犬の木




校庭には犬のなる木があって、冬にはちいさな朱色の花を咲かせる。



こやみなく花弁を散らせる木のもと。
ざらざらした砂色の影をななめにのばす校庭。
あたしはさりげなくいさましく、竹ぼうきを構える。

一階の窓からたくさんの視線。
低学年の子たちがガラスに鼻をくっつけて、目をすごく細めてはにわの列みたいに、観てる。

冬の日ざしは淡いけど痛い。
防護ずきんと長そでエプロンを通して、ちりちり焼けつく。


きーんこーんかーんこーん。
とおく、丘の上でお昼のチャイムが鳴った。なつかしい置き去りのチャイム。



あたしたちの小学校が、丘の上から丘の下におりてきたのは二年前だ。

ところどころ焼けて崩れる校舎はそのまま。

五十人ばかりの生徒と十八人の先生、教科書しょってぞろぞろ降りて。
とうに廃校になってたむかしの中学校、移ってきた。

より太陽から遠いところへ、下って。



もう地底にもぐってしまった小学校も多いんだという。

地下にまいにち通うのはさみしくないかな。

痛くてもあぶなくてもあたしはお日さまの光、とどく地上の学校がすきだ。



犬の木をいっしょに連れて行きたい、そう言いはったのは生徒たち。

丘の上でしなびかけて、でも春が濃くなるとつぼみのあとから、くるんと巻いた尻尾をだして。

でんぐり返りするみたいに夏、ちいさな鼻先を葉のあいだからつき出して、

わんわんわふわふ、わんわんわふわふ、夏じゅうずっと合唱してる犬たち、

枯れるままにまかせるなんてできなかった。


だって校歌にもなっている。はぐくむ犬の木、根づくちからの大地の子、ああサグラダ小学校。

ふかく広く広がっていた根っこをほり返して、全校生徒と先生と、町内保存会のひとびとで、みんな。
よいしょう、そおれえ、言いながら。だんじりみたいだねえ、言いながら。
汗かいて、なるべく日の照らない時間をつかって、丘の上から下まで犬の木よこ倒し、運んできた。

樹医の先生が来てみんな、どきどきしながら植えかえて。
支えをつけてしっかり立てた。

低学年の子、まいにち行き帰りにちいさいじょうろでお水、あげて。

ぽつ、とはじめて枝に新芽が出たとき、あたしたち、

授業をおやすみにして大さわぎ、する予定だったのに。

みんな席にすわったまま、だまって手をぎゅっと組んでみんな、
声も出さずにずっと、しずかにしずかに涙をだしてた。



きょう、望月くんはおやすみだ。

のどのはれものが痛くて、おうちで煎じた根こんぶをのんでる、とか。


あたしは任務。かっこいい学校いちの任務。

背たけより大きい竹ぼうきを、まるく大きくあやつって。
散った犬の花びらをざっと集めてポリ袋、砂まじりに入れて。ぎゅっと袋のくちをかたくしばる。


倉庫からごろごろ引きずってきた水まきマシーン、ぱちっとかたいスイッチ入れて。

いつもは望月くん、男子なのに果敢に係に立候補した望月くん。
これ重いだろ、おれが運ぶんだからいいよ。言って、防護マスクもぴらぴらさせて強気で。

きょうはあたしがひとりで。

シャワーノズルのついたホース、両手でぐっと持ちあげて、きらきら冷たく広がる水を犬の木の上に向ける。
雨がふるように、高く高く。

ぱあ、と水けむりに、突きさす日ざし、丸く虹をつくって。

校舎からしずかにどよめき。

みんなが虹を見てる。

あたしが水まき機のスイッチを切ると、たゆたっていたどよめきもぷつんと止んだ。



犬の木の係になれるのは、基本的に女子だけだ。

男子は遺伝子がよわい。お日さまの光で、すぐにはれものができる。おおきな病気に、なる子もいる。

遺伝子のけんさで、いちばんタフだと選ばれたあたし。
すぐに係に立候補した。えらばれて。
ちょっとねたまれたけれど、得意で。


ママは最後まで反対してた。

危険なのよ、まひるの校庭でそうじや水まきをするなんて。
生徒にそんなことをやらせるなんて、信じられない。


おべんとうを作ってくれないストライキ、をはじめたママに、あたし逆らうなんて考えたこともなかったけれど。

なにを言ってもきいてもらえない悲しい三日間、がすぎたあとで、あたしゆっくり考えたこと、
はじめて自分の胸のうちだけでじっくり考えて、そして揺るがせられなかったこと、

てがみに書いてママのエプロンのポケットにいれた。


ママ心配かけてごめんね。
あたし犬の木の係が、どうしてもやりたいです。
小さい子は、はやく犬の実がみたいって、まいにち楽しみにしています。
ママが小学六年生だったら、どうしますか。
ママが学校いち遺伝子のつよい女の子だってわかったら、どうしますか。
みんな地面の下ににげていくけれど、
地面の上にはえるしかない犬の木は、どうしたらいいとおもう。
あたしにしかできないこと、わかったら、どうしたらいいとおもう。
ごめんねママ。あたし犬の木の係になりたいです。


てがみを入れたよく日、ママがまっかっかな目を見せないように横むいて渡してくれたおべんとう、
あたしの大すきなふわふわパンケーキ、しぼまないように紙箱にいれて、ジャムもココナツもいっぱいに。

ひと晩の内につくってくれた防護ずきん、赤い糸の刺繍で「りいな」って名まえが入ってた。


校舎にもどって、暗幕きっちり引いたろうかでママのずきん、ようやくぬいでふう、と息をつくあたし。

階段、だんだん。のぼって踊り場に。たくさんのクレヨンと水彩の絵。

みんな犬の木。低学年の子が赤青黄ばくはつする色彩でどっさり、

ぽんぽんに開いてわふわふ言ってる犬の実、いっぱい、いっぱい描いてあって。

しずかにけむる校内の空気。にじむ絵のいちまい、

木の根かたであおむいて水を放つオレンジ色の女の子のすがた、
それと向き合うように水色の男の子のすがた、はなさかじじいみたいに、花びら、まいて。
ふたりの上でもう、犬の花ぼんぼんに咲いて、実ももう舌出すげんきな顔、犬、どっさり。ひしがたの葉っぱも。
あふ、って声きこえそうに落ちてくる犬の子、動き出しそうに。

動いてる、息づいてる、すごい絵、
ずいぶんじょうずな絵。

あたしそっと指をつける、指紋にさらり暖色のクレヨン。



「りいな、犬すき?」

望月くんのやけにかん高い声。飛んで。

超すき、そういってふり返らずにタンクに木の栄養剤、樹医さんに言われたようにセットして。

「いいよね、犬。うちに一匹いたら楽しいよね」

ばかじゃない、言ってきろんと見た目の先で望月くん口だけで笑って、目はじぶんの腕にひろがった内側からのやけど静かになでて。

「さんぽも連れていけないんじゃかわいそうだよな、せめて木にいっぱい生えたら、ね」

あたし耳の裏があつくて痛かった。なぜだか。

あたしが最近ためている言葉ぜんぶ、言ってみて聞いてみたい気がしてた。

望月くん、どうおもう。

みんな、そうなのかな。

あたしはひとり、ママにも言えなくなったきもちためているよ……。





この世界どこに行くんだろう、どれほどの時間が残っているんだろう、

でもあたしたちは新しく生まれて。まいにち生まれ変わるほどにつよく目ざめて。

自分の最後の核を燃やしはじめて先のない太陽、が、
みんなを道づれに。つれていこうとしていて。

明日もしれないから手をのばし、

そこにいるものに命を感じて、どうしようもなく愛して、たすけて、すこしでもながく生きて、って、

そしてまた生み出してしまう命。

どれだけ続けられるんだろう。





教室、さむかった。

先生がそっと、入ってきたあたし、見て。線みたいにほそく、むりやりに笑う目が心に、あたしにすっと刺さる。

席見た。みんな、表情が、ない。

「りいなちゃん」

ゆみこ先生、ぶれる声おさえるからよけいにビブラート、あたし無理させたくなくて、

「先生、水まき終わりました!」
って大きい声で言ってみる、だめだった、なんだかかすれた。

いつもの。またやってきた光景。

この気配よく知ってるあたし、こんどは誰だろう、っておもって、かたん椅子ひいて席につく。

ゆみこ先生。ことば、いらない。今ききたくない。


予感。が。


「りいなちゃん、望月くんが……さっき……」

心臓がひえて体のそこにどんと沈んだ。





世界はあかるく、致死性のひかりに満ちている。

あたしは今日も、ひとりで水まきタンクを引いて、校庭にでていく。

かんぺきに静か。かんぺきな白色光。足もとにまるく濃くあたしの、影。

犬の木からはらはら降る花。

夏には、わんわんわふわふ、と大合唱、校庭いちめんに響かせてくれるだろう。

小さい子たち、とても、よろこぶに違いない。


あたし空に、天使のように見えず降ってくるひかりに顔、あお向けて。

しぶきをまき虹をつくる、きょうも。

これからもう少し生きるちいさな子たちに見つめられて。


はるかに広がる空に飛んでいく望月くんのすがたと、見捨てられたこの星で力ためるあたしを、見比べて。


生きるね。


つぶやいてみた。



校庭には犬のなる木があって、冬にはちいさな朱色の花を咲かせる。


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送