12・コミックファンファンを読む怪人


「で、結局、その人は小泉君のお父さんだったわけ?」
 並んで歩きながら、私は美弓に訊いた。朝日に洗い立ての顔をぴかぴかさせた美弓は、首をかしげながらも頷く。
「うーん、たぶん。生徒名簿で調べたら、名前が同じだったから。……でも、どういうことなのかなあ?」

 一緒に学校に行く途中、私は美弓からちびっ子チームのことを打ち明けられた。小泉家の怪異。ハナマゲの話。謎のおじさんに名刺を渡されたこと。朝のトピックとしては、なかなか衝撃的だ。

「そのおじさんは自宅にはいないって言ったんだよね。じゃあ、小泉君のお父さんがハナマゲである可能性はほとんどなくなるんだ」
「うん。薄汚れてたけど、くさくはなかったよ。小柄でやたら丁寧な感じ」

 学校に続くだらだら坂を、生徒たちが三々五々寄り集まって登っていく。みんなの鞄の金具とブレザーのボタンが、目に痛いほど光る。朝の光は、炭酸水のようにぱちぱち弾けやすい。

「理貴ちゃん、ちびっ子のチームに入ってくれる?」
 美弓が心配そうに訊く。私の気持ちは、「面倒くさい」と「面白そう」の半々だったが、「小泉君心配」というファクターが加わって、参加する方に心が動いていた。
 しかし、なんとなく釈然としない。
 これまでの私だったら、ためらう間もなくイエスとうなずいていただろう。美弓の頼みはイコール私の望むところでもあったのだ。
 しかし、今は。
 美弓がこれまでダライ・ラマを盾に、秘密を作っていたことが引っ掛かる。料理に邁進する時間を割いて、ハナマゲ問題に尽力せねばならないリスクも引っ掛かる。
 私は考えた。こういう時は。

 交換条件だ。

「いいよ。協力する」一拍置いて言う。「そのかわり」

 私は従弟の草也のことを話した。ピートがいなくなった件を話した。
 動物マニアの美弓は、自分のことのように身を入れて真剣に聞いている。どんぐり目を大甘栗にして。
 正直、ピートのことでは私は何も良い手を考えられなかった。草也に大見得をきった手前、後には引けなかったのだが。
「このハムスターを探し出すことに協力してほしいんだ。そのかわり、私はそのチビさんたちに力を貸すから」
 うん、うん、それでいいよ、と言いながら美弓は、すでにその洞察力をフル回転させているようだった。いつもはぴよぴよした口元が、きゅっと引き伸ばされている。

「……ね、その通子叔母さんって、きついことも面と向かってずけずけ言うタイプ?」
 唐突な質問に、私はとまどう。
「ん、どちらかというと、まるで逆のタイプかな。雰囲気でなんとなく、良く思っていないことを伝えるような人」
 美弓はどこか地平線の彼方でも見るような目でうなずいた。「そう。じゃあ、他人にどう思われるか気にしすぎるたちの人だね。そういう人は、ピートを殺すとか、道端に捨ててカラスに食べさせるとか、そこまではできないはず」
 なかなか怖ろしいことを言う。
「そしたら……」美弓は芥川龍之介のようなポーズを取った。似合わないことおびただしい。「やっぱり、誰かに押しつけてしまったっていう可能性が大きいなあ。それも、知り合いじゃない人。知人だったら草也君にすぐばれてしまうもんね」
 その通りだろう。この件は、しばらく美弓の推理に任せておいて大丈夫そうだ。
 私は心が軽くなるのを感じ、考えごとをしたまま学校を通り過ぎそうな美弓の肩を、校門の方にくいっと引っぱった。


 「理貴、美弓、ねえ、ちょっとお! ハナマゲって知ってるー?」

 教室に入るなり、いきなりそんな大声が飛んで来た。私は美弓と顔を見合わせる。
 お喋り大好き・ゴシップ命! の朋美を中心に、十人ほどが顔を寄せ集めて噂話に夢中になっている。男子女子入り乱れて、ハナマゲ話が花盛りだ。
 どういうことだろう。私は自分の席に鞄を置き、とりあえず話の輪に加わることにした。ついさっき聞いた美弓の話では、小泉君の家がある一丁目の方で、コンビニに現れる謎の男を巡って問題が紛糾しているようであった。
 噂話が、もう学校まで伝わってきたのだ。
 美弓も一緒になって学友情報に耳を傾ける。
「もう、すげー、クセーらしいよ。こうばしいぐらい」
「バカお前、こうばしいじゃ意味違うだろ」
「それでさ、それでさ、コンビニで何か買うわけ? 買い物するわけ?」
「それがマンガ。コミックファンファンって火曜発売じゃん。月曜の夜中、入荷するのと同時に買っていくらしいんだよー」
「うそぉーファンファンってうちの弟が読んでるよーあれ小学生向けじゃないのー」
「オレまだ買ってる」「うわ子供っ」笑い声。
 子供向けのマンガを買う謎のくさい大男。
「それって、誰か見たの?」きょとんとした感じで、美弓が口を挟む。ナイス美弓。
 皆ちょっと鼻白んで、互いの顔を眺め渡す。朋美が言う。「ここには、見た人いないけど。だって夜中だけだもん、ハナマゲが出るのは。でも、あたしのお兄ちゃんの友達が、そこの一丁目のコンビニでバイトしてるんだって。見たって、本当に来たんだって。あたし、その人に直接聞いたもん」
 朋美はセミロングの髪を無理やり顔の前にたらすようにして、お化けの手まねをした。
「髪がぼうぼうで、あちこちもつれていて、服もどろどろ。ううーってうなるような声を出すの。その、顔は、ものすごい……」クワッっと目を見開き、歯を大きくむき出した。芝居っ気たっぷりな様子に、皆が思わずノってぎゃあああー、と叫んだ時、教室の戸が開き、コバ先生が陽気なステップで入ってきた。
 噂話はそこでストップし、皆やや興奮した面持ちでそれぞれの席に戻っていく。


「ハナマゲ情報、広まってるね」
 いちょうの葉を踏み踏み、美弓が言う。
 ちびっ子チームとの待ち合わせ場所。なかなか感じの良い神社なのは認めるが、いかんせん寒い。いかんせん銀杏が臭う。

 体を暖めるため、私は武技の型をなぞる。立ち方その壱、から左すり足で半歩進み、右足を対角に回して体を沈め、右肘で脇を固め。

「そうだね、学校まで噂が伝わってるってことは、小泉君問題とはどう関わるんだろう? 明るみに出て、小泉君が助かるってことなの? それとも逆?」
 美弓はまた芥川龍之介化して考え込む。私は右脚を軸にして肘を下げる勢いで左の上段回し蹴り。着地した足を基点に右前方に大きく跳び、裏拳を連続三段突きして構えの姿勢に戻る。

「すげえー」
 のんびりした声がした。神社の参道の方を見ると、ボウリングのピンを縦にギュッと潰したような男の子が、口を開けてこっちを見ている。ぽってりした頬。この子がパンダだろう。その後ろに、青いマフラーをぐるぐるに巻きつけた少年が二人。同じ顔をして突っ立っている。これがイーグルとシャークに違いない。
「かっこいー」
 双子は同時に言った。美弓がなぜか、つんとした顔で走ってきて、私を彼らに紹介する。
「これが新しい同志の……えーと」私の顔をちらりと見る。「バンビ」
 バンビ?
 私はびっくりして美弓を振り返ったが、その唐突な呼び名は、次の瞬間から当たり前のように定着していた。
「バンビさん、よろしく。オレらイーグルとシャーク」「ぼく、パンダ。バンビさん今のワザって何―? 空手? スゲー、カッコいい、強そう。ラビットとはぜんぜん違うね」「なんでバンビだけサン付けなのよー。ずるくないー?」「だってラビット弱っちいから、格下。あきらかに」
 よくわからないノリの会話ではあるが、美弓は確実に彼らと共有世界を作り上げているようだった。新参者として、あまり口を差し挟まないことにする。

 くすのきの根方に集まって、皆でしゃがんでひそひそと「会議」に入る。
 小泉の兄ちゃん情報。またテーミスのカードが庭に落ちていて、「乗っ取られたくない」というメッセージがあったこと。暴れる物音が、ほぼ毎日のように聞こえるようになったこと。パンダのお父さんが酔っ払って夜中に帰った時に、小泉家の前でハナマゲを目撃したこと。
 私と美弓は、中学校にハナマゲの噂が広まっていることを話した。美弓は、子供たちに小泉家の父親について尋ねた。
「知らない」男の子たちは口を揃える。「見たことない」
 パンダのお母さん経由情報によれば、小泉父はタンシンフニンである。仕事人間で、滅多に家に寄りつかないらしい。
「だからさ、きっと、家に戻っても居場所がないから、暴れて家族とケンカするんじゃないか、ってお母さん言ってた」パンダがふっくりした唇で言い放つ。
 私はさりげなく美弓と視線を交わした。
 美弓は小泉父らしき人との邂逅を、この場ではまだ持ち出さないらしい。ぴよぴよの口がくっきり引き結ばれている。

「問題が難しくなってきたね」私は言ってみた。「ハナマゲを確認するのはいいけれど、それと小泉君の家とのつながりがつかめるかどうか、何とも言えない」
 少年たちはうんうんと首を動かした。どうも、やたら頼られているような気配がある。
「このチームに、大人はぜったいに入れないの?」美弓が訊く。なんだろう、と見ると、胸を張って大胸筋の運動をするような動作をする。なぜだかそれで了解できた。コバ先生のことだ。
「うん、小泉君の、ってことは私たちの担任でもあるけれど、信用できる先生が一人いるよ。協力してもらったら、もっと話が解決しないかな」
 私が言うと、イーグルだかシャークだかがうーん、と首がもげそうなほど頭を傾けた。もう一人も、シンクロナイズドスイミングのようにそれをなぞる。
 パンダと三人、額をつき合わせて何か相談し始めた。「ちぇっ」「でもよ」「まじで」などの声が交わされる。数秒で結論は出たようだ。

「ダメ。ありえない。大人は全然、オレらと違うよ。嘘つきだし、子供のことは自分の持ち物だとしか考えてない。信用できないね」
 双子の一人が、きっぱりと言った。

 そうかな、でも、と抗弁しかけたら、パンダのとろりと柔らかい声がそれを押し流す。
「あのね。小泉の兄ちゃんが、そう言ってたんだ。大人になったら変わっちゃうから、ぼくたち、いつまでも子供の心持った仲間でいようって。兄ちゃんは、兄ちゃんも、中学に行ってもぜったい変わらないからって」
 男の子たちは妥協の余地のない目線で私たちを見る。びっくりした。小泉君はそんなに、子供の心であることにこだわっていたんだろうか。中学校は、変化を押しつけるようなひどいプレッシャーだったんだろうか。
「そうかー。わかった」美弓が言い、私も同意する。

 陽が落ち、空気が心底冷えてきたので、今日の「会議」は終わり。双子がぶるっと震え、しょんべんしょんべん、と言ってテニスコートの裏に駆け込んでいく。


「どうしたものかなあ?」
 たどたどしいピアノの練習音が聞こえる住宅街を抜けながら、私は美弓に問う。
「んー、そうねー」
 小動物めいた額と顎の線が、薄闇にほわりと浮かんでいる。美弓の顔。慣れ親しんだ懐かしい顔。
「チームにコバ先生を引っぱってくるのは、だめだよね。あたし、あの子たち裏切りたくないもの。でもね」
 あ、ここが昨日の、落し物ロードだよ、と道路を指差しつつ。
「あたし、小泉君のお父さんらしき人に、電話してみようと思うんだ」
 シンプルに言う。
 どこかの家からの、カレーの匂い。家庭の日常の匂い。
「それで、あのおじさんとコバ先生に話し合ってもらえば……」
 私はぱしん、と左手に右拳を当てた。「そうか。本当に小泉君のお父さんだったら、そこからコバ先生にも事情が見えてくるかも」
「そう」
 美弓は丸い目を私に向け、あまり見たことのないゆったりした笑顔を作った。「あたし、電話してみる」
 OKだった。やっぱり美弓。きょとんとした瞳の奥で、なんとなく物事の筋道をしっかりつかんでいる。
 私は一度振り返り、小泉君の家の方をすかして見た。
 大人になりたくない小泉君。学校で吐いてしまったナイーブな小泉君。今日も、今も、無事でいてくれるんだろうか。

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