Y.

・・・・・・

「総員起こし!」

 飛び上がる。飛び起きる。火事か?

 ぼんやりまぶたを振って見回すと、やけに透明な日差しのさしこむ部屋で、フキとリンタロとピーフケとケンズとエミョンが、それぞれに床から頭をもたげて同様にきょときょとしていた。眠そう。

 その真ん中にいっちゃんが鬼軍曹のように立ち、腕組みしながらオレたちを睥睨していた。

「なんだよ、壱子センセイかぁ。おどかさないでくれよぉ」もそもそ身を起こしながらリンタロが言う。あくび。

「ええい、何をのんきに寝ている」いっちゃんは軽い回し蹴りをリンタロに放つ。「放火の危険があるから交代で見張りを立てろと、オハラを通して伝えなかったか?」

 そう言えばフルメンバーが揃って床に沈没している。寝ちゃったのか。あらまあ。

 エミョンが恥ずかしそうに起き上がって、服のしわを伸ばしながら正座した。
 いっちゃんが柔らかい目をそちらに向け、すっと身をかがめて声をかける。

「おはよう。エミョン君だよね。あたしはここの家主の壱子です。オハラに話を聞いたよ。昨日は本当に大変だったね」包帯に目を走らせる。

「ケンズ君も、ひどい目にあったね……」
 少しビブラートのかかった声で言われて、ケンズはうつむいてしまう。思い出し落ち込み。

「いっちゃん昨日さんざん電話したのに、出なかっただろ」オレは文句をストレートに投球。ぱしん、と受け止めた感じのいっちゃんは、「ああ、すまない。箱庭写真の解析やプラクティカとの折衝でむちゃくちゃで……放っておいて悪かった」赤っぽい目を痛そうに瞬く。「寝るひまもなかった」

 だからって朝の五時に軍隊式の起こしかたをしに来ることはない。オレは携帯の時刻表示を見ながらうらめしく唇をとがらせる。

「とりあえず、この家はまだまだ危険。ここに君たちを置いておくのはまずい。……プラクティカ関連の企業の宿泊施設に、一時的に避難してもらいたいとオハラは言う。あたしも賛成。急なことで申しわけないけど、今日の正午までに荷物をまとめて、この家の前に集合してもらえないかな。施設まで車で送り届けるよ」

 皆はほぼ納得した様子でうなずいているが、オレはむかっ腹がもくもくと立ち始めた。そういう決定を、上から押しつけられるのってむかつく。寮とか施設みたいな場所は大嫌いだ。

「オレはいやだ」鼻をつんけん反らして言ってやる。「せっかく皆でこの部屋掃除したのにさ。プラクティカだって、まだ信用したわけじゃないからな」

 お見通しのようないっちゃんが、押しつけっぽい決定で悪かった、と謝る。それから続ける。

「トビオ、その避難場所はホテル並みの快適な建物で、ジャグジー風呂がついている。ものすごくうまいと評判の食事が日に三度、デザート付きで出てくるよ」

 あ、行きます。



 では正午に、と出て行きかけたいっちゃんが振り向いた。「そういえばトビオ、棺桶バーのバイトはどうなってるの。しばらく休むって連絡しておいたほうがいいかもしれないぞ」

 そうだった。「BUK」の営業は朝の五時まで、片付けや何やらでまだ誰かが店にいる時間だ。


 電話にはジェニーが出た。

「お、なんだトビオか」忙しいのに何の用だ邪魔だ消えろ来るな、ぐらい言われるかと思ったが、意外と穏やかな、むしろほっと息を吐き出すような気配。
 謹慎中に悪いけど、ちょっと家を離れなきゃいけないことになった、バイトはしばらく休みたい、と告げると、ジェニーは十秒ほど黙りこむ。

「それは、あの、遺棄児童が焼き討ちされてるひどい事件に関係があることなのか」

 ニュース世間を駆けめぐりすぎ。墓石みたいに素っ気ないジェニーですらナーバスになるほど、話はでかくなってるってことなんだろうか。

「ああ、まあ、そういうこと。オレんちも、やっぱりやられたし」

 はあ、というため息に濁点を付けてジェニー。「ひでえことだ。お前、ケガはないのか」
「こないだ店で腹を切られただけで、他はぴんぴんしてるよ」笑えてくる。小デブの襲撃がまるで一年も前のことみたいだ。

「それで、ちょっと遠くの寮にしばらく行くことになった。いつまでかはオレにはわかんないんだ。オーナーに、あとステヴァンにもさ、そう伝えてもらえないかな」

 ああ、と低ぅくかすれる返答。ややあって、ジェニーの信じがたい発言。

「お前、面倒なことに巻きこまれたりしてないだろうな。もし何かあって、味方が足りないんだったら、いいか、絶対に俺のことを思い出せよ。どこにいたって、絶対俺は加勢しに行くからな」

 酔ってんじゃないだろうな、ジェニー。

「おいおい、そんな心配するなよジェニー。来てくれたって一円も時給は払えないんだからさ」
「馬鹿。ジェニカネの問題じゃねえんだよ」

 口癖が出た。オレは笑いながらさよならを言って電話を切った。笑い顔のまま携帯を握りしめる。目のふちがじわじわ熱くなるのがかっこ悪い。



 日なたの部屋で壁にもたれて、フキと一緒にとろとろ眠った。階下ではどたんがらがら、と遠慮なしにやかましく、ピーフケとリンタロが荷物をまとめている。

 ケンズはエミョンを手伝って荷造りをするために出かけていった。本人は現在のところ所有財産まるでなし。オレやフキと同じ。

 正午すこし前、手ぶらでぷらぷらと下りていくと、同居人は引っ越しみたいな大荷物の前にだらんと座っていた。壁を指さしてなにか話しながら、ランチョンミートをもぐもぐやっている。

「フキさあ、カレンダーにミスプリントって言ってたけどさあ」
 リンタロがフキに直に問いかける。

「どこのことだよ? 全然わかんないんだけど。トビオはわかるか?」

 オレは壁を見て、フキを見て、ゆっくり首を振った。

 だってそれ、百年カレンダーだし。



 ぴっ、ぴっ、という、昼の光に拡散しそうにのどかな音を立てて、カピバラ引っ越しセンターの中型トラックが家の前の路地にバックしてきた。運転席から何度も上半身を突き出して、慎重に振りかえりながらハンドルを切っているのは怖ろしいことにいっちゃんだ。

「準備はできた?」ドアを開けて乗り出すように言う。

「うっわー、トラック運転できんのか、いっちゃん。すげえなー。わー、ピーフケ隣に乗せてもらえよ」そんな地獄への特等席、オレは絶対に乗りたくないし。

「いや、後で二人ほどピックアップするから、君たちは全員後ろ」親指で荷台を指し示す。「積み荷扱いとなります。お気をつけて」

 ボストンバッグや紙袋をごたごた持ったエミョンとケンズが、ちょうどそこに帰ってくる。ケンズが荷物を下に置き、走り寄っていっちゃんからカードキーを受けとった。
 後部に回り、鍵と観音開きの扉を手際よく開けた。慣れてる。デリバリーでいつも使う車なのか。天然ガスですいすい街を駆け巡る、カピバラ模様のファンキーなトラック。

 馬鹿らしいほどに量の多いリンタロの荷物を、全員で悪態つきながら運ぶ。どうせ中身はお宝の洋服だ。オレは段ボール箱をトランクの奥に遠慮なく投げ入れた。

 ピーフケのは重いけれど、大きくはない梱包物。シーツでぐるぐると包まれて厳重に紐で縛ってある。前世紀ビデオと再生デッキ、DVDやNDチップだろう。取り扱い注意。本人が抱えているのが一番だ。

 後はエミョンのささやかなバッグを詰めこんで、最後にオレたち自身を放りこむ。

 中は硬くて湿って暗くて居心地最悪。護送気分。

 うえ、と舌を出していたら奥の壁がつーん、ときつい音を立てて開いて、運転席に通じる窓ができた。リアウィンドウのガラスがするする下がる。いっちゃんが振り向いて笑ってる。フロントグラスを通した光が四角く差し込む。

 ケンズが手探りで天井を触り、どこだかをかちかちとひねった。しゅ、と一瞬で細いラインが左右に六本、頭の上に手品みたいに現れて、そのささやかなファイバー・ゲートから、外光が奇跡みたいに入ってくる。すううんんん、と空調も回り始めた。
 ケンズは奥からずるりと断熱シートを引っ張り出し、オレたちの恵まれない尻の下に敷いた。

 きるるる、とトラックが嘶き、がたんと乱暴に身を揺すぶる。動き出す。

 いっちゃんが機敏な左腕を伸ばして、オーディオのスイッチをこつんと押す気配。

 ドラァイヴ! どうかしたような男の声が響いて、てけてけづくづくと馬鹿みたいなリズムが車の中を能天気に満たす。ブチ切れた皮肉な歌声。


 俺のベイビーはキャディラックでドライヴ/来れるもんなら来てごらん、と叫んでる/帰っておいで、可愛がってあげるから、とパパ/もうボールは返した、一人で勝手に遊びなパパ/新型キャディラックに乗って/彼女は二度と戻らない!


 予想通りの荒っぽい運転に、頭や尻をごつごつそこらにぶつけながらオレは思う。リンタロたちがのりのりで拍子を取る、引っ越しセンターの偽装トラック。旧型おんぼろトラック。

 何が新型キャディラックだ。



 カラ元気なのりのりも、いい加減疲れてきた頃にトラックはぐうん、と、遠慮なしにカーブしていきなり止まった。いっちゃんが助手席のドアを開けて何か言っている。

 よいしょ、と乗り込んできたのは、驚いたことにたっぷり豊かな朱色のドレス。テルミを抱いたオハナ姐さんだった。

 おい、オレはネゴシェート失敗したはずだけど? と野郎どもや荷物を押しのけて、運転席に通じる窓から顔を突き出す。

「はあい、トビオちゃん。元気?」

 フルメイクでばっちり微笑むオハナ姐さんに、オレは言うことが見つからず口をぱくぱくさせる。「な、なんで?」ようやく発声。

「あたしなりに、昨日は気になったのよねえ」
 どっこいしょ、とグラマラスなヒップを席におさめて、姐さんはため息をついた。

「マナビちゃんとの約束は破れないけれど、トビちゃんたちのせっぱ詰まった状況もわかったわ。悩んじゃった。それで」

 不思議な笑みを、隣のいっちゃんに向ける。
「いつも占いで相談に乗ってもらってる、壱子先生に連絡してみたのよ。忙しい中で運勢を見ていただいて。まあ、またしてもびっくりね」腕の中のテルミをゆったりと揺する。

「超金星人間のあたしは、葛藤を超えて子供たちのために、たとえ自分が約束破りの責任者になったとしても、重大な決断をすべき時だっておっしゃるんだから! あたし思わず全部打ち明けちゃったわ。そうしたら、なんてこと、壱子先生がトビちゃんの親代わりだったなんて……」

 世の中狭いわね、紋切り型の結論を言って前に向き直る。オレは腰がへなへなしてしまう。

 さっと振り向いたいっちゃんが片目をつぶる。「結果オーライ」
 オーライオーライ、とバックして道を戻り、トラックはちょっと重くなったメンバーを乗せてがたがたと、傍若無人に突っ走る。



 いっちゃんの粗暴な運転ですっかりグロッキーになり、ほぼ全員が床にのびてうー、とか呻きだす頃、カピバラ引っ越しセンターのトラックはようやく約束の地に着いた。

 ロックを外され、ケンズが這っていって扉を開ける。

 さっ、と吹き込む新鮮な暖かい空気。粒の濃い光がうわんと押し寄せ、へたばったオレたちを夢みたいに照らし出す。

 よろよろ降りたが、足が地面に着くと途端にしゃんとするオレ。丈夫にできてる。肩の骨を思いきり外に開くようにして息を吸った。

 ピーフケとリンタロもぼてぼて落ちるように脱出。あー、と言いながらへたり込んでいる。

 フキがエミョンを小脇に抱えてどす、と降りてきた。そのまま横のほう、車の陰へ。草ぼうぼうの道端にそっと下ろして座らせている。エミョンはどうやら吐いているらしい。

「あー、やっぱり、ここだったのか……」
 ケンズが言って首をめぐらせ、見渡した。

 オレはこういう光景を見るのは始めてだ。

 空が途方もなく膨大にかぶさっている。普通じゃない色だ。青が濃いのだ。こんな中に立ってたら体が染まりそうだ。

 遠くには、うねうね隆起する丘陵? 山脈? よくわからないが薄青く霞むなだらかな重なり。田んぼだか畑だか野原だか知らない緑色の土地があきれるほどに遠くまで広がっている。都市の生き物のオレは目が痛くなる。焦点が合わない。

 足の裏ををざらざらこする砂まじりのあったかい道が、ぼうぼうの草の中にずずんと一本だけ、白く果てしなく無鉄砲に伸びていた。

 なんだこれは。話に聞く大自然? ってやつか。田舎、っていうやつだろうか。

 幅のでかい風がずわんと背中から腹を吹き過ぎていく。

 振り返るとテルミを抱いたオハナさんが車から降りてくるところで、その向こうに、
 本当にだしぬけに、どでかいコンクリートの塀と黒い鉄の門がそびえていた。果ての見えない長い塀の連なり。その中にごん、どかん、ばーん、という感じに点在する、四角い大きな建物。やたら広大なグラウンドも見える。人の姿は見えない。

「ここって、もしかしてさぁ……」パースが狂って混乱してきた目を瞬いて、ケンズに声をかける。
「そうだ。俺が前に来た、製薬会社の工場だよ」

 フキがやってきた場所。



 あー、と、オッサンみたいなため息が出てしまう。つぶつぶ泡立つお湯が背中の辺りから噴射するジャグジー・バス。
ごぶん、と身を沈めてしばらく溺死の真似事をしてみた。いっぺん死んで甦ってみないとにわかには信じられない、環境の激変。快適すぎるホテルライフ。

 バスにつかった全員が大体おなじ気持ちのようで、はー、とか、うー、とか変な声を出してお湯をぴしゃぴしゃ叩いていた。行儀良さそうに見えるエミョンや、前歴のややこしいフキはどうだか知らないが、同居人やケンズは絶対にこんないい目を見るのは初めてだろう。広く清潔な風呂でのんびりゆったり夢気分。

 着替えがないよ、と言うと、だろうな、と返すいっちゃんが工場の作業着をそれぞれのサイズに合わせて出してくれた。バスタオルや石鹸も使い放題。上がり場にはドライヤーなんていう文明の利器もあって、シェービングクリームや剃刀も用意してある。
 これでフキの野放図な無精ひげを剃ってやることができる。

 はあ、オレはもうこれが一夜の夢で、それっきり死んでもいいよ、と言いながら冷え冷え涼しい廊下を歩いていくと、磨きぬいたような匂いのするきれいな食堂に、人数分のディナーがきっちり用意してあった。

 テーブルをひとつ陣取って、うきうき浮かれた乾杯。グラスに入ったただの水だけど。全員がどうにもハイになっている。だってビーフシチューと温野菜とおかわり自由のご飯とルバーブ・パイのデザートだ。みんな黙って幸運を甘受しながらどしどしと食った。幸せです。神様どうもありがとう。

 早く快適なお部屋に戻ってぐっすり寝たいなあぁ、などとへらへら笑い崩れているオレたちは、

 その後にあんな過酷な会議が控えているとは、まったく予想もしていなかったのだ。



 オレとフキとケンズは工場の作業着。オリーブグリーンのツナギだから、軍隊パンツ履くのとあんまり気分は変わらない。ほかの三人は私服。

 たぶんリンタロは何か基本的に勘違いしている。壁にかけて飾っていた自慢のお洋服。白地に青い薔薇が刺繍されたサマージャケットに、華麗な色落ち具合のビンテージジーンズ。海ヘビ皮のショートブーツ。胸元にはシルバーのチェーンまで光らせている。どこで何するつもりなんだ。

 案内されてぞろぞろと向かう一階の会議室。先頭に立ついっちゃんはメガネ装着、ってことはテシュノが来てるんだな。



 部屋に入るなりぎょろ目がオレたちを出迎える。歌舞伎みたいな目力でがっちり見据えてくる知らないおっさん。

「あ、マツさんだ」
「ちわっす、マツさん」
 デリバリー組が次々と挨拶をする。バイトの関係者なんだろうか。

 会議室にはもう一人、知らない顔があった。テシュノとマツさんの間に座って、肘をついたままふわふわと上半身を揺らしている女がいて、オレはひと目見るなり参ってしまった。

 羽毛みたいな髪をした可愛いオネエちゃん。全体的にどうも、生まれたばかりでよろよろしている仔ヤギ、といった風情があって、かわいい。ばっちり好み。グッと来た。落とす。決定。

 オレたちはばらばらと席に着いた。白いでかい丸テーブル。円卓の会議か。

 フキには特別席があった。オレの横に小さいデスクをしつらえて、ラップトップのパソコンが置いてある。手首を固定する台が取り付けられているので、フキはそこに腕をがっちり乗せてどーん、と、ひじ掛けつきの椅子に座っていればいい。

 同じラップトップが、テシュノの前にも広げられていた。背後にスクリーン。
 ひとつ咳ばらいして、テシュノが口を開いた。

「遠いところをありがとう。君たちを単なるデリバリーのアルバイトや、被害に遭った青少年ではなく、我々プラクティカと同様な、市民の代表として迎えたいと思う。さっそくだが、第一回目の会議に入ろう」

 そんなこと、まるで聞いてないんですけど。

 反論する隙もあらばこそ、テシュノはキーボードに指を走らせて、背後のスクリーンに文字を表示した。


 保健福祉セクション代表  小原 工
 教育保育セクション代表  木庭 千冬
 デリバリー部門責任者   松田 豊作


「自己紹介、かな」ちら、とスクリーンを確かめてテシュノは言う。「プラクティカにトップの役職というのはなくて、それぞれのセクションが連携しあって共同運営しているわけだけれど、今回の問題に関しては、いちおうボクがまとめ役をすることになった」隣のオネエちゃんに視線を向ける。「ミランの幼い息子が関わってくる問題でもあるので、教育保育セクションの責任者である、コバ・チフユさんに同席をお願いした」

 可愛い彼女はチフユちゃん、か。

「そしてこちらが、デリバリー担当のマツダ・ホウサクさんだ。アルバイトのメンバーはよく知っているね」
 リンタロたちがふんふんとうなずく。

「本当は、エピスコ医療課に籍を置き、極秘に我々にも協力してくれている、プロジェクトリーダーのスドウ氏にも出席してもらうはずだったんだが……。最初は快諾、その後突然キャンセルされた。やはり医療課はどこか不透明な感じがする」

 スドウさんなんて知らない。ぼけっとしていると、いっちゃんがオトナたちにオレたちを紹介した。賢明だ。フキは口を開けるだけだろうし、ピーフケやエミョンは緊張して黙ってしまうだろう。リンタロは今日の衣装の見どころでも喋りたてるかもしれない。ケンズはまた映画の話でもするかな。オレはぴりっと悪態つく気まんまん。

「まずは、ボクがつかんでいる概要を話そう。話し合いの前に、必要最低限のフレームを作ることは大切だ」

 リードのうまいテシュノが話し出す。プラクティカの成り立ちと、エピスコの不明瞭な点。アデプタスという上位組織の動きが、医療課に不気味な影響を及ぼしているということ。昨日オハナ姐さんから聞いた、ライム中毒者の脳を回収しているという噂にも触れた。

 そしてフキ問題。医療課で障害を負い、非合法病院でマナビちゃんと出会い、ハイパーレクシアの息子をもうけたこと。その子供に医療課の秘密をコードでプリントし、その後みずから行方を絶ったこと。

 初耳なのはそこだった。フキって、妻子のもとから勝手に失踪したのか?

「マナビさんから相談を受けて、プラクティカでは彼の捜索を行なった。ミランが見つかったのは、港湾区のスラムだった。彼は段ボール箱で作った住居にこもったまま、外界の刺激を極力避けて暮らし、近隣の労働者の施しを受けながら、主に賭博や密輸に伴うもめごとの仲裁役として……ありていに言うと用心棒だが、そうした労働を提供して生きながらえていたんだ」

 なにそれ、もっと詳しく話してよ、オレは思わずでかい声で言ってしまった。

「トビオ、発言は手をあげて、明確にね」
 ちょっと面白がってる声音のいっちゃんが言う。オレははりきってばすばす右手を掲げる。議長! 発言!

「いや、わかった。その点だね。……ミランらしき人物が見つかって、その段ボールハウスから離れようとしない、という報告を聞いて、ボクは直接彼に会いに行った。聞いていた通り、コミュニケーションのできない状態だ。ボクは脳機能障害の人との対話を研究してきた経験から、パソコンのキーボードを使う方法を思いついた。……日参して、きっかけを狙い、ミランの沈黙の奥を知ろうと努力してみた。ある日、本当にあきらめかけていたある日、彼はその言葉をモバイルの画面に猛スピードで打ち出し始めたんだ」

 白いタランチュラみたいなフキの指の動きを思い出す。

「彼は自分の名前をタイプした。それから、自分の考えで妻子の前から姿を消したことを語った。エピスコの追跡を考えると怖ろしい。妻や息子にその害が及ぶことを想像すると、いてもたってもいられない。だから、逃げ出したのだと。死ぬつもりで出てきたが、港湾労働者の施しを受けて有難さのあまり死にきれず、こうして皆の役に立つために働いているのだと説明した。……ミランには軍属経験があって、ユードー……日本で言う柔道、その達人でもあり、腕っ節はもともと大いに持ち合わせていたらしい」

 小デブの刃から一瞬でオレを守った、フキのためらいない腕の力。

 「箱の中にじっとしていれば、強迫的に押し寄せる外界の文字や記号によって、頭を混乱させられるのを少しは避けられるとミランは語った。自分の脳は、エピスコによってそのように病変させられたと説明した。その治療法を知っている故に、口封じをされたのだと。……そして、やはり妻子が恋しいと、もし家に戻れるのならばもう一度だけ顔を合わせ、それを最後に、決して被害を及ぼさない場所に消えてしまいたいと、語ったんだ」

 オレの心がしーんとする。オレはしーんとする。口が動かないので黙ったままフキを見た。人ごとみたいに顔をあお向けて天井を見ている四角い顔。顎のあちこちに切り傷がある。オレが髭を剃ろうとしてどっさり失敗したのだ。

 
「さて、ここでボクはミランに、そしてこの件に関わるすべての人に……その、謝罪、しなければならない、ことが…がある」
 テシュノが奇妙にこわばった声で言った。

「ボクはミランの告白を聞いて、彼の経歴はプラクティカのメンバーとして生かせそうだと考えた。……あざといことだ。彼の訴えを聞くよりも、自分たちの利得になる方向でものを考えてしまったんだ。……これがまずかった。そんな計算が、判断を狂わせた」

 いっちゃんがきらりと、対・テシュノ用のだてメガネを光らせる。

「ボクは……彼が暮らしていたアパートではなく、妻のマナビさんが働いていたパブを宛て先にして、彼を送り届けてしまったんだ。……箱詰めのまま、というのはミランの要望だったが……住所が近いとは言え、完全に混同して間違えたのは、ボクの、ただの、ミス、なんだ」

 うわ、かっこわりぃ!

「いつもなら、この、マツダさんに宛て先の厳密なチェックをしてもらうんだが……」テシュノの声が細くなったり裏返ったりする。きっとすごくきつい告白をしているんだろう。色白の顔がもう真っ赤だ。「あの時は、本当に功をあせっていた。自分の権限をかさに着て、ノーチェックでそのまま発送してしまった。……本当に、悪いことはできないもので、ごまかしようがない。……そのせいで予定外の展開に放り込まれたミラン、巻き込まれたトビオ君たち、信用を落としかけたデリバリーのマツダさん、すまない、申し訳ない、本当に、ごめんなさいッ!」

 ガキみたいにやぶれかぶれに謝って頭を下げる。下げすぎて机に額がごちんとぶつかる。

 沈黙。

 オレはいっちゃんと目を合わせ、しばらく真面目フェイスで見つめ合ったあと、同時にくっ、と口の端を上げる。皆を見回す。ケンズやリンタロたちが、じわりと頬をゆるめてそれサイアク、と呟いた。ぷっ、とエミョンが口に拳を当てて吹き出して、

 うくくくく、みんな笑ってしまった。くだらないミスででかい責任をかぶり、ストレートに謝るプラクティカのボスの一人、テシュノ。子供みたいだ。たしかに最悪だけど、そういうこと認めるのってすごく勇気がいる。なんだか素直なやつなのかもしれない。

「あってはいけない間違い、ですけどね」

 チフユちゃんがふにゃふにゃした声で冷ややかに言う。「反省してるなら、追及は勘弁しましょう。時間の無駄ですもの。ところでオハラ、この会議だけれど、議事進行予定を聞かせてもらってないわ。ずいぶんたくさんトピックがありそうだけれど、どうするの?」

「ああ、まずはミランの息子のテルミ君に、例のコードを実行して、メモリーされた情報を語ってもらおうと思っていたんだけれど……」困ったように机を指でこつこつ叩く。「慣れない環境に、テルミ君が落ち着かなくなってしまって……保護者の女性が、まだ別室で様子を見ているところなんだが……どうしようかな」

「代替案を考えていなかったの? 駄目じゃない」綿飴みたいな声でぴしゃんと叱り、手元のファイルを小鳥みたいな手でぴらぴらめくる。「では私が提案するわ。比較的かんたんに論議の済む問題から次々片づけていくべきね。不明点の多い話は後に回すわ。だって、今日一日の会議で終わるとはとても思えないんですもの。こう言っている端から、たぶん新しい情報がどんどん届いているに違いないし」とん、とファイルを置く。「いいわね?」

 テシュノがはいはい、と小さくなる。チフユちゃん、声も顔も可愛いけどやっぱり女だ。おっかねぇ。

「あたしの報告が、たぶんいちばん短く済むと思う」

 いっちゃんが言ってさっと立ち上がり、部屋の隅のプロジェクターに寄ってぱちんとスイッチを入れた。みーん、と起動音。

「これは先週の水曜日、トビオに連れられてあたしのオフィスに来たミランが、心理療法用の箱庭で作ったオブジェの写真です」

 スクリーンにフキの箱庭の上から見た画像が映し出される。

「で、こっちは大脳の模式図。無髄神経系を説明する図です」

 ABC神経系、と書かれた図像が横に並んでぱぱっと映し出される。

「はーい、これを重ねます」シニカルにふざけたいつもの声で言って、ふたつの画像をドッキングさせた。

 ぴったり一致。冗談みたいに。

「と、言うわけで。ミラン・ディク氏の制作した箱庭は脳の模式図であり、どの部位の問題がどこに影響を及ぼすのか、それを意味しているものだと解釈しました。以上、専門的なことはこの工場の医療研究チームに判断を仰ぐべきだと思いますが、何か質問はありますか?」

 いっちゃん、話早い早い。

 会議室の全員がぽかんと固まる。

 うわっはっは、とよく響く笑い声。マツさんが足を拍手みたいにぱんぱん打ち合わせていた。「ははは、あんた全然変わってねぇなあ。ドライアイスの壱子、って言われてた頃のまんまだ。あっさりしすぎだよ。もうちょっと、説明してくれてもいいだろうに」

 顔をしかめて、いっちゃんは手に持っていたペンをきゅる、と回転させた。画像をかきん、と指し示す。

「病変が生じると思われるのは、箱庭で強調されているB6神経です。ここからの間違った信号がA神経系を亢進させ」かんかんかん、と箱庭のトイ・ソルジャーを叩く。「脳橋を通って海馬にも影響を及ぼし」橋の模型と馬の人形を突つく。「最終的に左脳の言語野、言葉の理解と発語を司る部位を侵すのだと解釈できます」ムンクの「叫び」人形をペン先でぎりぎり強調する。「ミランは、自分の陥っている症状か、あるいはライムによって引き起こされる言語障害の原因をつかみ、それをこの箱庭で提示したのではないでしょうか。この図を早急に専門家に回し、治療の可能性を検討していただくことを望みます」プロジェクターのスイッチを切った。「以上。おしまい」

 さっさと片付けて席に戻る。速い。

「おお、じゃあ次は俺だ俺だ。今回の、デリバリーのバイト生を襲った連続放火事件の状況について、報告させてもらうわ」
 威勢のいい胴間声。マツさんが場の空気を引き取って、どばんと巨大な帳面を開く。ノートじゃない。帳面だ。

「火付けは六十六件だ。とんでもねぇ数だろう? 一人や二人の人間が思いつきでできるような所業じゃないわな。全部うちの、バイト生の住んでるところを狙っていやがる」

 ここまでスカッと口調が荒いと逆に気分がいい。江戸前だ。

「あのな、死人が出てるとかいう流言が飛びかってるが、そりゃ嘘だ。誰が言い出したんだか知らねぇが、とんでもねぇデマだ。どいつもこいつもぴんしゃんしてるわ」

 マジかよー、よかったー、とリンタロやケンズが叫ぶ。だよな、だよな、とピーフケは半分泣きそうな顔でエミョンにうなずいている。

「だけどな、家を燃やされちまっちゃっちゃあ、洒落にならねぇわな。全焼が、ひのふの、四件だ。ケンズ、おめぇ大当たりだ。あとは、怪我が重軽傷あわせて二十人がとこ出た。まあ、みんな、眉毛が燃えたとかシッポが焦げたとかそんなとこだけれどな。腕まで焦がされたエモンが一番ひでぇ怪我かもしれねぇな」

 エモンじゃないエミョンは、そうなんですか、と呟いて包帯をそっと触る。

「リンタロんとこもそうだろうが、家にいるところか、ちょうど帰ってくる頃合を狙われてる。殺す気はねぇんだ。ただ大掛かりに脅かしてんだよ。デリバリーのバイトなんかやってると、こんな目に遭うぞってな。……だからまあ、仕方ねぇんだが」がりがり頭を掻く。「昨日今日で、七割のバイト生が辞めやがった。……もっと増えるんだろうな。客のガイジンさんたちもびびっちまって、仕事は全部キャンセルだ。これからだって、うちにゃ何にも頼んでこねぇだろう。……やられたね、デリバリーはもう空中分解だよ」
 どん、と両手を机に落としてため息をつく。

「なあ、なんで放火の犯人にはバイト連中の住んでる場所がわかったんだ?」
 オレは今さっき生じた疑問をストレートに訊く。

 そこだ、と言って、テシュノが話の続きを取った。
「プラクティカの内部でも極秘扱いの、デリバリーのアルバイト・メンバーの名簿が流出している、としか考えられない。そのデータファイルのありかは、ボクとマツダさんにしかわからないはずだ。……もし、それを何かのきっかけで知ることができる者がいるとしたら、かなり長くアルバイトを続けてきたメンバーだろう」

 ケンズを見る。「君と一緒にミランの搬送をした、メンバーの消息確認を頼んだはずだが。……全員が四年以上の勤務で、君以外はすべて退職して居所が知れない。なにか、わかったことはあったかな」

 ケンズがうろたえて下を向く。
「……すいません、電話、してみたんですけど……。全部、番号が変わってたり、全然つながらなくて、誰も、連絡取れなかったんす」

 テシュノが渋い顔をした。
「それは……残念なことだ、しかし、そのメンバーの中に、名簿を持ち出した者がいる可能性は高いんだ。彼らの居所や消息を知るヒントはないだろうか。個人的に親しく知っていた者はいないのか」

 ケンズが首を振る。分が悪い。お気の毒。

 だしぬけにリンタロが言った。
「あ、そうだ。先輩の中で最近辞めたやつって言ったら、コージマさんとかそうじゃねえの」

 確かにコージマは搬送に参加していたが、何か知っているのか? テシュノが訊く。
「いやあ、最近すっげえ金回りいいんだな、と思って」

 テシュノとマツさんが、がっ、と勢いよく身を乗り出す。
「金回りがいい? どうして君はそんなことを知っているんだ。辞めたあとの、コージマに会ったのか?」

「え、会ったっつうか、たまたま一丁目のアウトレットのモールで見かけただけっすけど」

 気楽に答えるリンタロ。深刻なポイントに触れたことにはおそらく、まるで気づいてない。

「なんで見かけただけで、金回りがいいなんてことがわかるんだ? 話してもいないのに、そんなことがわかるってのか?」
 マツさんに大声で訊かれて、リンタロは肩をすくめる。やれやれ、という表情。

「だって」口をとがらせて物分りの悪いオトナたちを見つめる。「履いてる靴が、新品のジャンニ・バルバートだったんすよ」

 それだけ言って、わかるだろ? というふうにオレたちを見回す。

 いや、全然わかんないし。



 テシュノにだけはわかったらしい。震えがきたみたいに細かくうなずいて、そうか、そうだったか、と一人で納得している。

「俺にもわかるように言ってくれや。その靴が、何だってんだ?」
 マツさんに訊かれて、テシュノはうっすら汗ばんだ額を手の甲で押さえる。

「ああ、つまり……非常識なまでにお高い靴だ。デリバリーのバイトを何年やったって、気楽に買えるレベルの靴じゃない。ボクだって持ってない」けっこう悔しそうだ。

「リンタロ君、貴重な情報をありがとう。その目撃証言が正しいならば、コージマのことは詳しく洗ってみるべきだ。すぐに本部に指示を出そう。……デリバリーのバイトの名簿を、尋常じゃない値段で買い取る者がどこかにいるということだろうからな」

 言いながら手元は猛スピードでラップトップのキーボードを打っている。スクリーンに文章は表示されず、ただメール作成のアイコン。送信、の文字がちかちか光って消滅。
 と同時に、今度は受信、の文字が現れてぴかぴかする。十四件。ちゅるちゅる受けとるテシュノのラップトップ。

 首ごと突っこむようにして画面を読みこんでいたテシュノはやがて、はあ、と息をついて天を仰いだ。

「チフユの言うとおり。話しているそばからどんどん情報が入ってきている。ミランが、医療課を洗えと言ってきたことを憶えているかな。疑わしいことをすべて裏打ちするような調査結果が入ってきたよ。参ったな……」

 もったいぶってないで早く言ってくれますか、と、女ふたりが同時にきっぱり言う。怖い。

「ああ、それじゃなるべく簡潔に言おう。……近年、若者や外国人の労働者の間で爆発的に流行している、ライムというドラッグだが」

 来た来た。やばい話題。オレは苦虫フェイスで肩をすくめてしまう。

「それを製造して街に流しているのは、エピスコの医療課だ。そして、その原料となっているのは」

 すごく気持ち悪そうに言う正直なテシュノ。

「ライム中毒で亡くなった人間の脳だ」

 無言の会議室が無言以上にしんと静まる。肝の冷える静寂。

 オレはゆっくり体が左に傾ぐのを感じて、無意識に右手でフキの肩をつかむ。強い体温。揺るぎもしない肩。

 オレはひたすら冷たい吐き気のとりこ。



「医療課は中毒者の遺体から脳を回収して、それを原料にドラッグを再生産しているということなの?」可愛い声で薄気味悪いことをチフユちゃんが訊く。

「そういうことになる」抑えた声でテシュノ。「この製薬工場……プラクティカに全面的に協力してくれている会社だが、本社の研究チームが実験結果を報告してくれた。ライムというのは、一定量以上を摂取すると脳に残留して、その濃度を濃くしていくんだ。更に、さっき壱子君が報告してくれた神経系の話があったね、そこから、ライムに類似した物質が生産されるようになっていく」

 オレは頭を押さえてしまう。頼むよ、一定量ってのがどれくらいか知らないが、オレの脳がおかしなことになっていませんように。

「つまり、中毒者の脳は薬物が持つよりも濃く、その成分を溜めているということになる。……医療課の連中はそれを回収し、抽出した成分を再びドラッグにして街に放出しているらしい」

 何のために、いっちゃんがぎりぎり歯を鳴らしてようやく訊ねた。憤りでまともに声も出ないらしい。

「それはまだわからない」
 いや、それじゃオレが困るし。

「あの、いいっすか」ケンズがこわごわと手をあげて言った。

「ライムって、俺らみたいなバイト生の、とくに音楽とかやってる連中にはすごく流行ってるんです。副作用もないし、インスピレーションも湧くからって言って。やりすぎて言葉がまともに喋れなくなった奴を見てるから、俺は手を出さなかったんすけど。ヤクザ屋さんとか外国マフィアが元締めだと思ってたから、エピスコの医療課って聞いてたまげました。そんなの誰でも驚きますよね」発言に身が入りすぎて中腰になっている。「そういうのって、売ってるところを押さえたら、証拠になるんじゃないですか。医療課がそういうことやってるって、社会問題にしてはっきりさせられるでしょう。オハラさん、去年やったドキュメンタリーの映画で、そういうふうに問題企業を追い詰めたじゃないですか」
 言い終えて、ケンズは力が抜けたようにどさ、と椅子に腰を落とした。

「そうなんだ」テシュノが深くうなずく。

「医療課につながるラインを押さえられたら、告発することはできるだろう。……だが今のところ、これは推論にすぎない。ライムの薬害と、漠然とした流通ルートをプラクティカが捉えただけなんだ。エピスコを追い詰めるためには、末端を押さえてもだめだ。製造側から直でドラッグを購入しているディーラーの証言や、具体的な証拠が必要になる」悔しそうにこぶしを握りしめる。「どうしたらそこまでルートを辿れるのか……とにかく地道に情報を追っていくしかない段階だな」

 おやおや。

 オレはそっと身をすくめて、危なっかしい話題が早いところ上空を通過するように祈った。直撃はごめんだ。

 いっちゃんの厳しい目がちろんとオレを見て、その唇が疑問をこめて小さく開かれた時。

 ちゃかたらつ。

 フキの指先がすばやく躍った。


 /トビオに心当たりがあるはずだ/


 スクリーンに現れた青い文字を、皆の視線がさっと追いかける。いっせいにフキを見る。続いてオレを見る。シンクロナイズド注目。
 オレはぐぐぐ、と唸って頭を抱えた。憎たらしいフキめ。こんな場所で告げ口するとは卑怯じゃないか。

 文字の点滅は続く。


 /トビオが所持していたライムを私は確認した/片面にc.という極小の刻印あり/水増しや偽造品ではない純度99%以上/摂取は非常に危険/エピスコ医療課が直に製造したマスターピース、カノンという名前で呼ばれる薬物/カノンの流通ルートは医療課と密接な関係を持つはずだ/トビオどこd


 オフになったらしく文章が途切れる。フキよ、オレを追求しかけていきなり意識の深海に吹っ飛ぶなんてあんまりだ。

「トビオ、どこで」
 言わずもがなのことをリンタロが言う。へえー、と、感心したようにうなずいている。誰かオレにこの盟友をぶん殴るための棍棒をください。

「まあ、それは後であたしがじっくりと聞くよ」おそろしい壱子センセイの声。ぽきぽきと組み合わせたこぶしを鳴らしている。「知っていることは明らかだし、簡単にそれを吐かないことも予想できるからね」

「トビさんよ、ご禁制の薬物を持ってたってことはここじゃ不問にしておこう」ありがたいんだか何だか、マツさんの動じない声。「その辺はドライアイスの姐さんがきっちり叱ってくれそうだからなぁ。……それより、どこで、どうやって、ってことだわな。カノンとかいう派手なブツは、どこから流れてきたんだい」

 オレは観念した。いっちゃんに拷問で訊き出されるのよりはマシだ。

「ハートの、パイプだよ……街をうろうろしてたら情報を拾ったんだ。外国人労働者や遺棄児童をターゲットに、純度の高いライムを売る売人がいるって。……どういうわけだかわかんなかったけど、さっきまでの話聞いて見当がついたよ。わざとなんだな。オレたちみたいな街のゴミが速効で中毒になるように、わざわざ純度の高いやつを流してたんだな」
 胸からうらうらと暗雲が流れ出してオレの周囲を霞ませる。とんでもねぇバカなオレ。簡単に作戦に乗って、脳を冒す物質を自分で食ったり人にさばいたりしてたんだ。
 ごちゃごちゃした気持ちを抱えてこめかみをこぶしで覆ってしまう。何やってたんだオレは。

「ハートの、パイプか」冷静な声のテシュノがオレをちょっとだけすくい上げる。「一区の大公園の、元のメトロがあった通路だね。……トビオ君、今は自分を責めている場合じゃない。マツダさんもそこは不問だと言っている。壱子君はあまり手厳しく責め立てないほうがいい。彼は充分に事態を認識している様子だからな」

 わかってますよ、といっちゃん。

 変によじれそうな目玉を上げて見てみると、あとでな、という形に唇をとがらせて、いっちゃんがやんわりと指先を振っている。

「そうね、密売の場所がわかっただけでもよしとしましょう。……さあ、どんなふうに証拠を固めようかしら」ふわふわ言って目を輝かせるチフユちゃん。

「ねぇ、トビオ君。あなたはそこでどうやって、そのライムを手に入れたの?」
 まるで流行りのお菓子の購入方法を訊くような言い方に、オレは鼻をすすってぷちぷちと答えてしまう。

「ディーラーの電話番号を知ってるから。……薬マニアを何人かはたいて調べてるうちに、向こうから、売人が直接に接触してきたんだ。欲しい量を連絡すると、決めた場所までデリバリーしてきてくれる。……パイプの中は、条例で夜中の二時から朝までは真っ暗だろ。中央道分岐点のどこかで待ち合わせて、手渡しで金と交換になるんだ。相手の顔は見えない。暗いところでの取引だよ。ずいぶんダイレクトだな、って思ってたけど。だって他のクスリの場合はもっと面倒だろ」

 口をすべらせてヤベェ! と身構えたが、すでに誰も気にしていない。聞いちゃいない。

「なるほど。暗闇での売買なのね。……エミョン、あなたにぜひ訊きたいのだけれど、そういう取引の場面で、相手の顔を写せる暗視カメラってできるかしら?」
 チフユちゃんが顔の向きを変えてそう尋ねている。エミョン? 暗視カメラ?

 訊かれたエミョンが冴えた瞳をきんきんに上げて、チフユちゃんを見返している。どうしたわけだか自信満々の気配。

「できますよ、先生」

 言ってきらんと光る笑顔。うわ、君は何者。って言うかチフユちゃんとどういう関係。

「エミョン君はプラクティカのフリー・スクールの、復帰課程の最優等生なんだったね。さすがだ。君のスクールは本当に優秀な生徒を育てているからな」テシュノが言って、真剣な目線をエミョンに向けた。「君を信頼して相談する。こういう場合、トビオ君が明かしたルートで売人の証拠を取るとして、どんな方法が有効だろうか」

 乗り物酔いで吐いていた同一人物とは思えない落ち着きを見せて、エミョンは考えこむ。「……そうですね、誰かが直接そのディーラーと接触するとして、暗視カメラで撮影するのと同時に、取引の内容を傍受して、外部から録音してはどうでしょうか」

 できるの? と訊くチフユちゃんに、簡単です、とエミョンは答える。

「携帯電話を改造して、ポータブルな盗聴器にするんです。……マイクロフォンを埋め込めば売買の会話は、全部聞き取れるのと同時に証拠として録音ができます。暗視カメラを服に内蔵し、盗聴携帯で聴き取れば、充分な証拠になるんじゃないでしょうか」

「カメラや盗聴器を作るとして、どれくらいの時間があれば可能だろう?」

 テシュノの質問に即答で返す。
「材料さえあれば、半日で。必要なものをリストアップしましょうか? すべて電機街のジャンク屋で手に入ると思いますが」

 頼む、と言ってテシュノはラップトップをエミョンの前にすべらせた。かつかつ入力し始める恐るべきエミョン。

「フリー・スクールって」オレは関係ない質問で話に無理やり介入。「いっちゃんがオレたちに通えって言ってた、あの学校か? それってチフユさん、が先生なのか?」

「校長よ」ちっちゃい女の子が自慢でもしてるような声。「どうして君は登校しないのかしら? すごく頭がいいって聞いてるのに。わたし、ずっと待ってるのよ」

 うふふとこぼれる笑みのチフユ校長。ええと、オレ思いきり考え変わりました。ぜひ積極的に行こうじゃないか。落ちこぼれなので個人授業を特別に、密室で、二人っきりで、お願いします。

→exit

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