8・北半球一の天才料理人


 玄関の引き戸をがらがらと開けると、中から焼き魚と煮物の匂いがした。
 空気がほわっと暖かい。
 外の冷たい曇り空と、湿った空気をまとわりつかせた靴を、玄関に威勢よく脱ぎ捨てる。
 磨きすぎてすり減った廊下をつるつると歩きながら、私は本日の夕食のメニューを推測する。

「さんま味醂干し。筍と鶏肉の煮物」

 藍染の暖簾をくぐって台所に顔を出すと、玉手さんが四角い体を丸めて、お玉や菜箸を操っていた。

「じゃが芋と葱のお味噌汁。冷奴。梅干」

 そう言い切って師範代の手元を覗く。
「理貴ちゃん、お帰り。メニューは今日も全問正解」
 玉手さんがいつもの如く真面目な顔で答える。真面目な顔をしていない玉手さんを、私は見たことがない。

 うちの母親が亡くなったのは私が五歳の時だから、それ以来ずっとこの無骨な師範代が、我が家の家事をすべてやってきてくれたということになる。
 父の弟子の、とは言え赤の他人の成人男子が、家庭の世話をしてくれていることについて、人に話すと大抵は驚かれる。
 私にとっては、幼時からの当たり前の光景になっているので、もちろん今さら驚いたりはしない訳だけれど。

 それにしても。

 コートを脱いで自分の部屋に置きに行き、洗面所で手を洗って、また台所に向かいながら私は考えた。

 私は、家で料理というものをしたことがない。

「玉手さん」
 宮本武蔵の言葉を染め抜いた暖簾をまたくぐりながら、私は声をかけた。
「理貴ちゃん、ご飯前に手を洗ってらっしゃい」
「今、洗ってきたよ。ねえ、私、料理教えてもらいたいなと思ったんだけど」

 師範代は筍の数を数えるのを中断して、まじまじと私の顔を見た。精神の平衡を失ったかと心配しているのだろうか。

「今じゃなくて、暇がある時で構わないから。ほら、ご飯の研ぎ方とか。私なにも知らないから」
 ああ、もちろん構いませんよ、と玉手さんは言い、煮物を小鉢に移しながらしみじみと呟いた。
「理貴ちゃんも、やっぱり女の子ですねえ」
 かちんと来たので、せっかく盛り付けた筍をひとつ掠めて、口に放り込んだ。うまい。
「なに言ってんの。そんなのは全然関係ないの。そういうジェンダー・バイアスに鈍感なこと言ってると、一生女性にもてないんだから」
 意地悪を言って、鶏肉もつまみ食いした。玉手さんは思わぬ反撃におたついている。
「いや、自分は旧いんで、そういうのは、よくわからなくて。ほめたつもりだったんだけれど」
「わかってないなー。じゃあ、玉手さんは、うちで料理ずっとやってことを、誰かに女っぽいですねって言われたらどうするの」
「そりゃ怒ります。自分は男ですから」
「相手が、ほめたつもりだったら?」
 玉手さんは、丸い奥目を宙に向けて考え込んだ。
「よく、わかんないですね」首を振る。
「まあいいや。とにかく、私は一人の人間として、料理しないのが当たり前みたいに玉手さんに甘えてるのは、なんだかおかしいことだって思ったの。考えてみたら、料理って面白そうだし格好いいし」
 玉手さんが目をむいた。「格好いいですか?」
「うん、格好いい。だから、教えて」
「じゃ、まず、そこの豆腐と茶碗をお盆に乗せて、座敷に運ぶところから」

 配膳をやらされながら私は、有能な料理人になった自分を想像した。何を作るだろう。ポルチーニ茸のトルテリニとか、鶏のパイ包み焼きとか、マッケンチーズとかそういうのだ。さんま味醂干しは作らない。

 玉手さんはかなり料理が上手だと思うが、いかんせんメニューが限られている。うちの父の好みに合わせているのだ。
 ほぼ毎日が魚、煮物、味噌汁といった正しいラインナップなのだが、これが判でおしたように毎日続く。いくらおいしくても、結構げんなりしてくる。
 レパートリーも多くはない。季節感もあまり関係ない。四季を通じて週に一度は筍の煮物が出てくるのである。
 父はそれでまったく構わないらしいのだが、私は構う。だから時々、お隣でご馳走になっている。
 美弓のお母さんも心得たもので、ビーフシチューを一週間分作ってしまったとか、ピザをオーダーしすぎたと言っては、声をかけてくれる。
 私はこうして人の厚意でのんびりご馳走になるだけで、制作するという苦労をしたことがないのだ。不幸なことだ。
 おかげで私は、ゆで卵というのは剥いてから茹でるのか、茹でてから剥くのか、いちいち論理的思考力を働かせないとわからないのだ。

 北半球一の天才料理人になった自分を夢想していたら、お味噌汁を運ぶ時に親指を突っ込んではいけません、と玉手さんに叱られた。


 臆病であってはならない、と、私は常々考えている。
 それは今、目の前で満足気に味噌汁をすすっている、うちの父の口癖でもある。

 道場で型を習う時にうるさく言われたことだが、打ち込むときも、受けるときも、怖々では正しい距離に飛び込んでいくことができない。おかしなためらいが災いして、かえって自分も相手も怪我をしてしまったりするのだ。とことんまで打ち込んではじめて、寸止めする間合いがわかるものだ、とも教わった。
 臆病は無駄なトラブルを呼ぶ、というのが父の持論だ。
 とは言え、道場の中ではそんなことを言って澄ましているが、日常生活では父もどうかと思うところがたくさんある。

 昔、お弟子さんに、故郷の土産です、とハチの子の佃煮を頂いた時。
 滋養があるそうだから、と嬉々として缶詰を開けた父だが、そのビジュアルの迫力に負けたのか、箸がぱたりと止まってしまった。
 それでいて、私には食べさせようとする。気持ち悪いからいらない、と答えたら、

「臆病であってはいかんっ」

 と、叱咤するように言い放ったのだ。(勇気を出して食べてみたハチの子は、意外な程おいしかったので、嫌がる父の目前でゆっくり見せびらかしながら食べてあげた)。

 ともかく、そのような言行不一致はたまに発生するものの、基本的に私は、物事には勇気を持って体当たりをかましていきたいものだと考えている。

 しかるに、今日の機関車ひろば。
 私はなぜ、コバ先生に見つからないように、逃げるようにその場を立ち去ったのだろうか。
 それは、臆病なことだっただろうか。

 考えながら冷奴をつつく。ぷるぷる揺れて、ほろりと崩れやすい冷奴。クールなようで脆いところが、今の私の気持ちになかなか近い。
 臆病というのとは違うようだ。動揺と寂しさといたたまれない気持ち。
 それは、あの時あの場所でのコバ先生の気持ちとすごく似ていたんじゃないかと思う。
 見て取ってしまう気まずさ。それを隠す気遣い。隠した分だけ後で心は重くなる。
 美弓が一緒にいたらどうだっただろうか。
 洞察と気配りでは、さらりと私を凌駕する美弓だ。たぶん私よりずっと先に、先生の異様な緊張感を察知しただろう。
 たぶん美弓もそっと引く。隠れる。見なかったことにするだろう。または緊張が感染しすぎて派手に転び、要らぬ注目を集めてしまったかもしれない。いずれにせよ後で、心が重くなるだろう。
 美弓が一緒にいなくてよかった、と、私は初めて、生まれて初めてそう思った。

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