烏賊


 わたしは感情がにがて。大声を出す人がにがて。

 いつも一人しずかに座って好きな本を読んでいられたらどんなにいいでしょうって思うのよ。

 とつぜん計算外に起こることも大きらい。さわがしく落ち着きのない、こどものような人が大きらい。

 ですから整然と並んだ学校の机と椅子を見るとうっとりしてしまう。ことに、そこに誰も座っていないときは。ぴかぴか磨きたてた、掃除のあとの誰もいないしずかな教室はほんとうにすてき。

 わたし夢があるのだけれど、教室にひいふうみい、四十はあるでしょうお机の、そのひとつひとつの上に本が……わたしがまだ読んでいない、ぶあつくてぎっしりと文字が詰まっていてそしてとてもとても面白い、そんな本がそれぞれ乗っていたら、夢のようでたまらないわ素敵だわ、ええ、そういう夢をほんとうによく見るのですけれどね。

 わたし、席をじゅんぐりに取りかえて、一脚一脚ごとお椅子も座りかえながら、その本を読んでいくの、甘いお菓子をしゃぶるようにたんねんに、文字を目で舐めるのよ、窓の外は大きな樹に覆われているけれど、その葉っぱのいちまいいちまいが陽光を乱反射してきらきらきらきらそりゃあ眩しいほどだから、教室のなかはとても明るいの。ざわざわ鳴る梢の音にあわせて首をゆっくり揺すぶりながら、ええ、そうするといくら読んでも首がこることはないのよ、読み続けるの。

 陽が暮れて梢の上の空が焼けて、白いページがうっすら赤く見えてくるのもとても素敵、文字を追えなくなってきたのも気づかないほどわたしは本に魅入られているの。

 暗くなってしまったら、立って行ってぱちんと電気をつけるのよ、寒くなるほどこうこうと白い蛍光灯の列。あまりうれしいものではないわ、烏賊にしましょう。天井はガラスの大きな水槽の底になっているの。光る烏賊がものすごくたくさん泳いでいて、暗くなると自然に光りだすのよ。烏賊とプランクトンと光る苔。

 席をうつりながらどんどん読み終えて、読み進んで、わたしの頭の中はことばと概念と記録とこしらえごとのミックスジュース。まじりあって一瞬、これまで誰も飲んだことのない秘密の味ができあがることもあるのよ。

 夜が深く濃くなるにしたがって読み疲れて、本の上につっぷして気づかずに寝てしまうのも素敵。きっとよだれで本が湿るでしょうね、でも構わないの、わたしだけの本だしわたしだけの教室なのだから。

 白や緑に光る烏賊の群れにぼんやり照らされて、いつの間にか眠ってしまうなんてすばらしいこと。

 やって来た朝に肩口を照らされて、ふと起きる、ふと、というのがいいわ。現実の生活でふと起きることなんてほとんどないのですもの。けたたましく苦々しく起きるばかり。

 目ざめるとまた本のつづきを読みはじめるのよね。一時中断したことがもったいないというように。

 おなかがすかないのは変かしら。でもすかないような気がするの。お水が飲めればそれでいいから、お散歩がてら校庭の水のみ場に行ってじゃぐちに口をつけてごくごくと飲んでくるわ。学校の中のじゃぐちはだめよ。だって烏賊が出てくるのですもの。

 少しのびをして、また楽しみなきもちでいっぱいになって、そして教室にもどってまた本を読むのよ。

 ぜんぶ読みつくしてしまっても大丈夫、だってとなりの教室も、そのとなりの教室も、どこまでも無人の教室が続いていて、そしてすべての机にまだ読んだことのない面白い本が乗っているのですから……。

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