5・チョコレート・バーの飛来と、わりばし鉄砲による狙撃


 授業中、あたしはなんとなくいやな気配を感じて、窓のほうに首をめぐらした。

 教室のそと、はい色にけむった遠くの空から……すごいいきおいでなにかが近づいてくる。くろく、うすべったく、長方形をしていて、くるくると宙を回転しながらまっすぐにこちらにむかってくる。そうとうに大きなものだ。
 あぶない、とあたしは立ちあがって声をあげようとした。体がうごかない。声もでない。それなのに気持ちがこまかくぶるぶる震えている。冷えてかたまりすぎたゼリーみたい。

 教室のだれもが、飛んでくるくろい物体に気づいていない。ちょっと左を見てくれたらいいのに。

 遠くの日ざしを受けてにぶく光るそれは、真っくろなただの一枚板だった。こくばんのような。チョコレートバーのような。
 ありえないほど巨大であることが、だんだんに近づいてくるようすを見てわかった。プロペラのように回りながらまっすぐに、校舎にむかって突っこんでくる。

 窓の外いっぱいにそのくろい影がひろがって、あきらかに外光がかげったというのに、教室のみんなはだれも気がつかない。先生も。理貴ちゃんも。笑っている。へいきで。
 くろい壁そのものが窓に激突する前に、風圧でいっしゅんガラスが内がわにたわんだ。

 耳をやぶる轟音。

 日焼けしたカーテンがまん丸くふくらんで、破裂するように裂けた。豪華な雨のようにこなごなの窓ガラスが横にふりそそぎ、ついで壁が床が天井が机が椅子が、いっしょくたになってこまかく割れる。クッキーのつめあわせを踏みつけたように。けむるほどの砂ぼこり。悲鳴。蛍光灯がぶらさがってぱちぱちとまたたき、消える。割れる。

 理貴ちゃんが見える。スペシャルな運動神経で、はねまわるがれきを飛び石みたいにぴょんぴょん伝って、けがをした人を助けている。いつのまにか、工事現場のようなあおいビニールシートにくるまれた、ぐねぐねと芯のない物体を抱き、理貴ちゃんは道を走っている。あたしもいっしょに走っている。すさまじく胸をどきどきさせながら。汗をかいたおでこに風。理貴ちゃんと同じはやさで走っている。

 河原のようなばしょに、理貴ちゃんはそのつつみをゆっくりと下ろした。なにかつぶやく。たすけられなかった、そう聞こえ、あたしは心臓がやぶれそうになる。
 ビニールシートのあいだから、腕がのぞいている。指先からみるみるあおくなっていく手。小泉君だ、とあたしは確信している。理貴ちゃんがシートをとりのぞこうとしている。こわい。見たくはない。それでもあたしはまた体を動かすことができない。目も動かない。あろうことか手をかしてシートをはがしている。あおいビニールの裏をかたまりかけた血がすべって、あたしたちの足もとになまなましい沼をつくる。小泉君の顔は

「うわっわっわっわっストップ、やめっ」

 叫んだつもりで舌がもつれた。あうあう、と言いながら鳥のように両手をばたばたさせる。
 もがいて、もがいて目をさました。とちゅうから、夢だとはわかっていたのだ。わかっているのに見つづけてしまった。まだ動悸がとまらない。
 なさけなくもわなわな震える右手をのばして、カーテンをすこし開ける。もう陽が高い。
 つやつやにみがいたガラス窓からさしこむ光はあたたかいのに、脇のしたや首すじがひやりと冷える。ひどく寝汗をかいたのだ。
 ほう、と、あたしは息をつき、あせばんだおでこを手の甲でぬぐう。
 夢を見ただけだ。こわい夢を。
 そう自分に言いきかせても、なかなか心臓がおちつかない。すっごくなまなましかったのだ。破裂する教室。理貴ちゃんがかかえてはこんだ小泉君の死体。

 小泉君。

 コバ先生の作戦で、理貴ちゃんといっしょに訪ねてみたのが二週間ほど前だ。あいかわらず、小泉君は学校に来ないし、コバ先生にきいても肩をすくめて舌を出して目玉を回す(このジェスチャー、意味不明)だけ。
 小泉君の身に、なにかあったんじゃないだろうか。
 あまりに鮮明な夢のせいか、あたしはそんなことを思った。
 彼のおかあさんは、「わたしが守りますっ」とヒステリックに言っていた。て、ことは、小泉君はなんらかの危険にさらされているのかもしれない。死んでしまうようなことかどうかはわからないけれど、ほんとうにあぶない状況にあって、それで学校に来られないのかも。
 そう考えたら、よけいにドキドキしてきた。
 心配。あたしは、すっかり汗でしめってしまったベッドから抜けだした。もこもこしたしろいスリッパに素足をつっこみ、いそいで洗面所にむかう。

 もういちど見に行ってみよう。小泉君のうちを。
 なにかわかることがあるかもしれない。危険なら、助けられるかもしれない。

 いさましく歯ブラシをかまえ、あたしは鏡のなかの自分を見つめ、せいいっぱいきりりとした顔をしてみた。


 どうしてこんなに快晴なのか、と思うのだ。

 まがりなりにも、あたしは秘密の任務をおびているような気分でやってきたのだ。ゴロゴロと遠雷とどろけとは言わないが、もうすこしスリリングな空模様にしてくれたってかまわないではないか。
 ぽかりとぬくもった日曜の昼さがり、九月下旬なみのあたたかさです、とテレビの天気予報がうれしそうにつげている。
 住宅街にはうきうきと洗車するおとうさん、孫をさんぽさせるおじいさんおばあさん、塀の上にはだらけて伸びきったネコ。
 そんな脱力タウンを、内心はクールでタフなスパイ気分で、外見はのんきな中学生女子がこれから駅前の手芸屋さんに行って毛糸買ってマフラーでもあんじゃおうかしらんらんらん、というふぜいであたしは歩いていく。
 好きでそんなふぜいをかもしだしているわけではないが。

 どういうわけか、あたしがいくら全身に力をこめてがんばってみても、緊張感というものが一ミリも出てこないらしいのだ。
 よく、コバ先生があたしの顔をながめて、「あー浜田を見るとほんとーに肩の力がぬけるわ、あーははは。楽々ー」などと失礼なことを言っているが、あたしだっていちおういろいろ大変なんである。

 半年ほど前、ひとりで電車に乗っていたら、目の前にすごくこわそうなおじさんが座ったことがある。
 ばりっとしたはでなスーツを着て、きんきんの腕時計や指輪をして、頭のてっぺんから足のつま先までトータルでいかつい。耳が片方しかなかった。
 あたしのまわりに座っていた乗客は、いっせいに下をむいた。それぐらい、迫力あるおそろしいおじさんだったのだ。
 おじさんは、あたしの顔をじいいいいいっと見た。ひゃあ、おっかないなーと思っていたら、おじさんは、うすでよくすりつぶしたような声で、とつぜん言ったのだ。

「嬢ちゃん。かいらしのう」

 うちのぼんの子ォによお似とう、と言ってしきりにうなずいていたが、やがておりる駅に着いたのか、立ちあがってあたしの頭をぽんとなでて、「お菓子ん、買い」と言って千円札をあたしのひざに置き、行ってしまった。

 ひざの上のお札を見つめて、あたしは複雑な思いだった。

 おじさんの息子の子どもといったら、まだあかんぼうなのではないのか。

 話が脱線したが、かくのごとく見くびられやすいあたしは、あわいオレンジのマフラーをふわんと巻きなおし(必要ないほど暖かかったのだが)、顔を隠しぎみにして、小泉君の家へとむかう。
 ぽーん、ぽーん、とボールをうつ音と、歓声が風にのってくる。テニスコートがちかいのだ。
 小泉君の家があるブロックを、あたしは道にまよったふりをして、右まわりに二回、左まわりに一回まわった。
 目あての家は、正面からしか見ることができない。
 両がわの家から押されるようにして建った、ごくせまい敷地の二階建て。路地から三段の階段があって、玄関のちいさなポーチにつづいている。こげ茶色の鉄のドア。古びていないが真新しくもない、ベージュ色の壁。二階に窓がひとつ。
 小泉君のへやの窓だろうか。
 だれもが窓を全開にして、外のあたたかな風を取りこみたくなるような日であるのに、ここの窓はきっちりくっきり閉じられたままだ。
くすんだしろいカーテンが窓の内がわをガードし、永遠にひらかないような気配。ねむりひめのいるお城のいばらみたいに。
 ドアのチャイムを鳴らしてみようか、どうしようかとためらっていたそのとき。

 ぱしっ、という音がした。

 軽いキルトの上着のすそに、なにかが当たったような気がしてあわててふりむく。
 そこでまた、ぱしっ。こんどは襟もとだ。はじけるように、小さなものがたしかに当たった。
 なにっ、と声を出して首をめぐらし、それが飛んできた方向を見る。
 道のむこう、十メートルもはなれていないあたりから、電柱のかげにかくれているつもりなのだろうが、あきらかに丸見えの男の子、わりばしで作った鉄砲をかまえ、こちらをうかがっていた。
 小学三年生ぐらいだろうか。輪ゴムを連発で飛ばす武器をたずさえ、なかなか不敵な顔をしているが、なんのことはない。半ズボンをはいたちびっこだ。
 また輪ゴムを撃ってこようとするので、こらあ、とげんこつをふりあげて威嚇しなくてはならなかった。子どもは逃げもせず、じりじりしたかんじでそこに立ちつくしているので、あたしのほうから近寄っていった。
「なにすんの。いたずらしないでよね」
 わりばし鉄砲を取りあげようとしたら、子どもはあわてて両手を体のうしろに回し、かくした。このかっこうは学校でよく見たことがある。

 男子生徒が、ゲーム機やアイドルの写真集を、こっそり学校に持ってくることがよくある。禁止されているのに。そうすると、友だちどうしで見せあいしているところを、コバ先生に見つかってしまう。かならず。
 ひとつの例外もなく、かならず見つかってしまうのだ。男子はかくしごとが実にへたである。
 コバ先生に現場を押さえられた男子は、せっぱつまってブツを体の後ろにかくす。そうするとコバ先生は、こしょこしょこしょこしょ、と生徒のわき腹をくすぐる。じつに楽しそうに。こしょこしょこしょ。男子は笑って笑って笑ってしまって身をよじり、御禁制のブツをとり落とす。それを先生がすばやくひったくり、没収するのだ。

 あたしもおなじ手口を使ってみた。身をかがめて、その子供のわき腹をこしょこしょこしょ。
 男の子は必死になってもがいていたが、やがて、ぷーっ、とふきだすと、こらえられなくなって笑いはじめた。顔をまっかにして身をくねらせ、わりばし鉄砲をとり落とす。
 あたしはそれを、さっ、と拾いあげた。
 こづらにくいちびっ子の頭に照準をさだめ(るふりをして)、鉄砲をかまえる。
「こら。なんであたしを撃ったのよ」
 男の子は真顔にもどり、かえせよー、と手をのばすが、もとより身長の差にはかなわない。ぴょんぴょん飛んだり、ひっかこうとして爪をむきだしたりしたが、あたしは余裕で攻撃をかわしてやった。
 ししっ鼻に、セサミストリートのマペットみたいな大きい口。なまいきだけれど、どこかひょうきんな顔をした子どもだ。

「おまえは、小泉のにいちゃんのみかたか。それともてきか」

 ふいに、男の子がそんなことを言ったので、あたしは瞬時あっけにとられた。
「小泉って、ここのうちの小泉君? 小泉カツノリ君?」
 そうきくと、子供はおもおもしく、そうだ、とうなずいた。
「てきではないと思うよ。クラスメイトなんだ。みかたかな。小泉君が心配になって、来たの」
 子どもは眉根をよせて首をひねった。ちゃ色っぽくきらきらする瞳の中で、あたしがどんな評価を受けているのか想像もつかない。
「コードネームを言え」
 はあ、ときき返すと、オレのコードネームはイーグルだ、と言う。得意気に。
「じゃあ、あたし、ラビットでいい」
 よくわからないままにそう答える。
「よし、じゃあ、来いラビット。作戦をおしえる」
 子供はきびすを返していきなり走りだす。
 あたしは目をまん丸くしたまま、頭の上にわりばし鉄砲をかかげたまま、しかたなくそのあとを追いかける。

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