2・ミッシング・コイズミ


 放課後、廊下でぶらぶらダンスを踊っている美弓を見物していたら、おーい、おーい、とやたらに大きい声がして、コバ先生が両手を車輪のようにぐるぐる回しながら、泳ぐように、踊るように、笑って笑って近付いてきた。

 つくづく思うことなのだが、私のまわりには、理解と説明に困る人物が非常に多い。
 ごく普通に日常の学校風景を描写しようとしたら、前衛的な演劇の一場面みたいなことになってしまった。

 果敢に説明を試みる。

 1・私たちは放課後の学校の廊下にいる。

 2・六時間目が終わった時、同じクラスにいる幼なじみの美弓が「理貴ちゃん、あたし新しいダンスを開発したから見て! 見て!」と迫ってきた。

 3・そのダンスとは、上履きを二足重ねてはき、倒れないように上半身をぶらぶら揺すぶる、というものだった。

 4・何と言っていいかわからなかったので、とりあえず静かに見物していた。

 5・そこに、いつもオーバーアクションな木庭国彦先生が、遠くから騒々しく近付いてきた。

 こんなところである。
 おわかり頂けたであろうか。

 阿波踊りみたいな格好で近付いてきたコバ先生は、
「ちょうどよかった。頼まれてくれないかなあ」
 上気した額の汗をぬぐう。秋も深くなろうという頃なのに、暑苦しい人だ。動きすぎなのだ。

 コバ先生は、あたしたちのクラスの担任だ。
 保健体育を教えている。毎朝、黄色いスクーターでぽぽぽぽと元気よく、学校にやって来る。
 男子にサッカーなどを教えている時などは、なかなか精悍なスポーツマンにも見える。見えないこともない。見てあげてもいい。
 でも、保健体育の授業で、二次性徴についてやたらに詳しい図など描き、だじゃれを飛ばしながらレクチャーする普段の姿は、ただの面白がりなおっさんだ。

「頼まれるって何、なに、なあに」
 いつのまにかぶらぶらダンスを止めた美弓が、手に古い上履きをはいて叩き合わせながら言った。埃と汗のにおいがする。やめてほしい。
「あのなあ、クラスに小泉カツノリってのがいるだろう」
「いるねえ。来ないねえ」
「見ないね。どうしてるかね」

 消えた小泉君。ミッシング・コイズミ。

 線が細くておとなしい小泉君は、一学期からすでに、そこはかとなく影の薄いクラスメイトだった。
 いじめられていたというわけではなかったが、いっぺん昼休みに給食を盛大に吐いてしまってから、皆ちょっと引き気味だったかもしれない。
 小泉君も、それを気にしてか、友達を作りづらそうにしていた。
 二学期が始まり、しばらくしてから、ぽつぽつと病欠が目立つようになっていった。
 そしていつの間にか……本当にいつの間にか、影のように(食べ残したところてんが排水溝に吸い込まれるように、と美弓は表現した)小泉君はクラスから消えてしまったのだ。

「電話してもずっと留守電で、親御さんも何も言ってこないんだ」
 コバ先生は情けなさそうな顔をして、がりがりと後頭部をひっかいた。
 コバ先生の肩はずいぶん厚くて、私と美弓が左右にゆうゆう乗れそうな気がするくらいだが、どういうわけだか、情けない顔が非常に似合う人だ。
「家には行ってみたんですか?」
 聞いてみた。コバ先生がますます情けない顔になったので、私は内心やったぜと思う。
「門前払いだ」
 どういう意味なのか、先生は両手を打ち合わせてパッと開くような動作をした。
「インターフォン越しに小泉のお袋さんが、学校の人は信じませんとか何とか、きっつい、おっかない声で応えて終わりだよ。どうなっとるんだ、あの家は」また後頭部を掻く。ふけが出るからやめてほしい。
「先生きらわれてるのだ」
 両手両足に上履きをはいた美弓が、救いのないことをずばりと言う。
「うーん、そうだなあぁ(情けない顔のわりには呑気な声で)。それでだなあぁ。頼みがあるんだなあぁ」

 コバ先生は、人を懐柔しようとする時に、妙に語尾をのばした喋り方をする、と私は読んでいる。

 頼みというのはこうだった。
 謎めく小泉家は、担任が行っても、学年主任が行っても門前払い。スクールカウンセラーと、教育相談所のコンサルタントがタッグを組んで、やんわりと声をかけに行ってみてもだめだった。つきましては、クラスメイトが一番よろしいのではないか。渡すべきプリント類を持って、小泉君を訪ねてほしい。コバ先生は見えないようにこっそりと、生徒の後をついて行き、小泉君および家庭の事情を後方から探る、と……。

 聞き終わって、私は言った。
「つまり、コバ先生は、私たちを盾にしようとしてるんですね?」
 うっ、といっぺん喉の奥で声を詰めた先生は、あざとい快活さを装って言った。
「いっや、違う、違うよおぉ!(豪傑ぶって空笑い)ほら、お前ら二人はなんと言うか、その、人の心を察するのがうまいからなあぁ!(腰をくねくね振る)小泉とちょっとでも話せたら、するどく状況を見てくれるんじゃないかとおもってなあぁ!(両手を腰に当てて前方を仰ぐ)」
「盾だ」
 美弓がきっちりと言った。私も同意する。
「そうね、おっかないお母さんに怒鳴られるのが、本当は怖いだけなんですね。いいですよ、プリント届けても。でも、見返りがいるなあぁ」
 私は腕組みをして重々しく笑い、コバ先生をひるませた。


 夕方の商店街は、ハワイアンの調べ。

 街頭に設置したスピーカーから、いつもがらがらした音で音楽が流れているのだが、一応その季節や行事に合わせて音楽がセレクトされているはずだった。そう信じていた(お正月はつん、つくつくつくつん、と琴の音色。子供の日にはやねよぉり、たーかーい、こいのぉぼぉりー)。
 今年の晩夏に、商店街の世話役さんの心境にどんな変化があったのかわからないが、ある時以来ずっとノンストップでハワイアンになってしまった。
 秋風吹く街角にハワイアン。
 いし、やあぁきぁいもー、おいもっ。の声に被さるハワイアン。究極のリミックス。
 そんなトロピカルな商店街で、私たちは寒さに身をすくめながらたこ焼きをつついている。
 小泉家突撃取材を敢行した謝礼としての、たこ焼きである。
 小さな吹きさらしのスタンドで、たこ焼きを食べたり一杯飲んだりできるようになっている、私たちのお気に入りの店だ。名前は「サムライたこ焼き」。サイケな色の看板に、武将が刀でたこ焼きを突き刺している下手なイラストが描いてある。
 がたがたしたスツールで食べるたこ焼きは、何だかお祭り気分でおいしい。ソースと油のこげる匂い、生姜の香りの湯気。
 コバ先生が横でビールを飲んでいるので、お酒くさくて嫌だ。しかしスポンサーの意向には逆らえない。私は美弓の方に顔を向けてたこ焼きを食べる。
 美弓は、たこの代わりにタルタルソースとハムが入った、謎めいたものを食べている。一心不乱に。

「難攻不落だなあ、ありゃ」
 ぷはー、息を吐いてコバ先生が言う。寒いのに冷たいビールを飲む。大人ってヘンだ。

 難攻不落、とは、小泉ママのことだろう。
 私たちは、小泉家のインターフォンから、「お帰りください」「お話しすることはありません」「答えられません」「プリントは新聞受けに入れなさい」など等の、拒否一色のかたい声を散々に聞かされた。
 しかし、美弓があほな子のふりをして「ほえー? わかりませーん」「ドア開けてくれないと渡せないでーす」と頑張ってくれたので(素の反応だったのかもしれないが)、最後にはほんの二センチほど、チェーンがかかったままの扉を開かせることに成功した。

 中から覗いたのは、見たこともないようなすごい目つきだった。
 目じりが疑惑でひくひくと引きつっている。奥の奥の奥の方から他人をうかがうような、すがめた遠い昏いまなざし。
 ぽかん、とした私たちを一瞬だけ睨みつけて、鳥の爪のようにとがった手つきで、さっ、とプリントをひったくった。

「カツノリは私が守りますっ」

 そう聞こえた。ばあんっ、がちゃんと閉まるドア。風圧で私たちの髪の毛がはらはらと踊った。

「カツノリは私が守る、ねえぇ……」
 コバ先生はビールの泡でひげを作りながら言った。
「わからんよねえぇ、あのお袋さんは……」
 おかわりー、と、小ぶりのジョッキをカウンターの方に突き出して、先生はため息をついた。

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