攻でリークしちまえ」

 エンジンを切ったバイクが呟きながら冷えていく。時間を忘れたセミの鳴き声と、熟れる夏の匂いを運ぶ静かな風。不穏な夕映え。

 オレはフキを従えて、赤黒くそびえる屋敷に向かって裸足の足を踏み出した。

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