8月25日は、わたしの


誕生日、と言ったって今さら35才にもならんというところ。
大騒ぎして祝うことでもないし、むしろますます加齢の坂を転げ落ちたということで、お経でも読んでしめやかに過ごすべきなのかもしれない。
とは言え、そこは人の子。
せめてその日の晩は寿司とケーキぐらいで祝いたい。ああ祝いたいさ。祝ったっていいじゃないか。
そんな訳で、多少は夕食を豪華にして、ふつうに家でのんびり過ごすかねえという予定であった。

さて、その日の昼下がりまで、わたしはごくごく平和に過ごしていた。
タロットのレッスンがひとつキャンセルになったので、その時間をメール鑑定にあて、仕事の合間にちょこちょこ届くメールカードや手紙、小さなプレゼントなどを開いてはこまかい幸せをかみしめていたのだ。
平和が破られたのは夕方だった。
ぴんぽーん。
突然の来訪者。
「?」
ドアの覗き穴に目を近づけると、巨大な花束を持った知らない男性が立っていた。
おお、ロマンス発生か!?
しかしよく見ると、その若いあんちゃんは板前の服を着て、前掛けを着けている。
どう見ても料理人。
でかい花束を抱えた料理人だ。
「どちら様ですかー!?」
「うなぎ屋でーす!」
‥‥‥。
なんで、うなぎ屋が花持ってくるのだ。
おそるおそるドアを開けてみると、うなぎ屋の小僧さんが、馬鹿でかい薔薇の花束を抱えて立っていた。
「お父様からお届けものでーす!」
‥‥‥。
わけがわからぬ。
訊いてみると、彼は駅前のうなぎ屋の従業員だそうである。
本日先ほど突然、三上家の父がでかい花束を抱えて乱入し、「うな重の特上とこの花をこの住所に届けてつかあさいや」と言い残して去って行ったとのこと。
もちろんチップははずんだようだが、それにしても何たる無茶なことをする父であるか。
わけがわからぬ。
「あ、で、うな重は?」
思い返して訊いてみると、
「ええと、花が大きいので出前を一緒に持ってこれなかったんで、今から店に戻ってうな重持ってきます」
ぐはー!!むちゃくちゃ迷惑極まりない!
かわいそうな、うなぎ屋の小僧さん。
当日は夕方になっても酷暑の真夏日、我が家から駅前まで徒歩で20分ほどかかる。
そして傍迷惑なうちの父よ。
花束は渋谷で買ったものらしかった。
そこから私鉄でわざわざ最寄り駅まで来て、どうせなら自分で花持って来ればよいではないか。
なんで、うなぎ屋に託す。
おそらく、いい歳のおっさんが真紅の薔薇なぞ抱えていることがいかに恥ずかしいか、駅に着いた時点でようやく気付いたのだろう。
あるいは、ただ単に暑いし遠いからめんどくさくなったのかもしれない。
その後、汗だくの小僧さんからうな重を受け取りつつ、わたしはエイリアンにつままれた思いであった。

ご丁寧に年の数だけある薔薇をバケツに挿し(バケツ以外の選択肢はなかった)、わたしはビールを買いに出かけた。
帰ってくると、会社帰りに暑い中を寄り道して寿司とケーキ、とんかつ、お酒などを購入して戻った同居人Jが、呆然としてうなぎ二人前を眺めていた。
「‥何これ」
うちは二人とも少食である。うな重二人前(御新香&肝吸付き)の闖入により、食卓の上のものは食べきれる量ではなくなっている。
「うなぎ、明日のごはんにしようか‥」
「でも、味落ちるねえ。せっかくの特上が」
あれこれ考えた末、近所に住む友達のやましゃんを呼ぼう!ということになった。
やましゃんは、近くの街のおされな靴屋に勤めている。
三日前、たまたまお店に立ち寄った時にやましゃんと立ち話し、「こんど食事でもしようよ」「うんいつでも空いてる、誘って」「翌日休みでシフトが早番のときがいいよね」「じゃあシフト表コピーしてあげる。はい」という会話を交わしたばかりなのだ。
シフト表を見てみると、やましゃんの予定は、「早番で明日は休み」であった。
‥ご都合主義とつっこんではいけない。これは完全なる実話なのだ。
というわけで、やましゃんに連絡してみたところ‥快諾。
これから訪ねてきてくれるという。
地味に寿司を食らうつもりが、何となくパーティー状態になってきてしまった。

思わず笑ってしまうぐらい大仰な薔薇の生け花により、すんごい雰囲気になったキッチンにうなぎや寿司を並べ、やましゃんを迎えておおいに飲みかつ食べ、語らった。
高尚で深遠な話題等を巡って論議が沸騰せし局面もあった。
「可愛がっていたペットのうさぎが死んでどうしたらいいかわからなくなってリュックにその亡骸を入れて背負ったまま勤め先に出勤してきちゃったおともだち」とか、
「そのうさぎは結局どうなったのか確認していないがもしかすると軽く10年たった今でもおともだちはリュックに入れたまま背負い続けているのではないか」とか、
「て言うか我々はつい10年前のことをこの間ね〜などと言って話題にしてしまうがそれはつまり何か重要なオツムの機能が終わっちゃってるということなのではないか」など。
そんなこんなで、陽気な宴は更けたのであった。

村上春樹の小説で、35歳の誕生日を迎えたある男の話があった。
事業に成功して妻にも愛人にも満足して何不自由ない暮らしを送っているのだが、35歳を人生の折り返し地点と決めている。
「俺は老いているのだ」などと呟いて、ビリー・ジョエルを聴いて泣いたりするのだ。
わたしは事業に成功してもいないし夫も愛人も持っていないし不自由だらけのびんぼう暮らしかもしれないが、ビリー・ジョエルで泣いたりしない。
なにかを達成していないぶん、まだこれからという気持ちで笑って暮らせているようだ。
愚者でけっこう。ジャスタパーフェクディキープミハンギングォン。
そんなわけでこれからもまたよろしゅうにお願いいたします。

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