ジェーン宣言



 ぼんやりわが身を嘆くにはうってつけの午後。
 風はすずしく、空はあおざめた色にくもって高い。わたし病院帰りのくすりの袋ぶらさげて、用もない道とぼとぼ進む。
 学校がえりの子どもたち見て肩すくめ、幼稚園おむかえのお母さん見てもっともっと肩すくめる。すくめすぎて体なくなりそう。
 公園にいこう、公園には犬もいるおとなも子どもも用事のあるひともないひとも、なんだっている、考えてそして足すでにそっちにふみ出して、
 家に帰ることこわがってる自分に気づく。


 ききぃ、耳ざわりな高い音みじかく強く響いて、
 わたしぼんやりから現実にすばやく引き戻される。
 青いトラック公園通りのせまい道に無理無理つっこむ。かすめるみたいにちいさなピンクの影。
 あ、あぶない。
 わたし息つめて見つめる向こうにぴょん、ぴょん、小鹿はねるような足取り、動じもせず道わたりきる女の子のすがた。ふわふわ長い髪、縦におおきく揺れて。ジャンプ。着地。
おみごと。
 ぐうんと音立ててトラック通り過ぎる道の端にひょろりはためくピンクのジャケット、ふり向く浅黒い顔。ばっちり目があってしまう。
 じっと見つめ返すはっきりくっきりの瞳。長いまつ毛にいろどられて。
 思わずにっこりした。わたし道わたって公園の前。らんぼうな車をだし抜いた勇敢な少女に笑いかける。
 見返す顔も笑う。びっくりするほど明るくほほえむ。わたしの腰あたりの高さにある頭、得意げに持ちあげて。ジーンズのミニスカートが似合ってる。
 濃い瞳と南の国の人の肌。くりくりとカーリーヘア。
 見知らぬちいさな女の子。
 口をひき結んですこし真剣な顔になり、やや首かしげて言う。
「ねえ、いっしょに城山公園にいこう?」
 うんいいよ、答えるそばからわたしは自分にびっくりしてる。今さっき病院でもらってきた喘息のくすり、手さげかばんといっしょに左手でぷらぷら揺すりながら。
 あたり前みたいに手をつなぎ、まるでたった今ともだちになった小学生の女の子ふたりみたいに……ひとりはたしかに小学生……軽くはねる足どりで公園の門をくぐる。
 わたしは三十四歳だ。


 昨日だしぬけに秋が来た。だから公園はしずか。子どもたちがぶんぶん走りまわっててもしずか。木立から降ってくるつめたい風が物音を冷やしてる。
「いつもはみんなと遊びにくるの?」
 新しいともだちに訊いてみた。
 うつむいて三回そっと首をふる。
「ひとりなの」
「ひとりだったらさみしいね。つまらないね」
 うん、言って小走りになる。「あのね、あっち。山をつくったの。こっち」
 指さし走るのを追いかける。サッカーボールと泥水遊びと棒きれ遊びを追い越して。
 ぶなの林とにごった小川のある公園は、あんまりお上品に遊ぶところじゃない。


 砂場。柵もネットもない昔ながらの、うれしくなるほど不衛生なむき出しの砂場。
「あーあ、山こわされてる」
 女の子、砂の城の残がいをスニーカーの足でぺたぺた踏む。がっかりしてるとしても、声にも顔にもそれは出ない。
「またつくろう。こっち黒い砂だからこれで山にして。それから白い砂かけて」
 うん、つくろうつくろう。わたし両手ためらいなく砂につっこんで掘りはじめる。ピンクにぬった爪がみるみる泥色に染まる。
「うちのお姉ちゃん、マリアちゃんも、それ、もってるよ」
 わたしの足、視線で示す。裸足にへたへたなじんだ赤いコンバース。たしかにおとなの履く靴じゃない。
「お姉ちゃんはマリアちゃん。あなたは」
「ジェーン」
「ジェーンちゃん。あたし、ゆきっていうの」
「ゆきちゃん」
 ちゃん付けだ。わくわくする。砂山がどんどん大きくなる。
「病院にいったの?」
 新しいともだちは目がいい。きっと何でも敏感に気づくひとだ。わたしが地面にほうり出したくすりの袋をちらりと見て訊く。
「うん。病院に行ってきまーす、って言って、仕事をさぼっちゃったの」
 あはははは、泥だんご丸めながらあお向いて笑うジェーン。笑われてわたしもおかしくなる。あはははは。
「うちも、前に病院にいったよ」
「病気をしたの」
「おなかが痛くなったの。でも治った」
 三角の砂山のてっぺんに、ジェーンのつくった泥だんごをていねいに乗せる。
「ジェーンちゃん、自分のことウチって言うんだね。関西にいたの?」
「うん。フィジー」
 フィジーは関西ですか! と漫才のノリでつっこみかけて、わたしはジェーンの横顔のかたさに気づく。
 あ、って、胸のなか少しつめたくなる。
 国のこと、出身のこと、訊かれる訊かれると思ってたんだ。
 それを訊かれることに慣れきってて、心のなかに答えを用意したままわたしと話してたんだ。
「フィジー。いいねえ」
 写真で見ただけの晴れやかな風景を思いうかべて、わたしは思ったままのことだけ言った。
 ざらざらざら、色の濃いしなやかな両手から白砂を山にこぼしながら、ジェーンは言う。
「いっつもね、きかれるよ。言われるの」
「どんなこと?」
「英語しゃべれる、とか、ね、言われるの」
「わたしも子どものころ言われたな」
 ジェーンの深い目がおおきく光ってこちらを見る。なんでも映しそうな鏡。幼いときのわたしが映る。日本人だけれど中高の顔はユダヤ人みたい。おまえアンネ・フランク? ってからかわれた顔。めだつ長身と天然ウェーブの髪はまわりの子から浮いて。
 ガイジンガイジン、はやす声が耳によみがえったのは錯覚。
「あの子たち、おなじ組」
 砂場のまわりぐるぐる回りながら、サッカーボールでたらめに蹴りとばしながらそっぽ向き、でもときどき首のばしてこちらを眺める男の子をジェーンは指さす。
「ともだち?」
「ううん。あの子ら、山こわすから。らんぼう」
「らんぼうな子はー、いっしょに遊んであげまっせーん」
 そうだねあはははは、またジェーンは笑う。
 いいね、笑いとばそう。勇敢なジェーン。


「山ができた」
「すごいね。三角山におだんご、白い砂がどっさりかかってる」
「白い砂、つめたいよ」
「ほんとだ」
 わたし砂場にあさく両手をつっこんで目をとじる。さらさらひんやりと体温がうばわれる。
「夏の砂は、あついのに……」
「秋の砂は、つめたいです」
「ゆきちゃん、きのうも公園きた? あしたもくる?」
「公園は、半年ぶりだよ。前にきたときは春で、花壇のところに座っておべんとうを食べました」
「うちも遠足、こんどいくよ。ゆきちゃん、あしたも公園くる?」
 ジェーンはまた真剣。
 そうだ真剣だ、わたしすこし考えこんだ。
 きのうも、ジェーンはひとりで、
 きょう砂場でいっしょに遊んで、
 あした、またひとりになったら。
 あしたのさみしさは、きのうのさみしさと全然ちがうだろう。
 これは、やりきれない。
「あしたはね、お仕事なんだ」
「お仕事かあー。また病院いくってさぼれない?」
「うーん、あしたとあさってと、しあさって」わたしは指を立てて日数をかぞえる。
「そうしたら三十日、月末でしょう。月末までにお仕事を仕上げないと、もう、たいへんなことになっちゃう」
 自分で自分の首をぎゅうとしめてみせた。
「月末はお仕事なの」
「そう、しめきり。三十日までがんばってお仕事をすませるの」
 ふうん、小さくうなずいて砂山のふもとをかいたジェーン、ひとつ息をついてからぱっと顔をあげた。
「じゃあ、そのつぎ!」
「十月の、一日。こられるかな、お仕事終わってるかな、よしがんばって公園に来よう」
 やくそく、古典的なジェーンは小指をさし出した。指きりげんまん。
 針せんぼん、飲みたくないものね。


「ねえ、なにー。だれー」
 目の前に色白の目のほそい顔。坊ちゃん刈りめいてまっすぐ切った髪がぱっさぱっさ揺れている。
「ゆきちゃんだよ」
 ジェーンが怒ったように言う。
 砂山を蹴りくずしそうに見せかけて男の子、くっつくほどわたしに寄ってあんがい人なつこい笑み。
「なんだよ、ともだち?」
 ジェーンがすこし心配そうにわたしを見る。
 わたしきっぱり発言。
「そう、ともだち」
 ジェーンの顔あかりが灯るみたいに。しんから光って。
「そうだよ、ゆきちゃんはうちのともだちだよ」
「へえー、なんでー。どこで会ったの。いつからともだちなの」
「さっき、公園の入りぐちで出会ったの。いっしょに遊んで、もうともだち」
 わたしジェーンのちいさい肩に腕まわす。幼い少女たちが自慢げにやるようにくっつきあって体揺らし、男の子を牽制する。やーいやーい。男の子は仲間はずれ。
「おい、おーい、おいおい。来いよ。ともだちなんだって」
 さっきから砂場のまわりを周回してた男の子たち、呼ばれてジャンプしていきおいよく。白砂蹴たてて集まってくる。
「山がこわれるでしょ、だめだよ!」
 ジェーンがするどく叫び、男の子たちおっとぉ、とよろめくふりして笑う。
「あいつ、口うるさいー。お母さんみたい」
 わたしの横にぺたんと座った、ちょっと太目の丸顔がひそひそささやく。
「悪さするから、ジェーンちゃんに怒られるの」
 ふーん、気にもしない丸い目、わたし見回しておっ、じゃれる動作で右耳ひっぱる。
「これなに。ほくろ?」
「そう。おっきいほくろ。いいでしょう」
「すっげえ。ピアスかと思った」
 ちょっと引いてまた見つめる。
「子ども、いる?」
 いないの、答えてわたし奇妙な安心。あんまりジェーンがおとな扱いしないから、もしやちいさい女の子に戻ってるんじゃないかと心配してたところ。
 でも、だいじょうぶ。この男の子の目にはわたしちゃんと、子どもでもいそうなおとなの女性に見えてる。
 でもこの子もわたしをおとな扱いしない。
 わたしもジェーンを、男の子たちを子ども扱いしない。すごくのびのびする。楽。
「ジェーン、ともだちなの」
「そう。ともだちだよ」
「えー、じゃあおれも。おれもともだち」
 だめ、白砂を指さきでぐるぐるかき回してたジェーンが、本気に怒った眉のかたちで言う。
「そうだね、だってジェーンがいちばんのともだちだもの」
 そう言って褐色のちいさい手とったらたちまち納得、少女のおゆるしが出る。ジェーンは寛大。
「そう、うちがいちばん。あきらくんはにばんめ」
「にばんめでいいよー」
 気のいいあきらくんズボンのポケットさぐり、端のよれたカードの束とりだして見せてくれる。
「これムシキング。これ、すごいやつヘラクレスオオカブト。世界最強」
 うわあすごい、わりと本気で感心してるわたしの前でジェーン、すばしこくはねて。
「山、トンネルほろう」
「お、ほろうほろう」
 さっさとムシキングしまうあきらくんと、サッカーボールぽんぽんドリブルしあってる男の子ふたりも砂場に突入。
 砂山、わたしふくめて五つの方向からざくざくトンネル工事。


 はなれて暮らしましょう、そうしたらきっと、ともだちになれる。
 そう言ったのはわたし。三日前の晩。
 そのほうがいいのかもしれないね、言ってすねる姿勢ゆがむ声をかくしたのが相手のすがた。なんと二十年ちかくいっしょに暮らして。
 結婚する相手じゃない。もちろん子どももいない。ふたりきりの共依存ゲーム、そとの世界みないからどちらも歳をとらない、ってことは幼いまま。未熟なまま。世間とは半端につきあって。
 ほかのひとじゃ、だめだった。
 パーフェクトに共感できる仲はうら返すともたれ合い、でもそれもおそらく愛。いっしょになるには恋愛とミアイとナレアイがあるんだって、そんな声にもうひとつ。モタレアイ。
 どうしようもなくすきでそれは永久に変わらない、だから離れましょう、べつべつの人間であることもういちど思い出しましょう。
 だから家じゅうを掃除しましょう、風通しをよくしましょう、わたしの喉をつめることばを喘息をクリーンアップ、あなたの咽を詰まらせる無言のかたまりを除去、このままじゃわたしたち病気になって死んでしまう。
 きついけど冷たい風おたがいに呑みこみましょう。
 はっきり言ったらいっそさっぱり、三日前の夜からわたしの人生いきなり方向変えて。
 なれ親しんだ道がなくなって地図もなくてここは空白、ここから先は氷原、それって自由ってことだ。待ってた自由。こんなに心細いものだって知らなかった。でも戻れないからGO、そう決めた。
 でもわたしは家に帰るのがすこしこわい。
 無言をのどに詰めてじろり見る現実とむき合うのがこわい。


「できたっ」
「おおー穴あいたーもうちょっと、トンネルできるー」
「すげっ。ほら、もう少し」
 はればれ笑うジェーンが男の子たち見わたした。なんてきれいな強い笑顔。あこがれるな。
 ジェーンは差別をしない。年齢でも肌のいろでも性別でも。
 幼い人生で徹底的に胸にしみるほど強く、ひとりってことを受けとめてきたから。
 なんてつよいんだろう。見習いたいわたし、さらにジェーンのことすきになって。
 このひとみたいにこれからは生きよう。そうしたらきっと、こころ晴れる。広く開いてもうどうしようもなく、世界に向けてひろがってく。ちぢこまってた胸のなか、さっぱりする。
 なんてともだちだろう。出会って一時間もしないうちにわたしを変えてしまった。
 見惚れるわたしににっこり笑って、ジェーン宣言。
 二〇〇五年九月二十八日、杉並区の城山公園にて。歴史的な。
 ジェーン宣言。
「では、トンネルを開通させます!」
 

 わたしたちできるかぎりまじめな目。でも口もともう期待で笑いがはじけそう。
 さしのべる五本の手。
 さいごの砂がやわらかく崩れた。
 トンネル、目に見えない砂山の中でトンネル開通、指さき、ぱっと触れて。
 まん中で、がっちりにぎり合う四つのちいさい手とわたしのおとなの手。五つのうちひとつの手はつやつや浅黒いきれいな手。
「やったっ」
 やったー、五重奏の声おおきく秋の空にこだま。やったやった、からめるごしゃごしゃの指。二十五本がごたごた。
 いっせいに手を抜いたらざくん、みごとに山が陥没した。そのあっけなさに全員ふき出して笑う。砂まみれ。
「うわー、つぶれたー」
「ざっくん、だって。山ぽしゃったー」
「また、つくろ。そしたらいいじゃん」
 ちょっと無言になってざくざく砂をもる。五人分の仕事、さすがにはやい。靴のうらでおらおら、などと踏みかためる勇猛なのもいて。
 崩れた砂の山、なんてすぐ積みなおせるんだ。エネルギーがあれば。すごいこと。知らなかった。損だったな。
「できたあ」
「くずせー」
「だーめだって、ほら完成」
 てっぺんに小枝を立てたところで、ジェーンからあらためましてメンバー紹介。これははやとくん。こっちはしゅうくん。
「ゆきちゃんとうちはいちばんめのともだち。あきらくんにばんめ。はやとくんさんばんめ。しゅうくんよんばんめね」
 ナンバリングされたともだち仲間うへへへ、とへんな声でわらう。
「ゆきちゃんあしたもくるの」
 はやとくんに訊かれて、ええと、と口ごもるわたしの答えを横からジェーン。
「お仕事なんだって。三十日まで、お仕事」
「なんだ、つまんねー」
「きょう、お仕事さぼってきたんだって」
「ゆきちゃんお仕事なにしてるの」
 四人に見つめられてありゃりゃ、とわたし。ライター、じゃわからないかな。通じないかな。それなら
「おはなしを、書く仕事だよ」
「おはなし! どんなはなし?」
「絵本とかなの? 怪傑ゾロリしってる?」
「ゾロリは知ってるよー」
「なんでどんな、おれのこともはなしに書く?」
 新しいともだちに敬意を表して、わたししっかりうなずいた。君たちのこと、書かずにはいられないと思うから。
「あのね、あんまり絵のないおはなしを、書いてるの。みんなのこと、おはなしに書いてもいいかな」
 いいよ! って全員気前いい。ひとりだけ、ジェーンだけ口むすんできらきら強い目でまっすぐわたしを見てるけど。


 空をつたってひび割れたオルゴールの音。夕焼け小焼けで日が暮れて、のチャイム。
「あ、五時」
「帰るぞー、帰んないと。ほらあきら、五時」
「うん、ゆきちゃんも帰ろう。ゆうやけチャイム鳴った」
「そこの出口まで、いっしょにいこう。いっしょに帰ろう」
 男の子全員、まだ砂場にぺたんと座ってるもうひとりに叫ぶ。
「おい、ジェーン! 五時だ、いっしょに帰るぞー!」
 ぱっ、て砂が飛ぶ、細っこい脚とぶように駆けて、走ってくるジェーン。わたしと手をつなぐ。
 そのまわりふざけてぐるぐる走る男の子たち、とごしゃごしゃの一団、ぞろぞろとぶなの林ぬけて。しゅうくんが蹴りまわすサッカーボール。はやとくんがふり回す棒きれ。ぞろぞろと。年齢も外見もちがうけどまるで気にしない五人組。


 公園出口、ジェーンそっとわたしに耳打ち。かがんでよく聴くわたし。
「あのね、おはなし、うちのこと、いちばんめのともだちって書いてね」
 もちろん。もいちど指きりげんまん。
 薄くすずしく夜空のおちてくる道の端、みんな大きく手を振って解散。
「またあしたねー」
「うん、あ、ゆきちゃんは十月一日にねー」
「またねー」
「またあした! ぜったいあした!」
 あした来なかったらぶっころすぞう、言ってるはやとくんの声、どうやってぶっころしてくれるのか、楽しみで。
 ジェーンいつまでも細っこい腕、ふって、ゆきちゃーん、またあしたのあした、また今度ねー! つよく叫んでる。わたしもそのとおり返す。
 あしたのあした、また今度ねー!
 わたし夕闇に小さくなってく影いつまでも見てずっと手を振ってた、しずかに家に帰ってするんとすべりこんで、明るくひらけて来る胸で向かい合ってる今がすごく楽。これがついさっきのできごと。まだ爪のあいだに砂。
                                    (了)


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