6・悲しきポニーと冷めたやきそば


 このところ美弓の様子がおかしい。

 何を聞いてもかなりの確率で上の空だし、いつも以上に素っ頓狂な、かみあわない言動が多い。
 ぶらぶらダンスもバージョン5・1で止まったままで、新しい踊りを披露する気配がない。先週までは毎日のように更新していたのに。

 昨日、機関車ひろばのイベントに美弓を誘ってみた。機関車ひろばというのは、この町の公会堂に隣接して作られた、市民の憩いの公園だ。D‐51を模したすべり台が置かれ、休日には露店が出る。
 そこで、「ポニーとふれあい・みんなの移動どうぶつえん」という出し物があるというので、美弓に声をかけてみたのだ。いかにも美弓好みのイベントだ。
 しかし、返答は芳しからぬものだった。
「あしたね、あした、ええと、用事あるの」
「なんの用事?」
「……その……ダライ・ラマに電話をかけるから」
 暗号を出されたらお手上げだ。妙にそわそわしている美弓には「そう」とだけ答え、私は一人でポニーに触れあいに行くことにした。


 先週の上天気とうって変わって、泣き虫みたいな空模様だ。夕方のように暗く、時々ぽつんと霧のような水滴が落ちてくる。
 ポニーは子供に取り巻かれ、長いまつげをぱちぱちさせていた。辛抱強くじっと立っている。
 こんな天気なのに、あるいはこんな天気だからか、機関車ひろばはずいぶん賑わっていた。秋の休日とは言え、あまり遠出にうってつけな日和とは言えないからだろう。
 私はポニーを見て、色々な種類のリスを眺めた。バターポップコーンを食べながら、ぷらぷらと歩く。美弓がいたら、モルモットを触りたがるだろう、と思いながら。
 レゴみたいな色合いのオウムが、羽を触った子供に向かって何かわめいている。何となく通子叔母さんを連想する。

 売店で暖かい紅茶を買った。
 湯気をふうふう吹きながら、またポニーのところに戻る。

 ポニーの柵のまわりには、相変わらず沢山の人が押し合いへし合いをしている。
 触れあうというより、みんなで囲んで視線で射ころしてるみたいだなあ、と思いつつ、ギャラリーを眺め回していたら、知った顔が目に飛び込んできた。
 あっ。誰だっけ。と一瞬思ったのは、あまりにも普段と違う顔つきや様子をしていたからだ。

 おそろしく真面目でつやのない表情の、コバ先生だった。

 湯気の出ていない焼きそばのパックと、白いプラスチックのフォークを三本、あぶなっかしく胸の前で抱えている。
 小柄で色白な女の人と一緒だ。黒いウールのコートを着て、美人だけれど頬のあたりがすごく硬い。石膏像のように。
 そのコートの裾をつかむようにして、やっぱり硬そうな頬をした女の子が立っている。三歳ぐらい。もっと上だろうか。幼稚園ぐらいの子供は、もっとふかふかした頬をしているような気がする。

 女の子は、くさい猫か何かを見るような目つきで、ポニーをじっと見ていた。
 大人の女の人は、そんな子供の様子をじっと見ている。
 コバ先生は、困ったように、女の人の横顔をじっと見ていた。

 ここでポニーがコバ先生をじっと見ていたりすると、視線の堂々巡りみたいで面白いのだけれど、そんなことはなく、仔馬はぱらんと尻尾を揺すりながら空中を眺めているだけだった。

 コバ先生をじっと見ているのは、この私だ。

 小さい女の子の肩に雨粒が落ちたのか、先生が手を伸ばして払おうとする。ひどく、ぎこちなく。女の子は、嫌、というように身を揺すってその腕を避けた。
 所在無くなったコバ先生の掌に、女の人がさらりと素早くハンカチを渡す。コバ先生の顔は見ないまま。
 先生はハンカチで、無意味に自分の袖や肩先を拭くふりをした。焼きそばのパックが傾いて、フォークが地面に落ちた。

 ああ、と私は思った。
 さっきまで熱々で、指先を鋭く暖めていたカップの紅茶が、急にひどく寒く冷めていくような気がする。

 そうか。

 私はさりげなくゆっくりと身を後退させ、人ごみの中にフェイドアウトすることにした。
 ゆっくり、自然に。先生に気付かれないように。
 見てはいけないものを見てしまったのだ、と思った。

 悲しい光景。
 一時間前の焼きそばのように冷めてしまった、コバ先生のプライベート・ライフ。

 灰色のポニーにぽつぽつと雨だれが落ちる。
 白いコンクリートの床に、加速度をつけて水玉模様が増えていく。

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