1・おもちとみかんとダライ・ラマ


 あたしたちは、ひとつだけ暗号をもっている。

「ダライ・ラマに電話をかけにいく」

 これはあたしと、理貴ちゃんにだけつうじる暗号だ。
 理貴ちゃんと、あたし。美弓。
 あたしたちは生まれてこのかた、十年以上もずっと「まぶだち」をやっている。
(「まぶだち」っていうのは、ほんきでケンカもできるけれど、おたがい命をかけて助けあうような仲のことだって、コバ先生がいっていた)

 あたしは理貴ちゃんのことを、自分の手のひらの裏がわとおなじぐらい、よく知っているし、理貴ちゃんはあたしのことを、理貴ちゃんの手のひらの裏がわとおなじぐらい、よく知っている……と、おもう。
 すくなくとも、あたしは。

 五日ちがいでとなりあった家に生まれて、産院でもお母さんどうしがとなりのベッドだったっていうんだから、あたしと理貴ちゃんの縁の深さたるや、それはもう、ものすごいものだったにちがいない。
 前世で、フタゴムシだったとか。
(フタゴムシというのは、二匹で一セットになっている寄生虫だそうだ。コバ先生が教えてくれた。ことほどさように、コバ先生はろくでもないことばかり教えてくれる。)

 さて、一歳児検診にも予防接種にも七五三にもいっしょに行き、おなじ日におなじ小学校にあがり、おなじくおなじ中学校に入ったあたしたちだけれど、プライバシーはある。
 あたしは理貴ちゃんになんでも話したくなってしまうたちなのだけれど、理貴ちゃんはけっこうハードボイルドな女子中学生なので、口がかたいのだ。
 どこに行くの? ときかれて、詮索されたくないとき。

「ダライ・ラマに電話をかけに行ってくる」

 そう言えばいい。
 きのう、何やってたの? と問われて、秘密にしておきたいとき。

「ダライ・ラマに電話をかけていたの」

 そう答えればいい。
 すっごく便利。
 あたしたちは、この言葉をそんなにしょっちゅう使うわけではないけれど、それでもこのせりふがあるだけで、安心していることができる。
 何でも話せる、「まぶだち」。
 だけれど、ずかずかと踏みこまない。
 ダライ・ラマのおかげで、あたしたちの友情はすっごくうまくいっている、と、思う。


 もちろん、ほんとうにダライ・ラマに電話をかけるわけじゃない。
 ダライ・ラマは、チベットの仏教の、とっても偉いリアル・マスターだ。それぐらい、日本の女子中学生であるあたしだって知っている。

 話のわけはこうだ。

 あたしが四歳のときのこと。
 ぼんやりとしかおぼえていないけれど、リビングにおもちが飾ってあったから、たしかにお正月だったのだと思う。
 あたしはあったかいリビングの床でごろごろして(温州みかんを食べながら)、つけっぱなしだったテレビをながめていた。
 ダライ・ラマが出てくる、映画かテレビドラマだったのだろう。
 ダライ・ラマが亡くなり、その生まれかわりの子どもをさがして、弟子たちが旅をするという内容だった。
 みているうちにあたしは、その番組の中に入りこんでしまったのだと思う。
 だんだん、彼らがさがしているのが、ほかならぬ自分自身なのではないか? と、思いはじめてしまったのだ。

 ダライ・ラマの生まれかわり、あたし、浜田美弓・四歳・イン・ジャパン。

 なかなか見つからない子どもをもとめて、苦しい旅をつづける弟子たちのすがたに、あたしははげしく胸をしめつけられた。
 あせり、おののき、なんとか自分がここにいることを、彼らに伝えられたら……と、思いつめたのだ。

 あとは母の思い出話より。
「もう、あーの時にはそりゃビックリしたわよおう。美弓ってば顔をくしゃくしゃにしてワンワン泣きながらさあ、デンワちてー、デンワちてー、ってとりすがってくるんですものおう。アタシもパパもおろおろしちゃってさああ、だれに電話かけるの、なんでかけるの、って訊いてみたら、美弓が真剣な顔して、ダライラマっ! だって。(ふきだす)あーははははははははアーおかしい、くるしい、ひー(床たたく)」

 その話は、その日のうちにとなりの松本さんちにも伝えられることとなり、あたしの真剣なねがいは初笑いのタネにされてしまったのだった。
 おとなり一家が家をゆすぶって大爆笑している中(松本のおじさんの笑い声は災害のように大きい)、理貴ちゃんだけは笑わなかった。
 ハードボイルドな幼児だったのだ。

「みゆみ、ダライラマでんわできたらよかったね」

 そう言って、四歳児に可能なかぎり同情的なまなざしで、あたしを見つめた。
 たぶん、あたしたちはそのときからたしかに、「まぶだち」になったのだ。

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