蟹
あたくしに訊くんでござんすか。ようござんす。受けて立ちましょう。
あたくし生まれも育ちも世田谷成城、幼稚舎からのミッション系女子高育ちでござんすよ。
ノートルダムール、聖母さまこそがあたくしのたましいであると長年信じてまいりました。聖なるヴァルゴ。まりあさま。天の母君に祈りを捧げれば、聖なる麗しき神々の火花によってこの世は浄化されると。
ゴシック聖堂のステンドグラスが内側から発光するのを眺めながら、天上のエリジウムを想ったり死を想ったりしたもんですわ。なんとまあ、可憐で過激な乙女の日々じゃありませんか。
よく眼鏡の曇る娘でございました。
寒空にえんじゅの枝が突き刺さっている様が寂しいからと言っては泣き、上級生の美しいおねいさまが振り向いてくれないからと言っては泣き、果ては箸が転がったからといっては泣いていました。あたくしがいるだけで周囲の湿度が八度は上昇したもんでござんすよ。梅雨みたいにやりきれない娘です。
歳足りて、月のものを見るようになると、爪のささくれを取るような気軽さで血管を切るようになりました。自分の血というのは、一度見ると癖になるものです。週に一度はすっぱりと、腕の内側にきらめくラインを入れておりました。週に二度三度だったこともございます。
またこの用途に使っておりましたカッターナイフというのが、そりゃあなた、人間の文明の産物とは信じられないようなものでした。海の泡から生まれたように軽々と閃き、凍りついた山頂から切り出されたように鋭く金色に光るのですよ。天然自然の、乙女の腕を切るために発生したとしか思えない生き物でした。
あたくしはそのナイフに名前を付けておりまして……モラジェス伯というのですよ。若い娘の考えることってあなた、どうしようもないものじゃござんせんか。
モラジェス伯に甘美な戒めを頂きながら、あたくしは深い重力の底に暮らしておりました。一G、なんて冗談おっしゃっちゃいけません。身体を自覚できずに精神だけで暮らしている若造なんてものは、月からやってきた兎と同じです。感じている重力は、正味六Gと言ってよろしいでしょう。
あたくしの腕の模様は一途に増え続け、そして眼鏡のレンズも果てしなく厚くなっていきました。どうしてだか、眼鏡を外すことが途方もなく恐ろしく思われて、寝ている時も掛けていたんでござんすよ。曇り止めを使うようになって、お風呂の中でも掛けておりました。洗顔のときだけはやむないように思われましたが、そのうち掛けたまま顔を洗う術を身につけました。
かくの如く、こつこつ腕を切り眼鏡を体の一部に過ごしてきたあたくしに、転機が訪れたのは二十九歳の冬でござんした。
生まれて初めて、蟹を食べました。
それまでは、気味の悪いものだと思って、ひたすら敬遠してまいりました。海老もざりがにも。殻の中にぶよぶよした身が入った生き物なんて、醜悪じゃございませんか。
アレルギーを起こすことも多いと聞きます。皮膚にぶつぶつができて痒くなり、吐き戻し、苦痛にのた打ち回るなんて…おお、いやだ!
しかし、ある晩餐でいやいやながら口にした蟹は、本当においしかったんでございます。とろけるような、というのはまさにこのこと。紅く茹だった硬い殻をばきばきと割って、官能的な白い身に唇をつけて啜りだす快美感!
あたくし初めて、我を忘れて食物に喰らいつきました。周囲の方々が呆れ眉をひそめるほど存分に。
以来、あたくしの人生は一変しました。
自分自身が蟹であることを、また、それを感じるのがあたくしの生きる意味であることに……気付いたんでござんすよ。
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