14・サムライたこ焼きの緊急会談


 生徒の父兄と深刻な話をする時に、このロケーションはいかがなものだろうか、と私は思う。

 ハワイアンが流れる冬の商店街。空では不吉な黒雲がうねり、ウクレレの調べにのって漂っている。サムライがたこ焼きを突き刺す看板の屋台。がたがた軋むテントの奥に、電気ストーブの赤い光と、ソースの焦げるエキサイティングな香り。

 ここに慣れきっているせいか、コバ先生は気にする様子もない。
 小泉君のお父さんは逆にひどく緊張しているせいか、場所の奇天烈さに驚きを見せもしなかった。疲れすぎて感情を働かせる余裕もない、というような印象だ。

「何からお話しすればいいか」かじかんだ手でコーヒーカップを包み込む。
「私自身のことから申し上げれば。もう八年も前から、仕事で山梨に行っております。赴任当初はよくこちらに帰っていたのですが、何というか、次第に戻りづらくなりまして。最近では年に一度帰ってくればましな程度になってしまって」
 それはなぜ、と、美弓がひょろりと訊く。いやみにも詮索にも聞こえないから得だ。
 おじさんは無理した感じで微笑む。「ええ、その、たまに家に帰ってみると、女房とカツノリが二人で一つの人間みたいなんですね。女房はなんでも世話を焼いて猫可愛がりするし、カツノリはそれに際限なく甘えている。私、入る隙間が全然ないんですよ」

 コバ先生の眉がみるみる曇るのがわかる。
 機関車ひろばの寒々しい光景。去っていった奥さんと娘。

「女房はもともと、自分の母親にべったりの女で、その母親が亡くなってからは、今度はカツノリにべったりになったようです。誰かぴったりくっついてくれる人がいないと、いられない女なんでしょうなあ」

 美弓が少し顔を赤くしている。ストーブの熱にのぼせたのだろうか。

「それでまあ、必要でないなら関わらないようにしようと、私も少し意地になって家族を避けていたところがあります。ところが、最近になっていきなり女房から連絡が来ました。困っているのでどうか帰ってきてくれって。まったく、本当に、耳を疑いました」

 あの鋭い目の、ドアを閉ざしたお母さん。

「家に帰ってみて、今度は目を疑いました」

 “助けて、乗っ取られる”

「カツノリがいないんですから。あの、女房の後をくっついて歩いていた泣き虫の息子が。そこにいたのは、見たこともない顔の、怪物のような、怖ろしく汚れた、凶暴な大男でした」
 コバ先生が岡本太郎のように目を見開いて、テーブルのふちをがしっと掴む。私と美弓は目を見合わせ、ハナマゲ、という形に唇を動かした。


「どうして、そんな知らない男が家にいるのか、まったく訳がわかりませんでした。しかし、女房はそれがカツノリだと言う。正気を疑いましたよ。しかし、その大男も乱杭歯――っていうんですかね、歯が全部、口の外にはみ出てるんですよ。その奥から、はっきりしない声で、自分がカツノリだと言う。私が半信半疑でいると、じれて、暴れだすんです。物を壊して、頭を抱えてうめきながら。そりゃ、怖ろしい様子ですよ。

 なんでそんなに姿が変わったんだと尋ねると、呪いをかけられたんだと言うんです。学校でいじめられて、登校できなくなって、そんな自分を陥れるために、学校の誰かが自分に怪物になる呪いをかけたんだと説明するんです。こちらの頭がどうにかしてきそうな話です。

 また、そういう話に女房までのせられて、加勢しようとするんですよ。カツノリちゃんがあんまりいい子だから、周囲の人間が嫉妬するんだと。いつまでも天使のようにかわいくて素直だから、それを妬んだ誰かが、陰謀で無理やり大人の姿にしたのだと。学校の人間も近所の人も、みんな私たち親子に嫉妬して、陥れようとしていると。そういうことを、すわった目で言い続けるんですからたまりません。

 カツノリは、何とかいうテレビマンガを例に持ち出して主張しました。そのマンガでは、子供であることが善で、呪いにかかると怖ろしい姿の大人の悪魔になってしまうそうで。自分はその悪魔に体を乗っ取られ、そっくりになってしまったんだと言うんです。

 私は呆れました。体はいきなり大男になっても、言っていることは小学生以下です。女房までそれに染まって、やれ呪いを解くための調合薬だとか、祈祷食だとか言って、台所で気味の悪いものを作っているんです。二人っきりで過ごしすぎて、何が現実なのかわからなくなっているようでした。

 いちばん困るのは、時にカツノリが発作のような状態になって、訳がわからず滅茶苦茶に暴れることです。怪力で、止めようとした女房を部屋の向こうまで投げ飛ばしてしまうんです。私が力づくで押さえても、際限なく発作は起こります。へとへとになってしまいます。

 またカツノリが、風呂に入らず、不潔なままにしているのも大問題です。形が変わってしまった、自分の体を直視しようとしないんです。子供のままの肉体のイメージにしがみついていて、今の体はニセモノだからかまうことはない、といった風情です。限界まで汚そうとしているんじゃないでしょうか。もう、臭くて、臭くて。

 散々な目にあって参っていると、今度は二人が私を外に押し出します。呪いをかけている奴を早く捕まえて来いって。ムチャクチャです。自分たちは狙われていて、外の世界に出られないからって。ひどいものです。女房と息子が外に出るのは夜中だけ、人目をなるべく避けて、深夜営業のスーパーにこそこそと出かけるぐらいです。

 私は最近ずっと、家とホテルと本社と山梨支社とを、ぐるぐる巡り歩いてます。生活用品すべてをリュックに詰めて、ずっとキャンプしているみたいな状態です。仕事を休むわけにはいきませんから。もう疲れ果てました。

 正直、女房とカツノリは今、常軌を逸してると思います。二人っきりで閉じこもりすぎて限界が来ているのに、外の世界に出て行くことができない。そのジレンマが、私を呼びつけるという行為に繋がったのかもしれません。

 呪いなんて信じていませんが、あれだけ姿が変わってしまったカツノリを見ると、やはりあり得ないことだとも思えてきてしまうんです。数ヶ月であんなに変わるなんて、やっぱり呪いなんでしょうか? 何か普通でないことが、あの子の身に起こってるんでしょうか?」

 おじさんの言葉が途切れた隙間に、ひゅうと風が吹き込んできた。雨の気配を秘めた、重い北風。私は妙にぞくりとする。
 美弓を見ると、息を呑んだままのポーズで固まってしまっていた。それはそうだろう。小泉君がハナマゲ。数ヶ月でめきめき急成長の、呪いにかかった小泉君とは。私も今聞いた事実で頭がじーんと痺れている。

 先生はと言うと、なぜか決然と握った右拳を机の上に置き、奇妙な熱情で燃え盛るような目つきをしていた。予想外である。ぽかんとして顎をはずしているかと思ったのだが。ひどく真面目な顔で口を引き結び、これもまた私が見たことのないコバ先生だ。

「小泉さん」
 先生が言った。落ち着いた、老ドクターのような声。
「その……。彼は、今のカツノリ君ですが、額が大きくせり出していませんか?」
 おじさんは明らかに図星、といった態度で目を見開き、熱心にうなずいた。「はい、そうです。あの、フランケンシュタインというのにそっくりです」
「手や足が、目立って大きくなっているのではないですか?」
「なっています。今は私より掌が大きいんです」
「頭痛を訴え、時に吐き気をもよおし、錯乱して暴れたあげく昏倒してしまうんではないですか?」
「そうなんです、女房はそれが呪いの証拠だと言い募るんですが」
「顎が大きくなって、歯が全部前の方に飛び出しているんですね?」
「そ、その通りです。見てきたようですね、どうしてわかったんですか? 」
 コバ先生は苦渋と理解と不安がごっちゃになったような、不思議な様子できっぱりとうなずいた。立ち上がる。私たちもつられて、慌ててガタガタと起立する。

「小泉さん、それは呪いなんかじゃありません。病気です。脳の下垂体というところに腫瘍ができて、成長ホルモンが過剰に出てしまう、非常に稀な病気なんです。本人はものすごく苦しいはずです。はやく治療しないと命に関わります。それに、気圧が低くなると脳圧が高まり、発作を起こして暴れる可能性が強くなります。ちょうどこんな天気の時は危ない。急いで行きましょう」

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