ミントガム

  
長編“Machine Gun Etiquette”のフラグメント




 シブヤは谷底。


 色とりどりの車やパネルトラック、猛暑に果敢な二輪がうずを巻いてのぼる道の上に歩道橋、吊り橋みたい、みっしりと人が渡る、

 そしてラッピングされたバスがごとごと揺れて坂を這い上がるその中、そのいちばん後ろの座席にあたしはいて、

 高速道路の橋梁にはいちいちグラフィティ、あたし目をこらしてサインを探す小さい闇にさがす。日差し避けてくらく固まる影にどこか、残っていないかと。

 とうの昔に消えたチームの痕跡。

 三十二度、の外気さえぎって車体、窓の上のキューブから冷たいエア吹きだす不自然に寒い。あたし腕を伸ばしてその向きを変える。

 冷えた額を指先で押さえるアイスブルーの爪、の裏側にもう指紋はない。

 ミントガム一枚だして小さく三重にたたんで口にほうり込むのはいつの間にかうつされてた癖。

 ノイズみたいにざらざら荒れて降ってくる白昼のひかりに浮いて歩道、まぶしく見て。

 この暑いのにカウボーイの扮装の男、ブーツですごく早く歩いていく。ランチ買ってオフィスに戻る会社員を追い越す。テラスに大型犬、寝そべらせてデッキチェア、まるでリゾートみたいな風情でカクテル飲んでるマダム風の女性。各自が勝手な街。関係ないことしてる街。

 道の端、そこだけ夜みたいに危うい男の子の群れ、厚いフードすっぽり被ってあるいはサングラスに濃い髪と髭で表情隠し、まるで油断ない重心落とした姿勢でゆっくり進んでく。あたしそういう子を見つけるのがすごく早い。見つめる。そして瞬時ある姿、見つけて喉の奥がつめたく痛くひき攣れる。

 プーマ。

 悲鳴で、無音で叫びかけて腰浮かすじぶんの腿をこぶしの尖ったところで叩く。狂わないで、あたし。ふたつに割れる自分。

 ぱっと見た目おなじ背格好、の子が道に、白地に赤いラインのトラックジャケット夏だのに暑く着て、未だ九十年代めいて腰履きのゆるいジーンズ道に落としかけてうろうろ進んで。

 思い起こさせるけどもちろん違う、別人。かるく十年の時が過ぎてる、あのプーマはもういないしそれより先にそもそもあたしが消えた。

 バスから遠くなる子のあきらめと焦燥に満ちた若さにがく見つめてまた前を向く。息をつく。

 記憶をガムみたいに三重に折ってむりやり胸に叩きこむとすごく痛い、ばりばり裂けそうになって片目きつく閉じてそして街を見る。

 どこかに。この白っ茶けた街のどこかに十年後のプーマ。いたら。

 街ごと引き裂いて探し出して呑み込みたくなる、すべて気の狂いそうな愛しさにもういっぱいに、なって。

 のどかな路線バスに不釣合いな乗客になったあたし窓に顔向けて片目ににじんでくる涙つぶす。まぶたの一握りでつぶす。胸のなかみ殺す。その刹那あたしもひとつ死亡する。

 壊した過去。戻らない。プーマ。



 はじめて見たとき血をだらだら流してた。

 その圧倒的な非日常感に呑まれて。立ち尽くす中央線の駅の雑踏、ごつごつ来る群集、に腕や腰ぶつけられて。でも突っ立って。

 こっち見た目を認識した瞬間にあたし走り出してた、この子あたしの世界と同じ色の中に住んでる。

 1968年モデルの復刻版デザイン、の白いジャージ、赤い豹のマーク、に赤い血が今しも折れた鼻骨から落ちて、染み。
あたし知らない子の腕とって勝手に駆ける。

 小さく口の中で汚く文句つぶやくプーマ、はそれでも引っぱられるままで。

 駅ビルの男子トイレでケンカあるいはリンチによる容赦ない傷、応急処置するそのこまかい時間に飛んでいくお互いへの謎と認識と吸引力。

 あたしたち困った。途方にくれた。自分たちなにやってるんだろう、って。

 見あって、普通じゃない、って思って。その普通じゃなさ普通に呑めるのそっちだけだ、ってきつい目を野生動物みたいに飛ばしあって。

 何も喋りあわないうちに額から先にくっついていた。あんたわかるんだろ、ってお互い。奇妙な牽制しあって。

 言葉つかわない動物の出会いみたいにそのまま離れられなくなって、首振ってよくない、まちがってる、意味わからない、言いながらすさまじいファック。トイレで。信じられない事態。

 動物の出会い、あたし死ぬほどプーマを食べて滅茶苦茶。

 あたしはその時、自分が捕食動物だって気づいた。はじめて。



 左に曲がります、アナウンス聞こえてあたし無意識に重心を右側に向けてる。バスじゃ意味ないのに。

 左に曲がります、言うプーマにあたし意味わからずその腰にしがみついてた、一緒になってからだ傾けて。バイクなんてはじめてで。

 あのね、チヤさんそれじゃダメだよ、二十歳になりたての子に言われて赤くなった記憶。後ろの人もバイクと一体なんだから、倒れる反対側に重心とってコーナー最速で曲がらせてよ。

 そう言うプーマいつも困った顔、目の離れた特徴的な視線揺らがせて、絶対にあたしを正面から見ない。でも横や後ろを向いてるときは凄まじい熱さで見つめてるのわかってた。あの目で。

 パチものTシャツ作りの目で。

 振り返ると必ず視線ごちんと道に落とす、厚いあの唇、インドの女神みたいにくっきり濃い太い唇、すごく閉じてファニーな顔うつむける。

 顔が可愛いのも小柄なのも気が弱いのもぜんぶコンプレックスで、でも強がるのが見事にヘタ。


 ビリヤード・バー。

 あたしが気取りすまして教えるルールやっぱり困った目で。じっとキューの先みて固まって。

 いちど撞いてばらばらに散る球、苦労してポケットに片づけてあとはずっとあたしや他の人のプレイ見てた。あの目で。スプモーニはじめて飲んで奇妙な目つきでグラス覗きこんで。緊張するのかなんどもガム出して三つに折って口に放り込んで。

 あたし予測範囲内の男ならたくさん知ってる、プーマもただ優柔不断で従順な子のひとり、と思って少し見くびってた。

 とんでもない子と相対してるって、まるで気づかずに。

 ビリヤードなんて知らなかったプーマ、あの目で、優れた目であたしのショットも他の人のプレイも全部見て、完璧に洞察してそしてもう一度キューを構えて。

 あの目ですべて見て取って、たった二度目のショットでパーフェクト。

 計算されたままにコーナーに落ちる玉を見てあたし掌で唇覆ってすごい、口もきけずにプーマの照れた頬見つめて。

 あのね、あなた格好いい。それを引き出してくれる仲間や女の子とちゃんと付き合ってるのかしら。

 わかんないよチヤさん、あたしより低い背で素直に見上げられると本気でどうかしそうになった。

 圧倒的な力じぶんでも自覚せずむしろ恥にまみれて、ぎりぎり生き延びてる二十歳の男の子、家裁に何度も送られて保護観察で戻ってきてるなにも知らない子、

 あたし気が狂いそうに愛した。

 だから、間違った。



 
 贋作Tシャツみごとに作る目と手、それ重宝されながらチームの資金源、立場は弱く搾取みたいに使われて。

 オリジナルのT、作って売ったらシメられた、言ってあの日の怪我、白いジャージいつまでも染み残してそれ一枚しか上着もってない、そう言うプーマあたしどこまでも欲しくなった。

 すべて見抜く目、と物理的な力のバランスを瞬時に理解する勘、はやっぱり。

 撃たせてみた府中の潰れたゲームセンター、の地下のボウリングレーン、にあたしのいるセルの上層部、がつくった射撃練習場。

 いちど失敗して、そして二度目はもう確か。

 天性。

 パラフィン弾の装填された精度高いエアガン、無理に持たされてあたしに引きずりまわされるプーマ、途方もなくいつも困惑してそして止めてた。

 やめろよこんな仕事チヤさん、普通じゃないし絶対この先あぶなくなるって。

 うるさいわね、言って張った頬の感触と、素直な目で見返されてそして完璧に同じだけの力で同じ場所叩かれたあたしの頬、その熱さ今も思い出すのは容易。

 あたしをあたしと同じ力で叩き返す男。

 パーフェクトに共感する能力もってそれ故にいつも困惑してる、この世では生き難い人。

 気づくべきだった、そんな子どこにもいないって。その存在のためにあたしの歪んだ野心や復讐心、プライドはぜんぶ呑みこんでおさめて。

 だけどあたし迷走した。

 惹きつけられるのと反対側に逃げたくなる気持ちよけいに混乱して迷走した。もう戻れなくなることわかってる最後の仕事に墜落した。

 そして消えた。



 あたし顔も姿も声もぜんぶ変えて、それまでの人生リセットしていなくなった。それがセルとのいちばん肝心な約束ごと。

 プーマから、いきなりあたしは消えた。自分で決めてそうしたこと、だけど別人になって、はじめて朝めざめた遠い地方都市で、

 喪失がまるごと落ちてくる、声も出せずに澄んだ空気の中で喘ぎ、虚無にプレスされる、

 途方もないものを失ったんだってわかった。

 プーマ。

 思うたび胸の中が凍ってそして灼熱の情動で焼かれて小さく狂う。

 いつかは消える、いつかは忘れて楽になる、そう自分に言い聞かせて十年がたった。


 時効。


 新しい姿も十年分こなれてそしてあたし、まるで消えてない記憶のもとにシブヤに降り立って。


 プーマ。

 その目、まだ生きてる? 


 くだらなく、そして弱々しい希望。でもそれは希望だ。


 あたし、弱く片目にじませながら、勝手に動く腕でポケットからミントガム、三重に折ってまた口に放り込む。還ってきたこの都市。


 忘れんなよ、ってガムがささやく。プーマの声。かすれて低い。


 斜めに突き刺す日差しがすごい。愛、みたいに無尽蔵に。


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