トルネード偏愛、そして占い原体験。


最近、心ときめくものが二つばかりある。
寝ても覚めてもと言うが、ほんとにそんな感じに心をとらえられてしまった。
これって、恋かしらん。

ひとつは、もずくだ。
スーパーマーケットなどで、沖縄産生もずくや、黒酢もずく三連セットなどを見かけると、真実、どきんとして体が痺れたようになってしまう。
特に、ゆず果汁入り味付けもずくには弱い。
出会っただけで、この世に生まれてきた喜びをかみしめてしまうのだ。
冷えたもずくを手に取る幸せ。
購入し自宅に連れ帰るときの興奮。
食卓で顔を合わせたときの、涙の出るような感動。
づるづると啜りこむ至福。
づーるづるるる。

実は、この歳になって初めてもずくを口にしたのだ。
正確に言えば2004年5月20日。もずく記念日。
かかりつけの病院に薬を貰いに行き、待合室で「もずくを食べよう!」という特集の雑誌を読み、
そうですかそうですか、と帰りにマーケットで購入、食してみて以来。
グッと来てしまった。
毎日毎日食べている。止まらないのだ。
なんだか気味の悪いヤツだぜ、と思って、長年敬遠していたわたしが馬鹿者であった。
ああ、もっと早くこのヒトと出会っていれば。
めれめれした海草の姿を眺めて、切なくため息をつく日々。

て、だいじょうぶか自分。
いよいよ危ないなあ、と思っていたら、同じような食物フェチの人が、けっこう民間人に混じって普通に生活していることを知った。
たとえば、先日。菓子屋の店先で。
ヨウカンに釘付けになっている女子高生を目撃した。
友だちが彼女の体を揺すぶっている。
「ちょっとマキ! しっかりして!」
「ああ、マキちゃんは本当にヨウカンに夢中なんだから」
女子高生マキちゃんがヨウカンにハートをキャッチされたように、わたしももずくの虜だ。

もうひとつの恋の対象。
それは、竜巻だ。
昔から、うすうす気になってはいたのだ。
あの変な感じ。空からにょおおお、と雲が漏斗状に伸びて、ごんごん回りながら一帯を破壊しつくして行くなんて。
海上で、潮を巻き上げながらぶるんぶるん回っているのも格好いい。完全にドラゴン。あるいは巨大海蛇。
ふつうじゃないよな、竜巻。なんかすごいよな。
と、思っていたら。
ネットで出回っていたから、動画を見た方もいらっしゃるでありましょう、
あと、わたしはテレビを観ないのでわからないけれど、きっとニュースで放映していたことでしょう。
長野県で少年サッカー大会に、竜巻が乱入(正確にはつむじ風だったけれど)という出来事。
うわー、少林サッカーみたいだ、うわー、竜神が供物としての競技エネルギーを吸い取りに来たみたいだ、うわー。
と言いながら、何度もしつこく動画を再生していたところ、心の中は竜巻のイメージでいっぱいになってしまったのだ。

夢に出てきた。
最初は、家の中に避難していて、そこを竜巻が直撃して通り過ぎていく夢。
家屋が壊れたりせず、ただ激しい圧力が接近し、真空のような無音の気配が通り過ぎ、そしてごうごうと遠ざかる夢であった。

次の日。また夢に出てきた。
こんどはわたしは外にいる。竜巻、発生し、どんどんやってくる。直撃。
ガードレールにつかまってしのぐ。脚にぴしぴしかすり傷ができたが、てんで無事であった。

翌日。またしても夢に出てきた。
空の向こうに漏斗状の雲が垂れ下がり、竜巻となって、一目散にこちらへ向かってくる。
わたしは高台に立ってすでに待ち受けている。
竜巻、どんどん発生する。どしどしやってくる。
「来るなら来い!」とか言って、わたしは手すりにつかまって拳を突き出しているのだ。

竜巻の夢、三連発。そこで済めばべつに問題はなかったのだ。
以来、夢にはほぼ毎回、竜巻が出てくるようになった。
デフォルトで竜巻。必須アイテム。
夢を見ていて、その中で「空」を見てしまうともういけない。
お、くるぞくるぞ、と思っていると、あんのじょう積乱雲がむくむく急成長して、そこからうねうねと「竜巻のもと」が伸びてくる。
たちまちイキのいい反時計回りの回転体となり、瓦を巻き上げたり電柱をなぎ倒してびしびしスパークしたりしながら向かってくる。
もはや慣れっこになってしまった。
夢に竜巻が出てこないと、物足りなくて落ち込んでしまうぐらいだ。

と、いうようなことを書いていたら(6月27日現在)、佐賀で竜巻による被害が発生したそうで、うわータイムリーに不謹慎で申し訳ない。
災害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます……。
あー。
えーと。
やむない。
話題を変える。

「占い」というものを初めて意識したのはいつだっけな、と思い返してみた。
おそらく、幼稚園の年長さんか、小学一年生の時だ。

その頃まで、わたしは新宿区のマンションに住んでいた。
出身は新宿ですと! と驚かれることがよくあるが、なに、当時の新宿区上落合にゃモグラもムカデも出た。のどかな時代だ。

同じマンションにはいとこ連中もわらわら住んでいて、長屋の悪ガキみたいに群れ集まって、よく火葬場で遊んでいた。
なんで火葬場! と驚かれることがよくあるが、なに、マンションの向かいが火葬場だったのだ。広い敷地は、子供には遊び場だ。

で、いとこのお母さん、だから要するに叔母ですね、叔母たちやうちのハハが、当時ベストセラーになった占いの本を見てあれこれ言っていたのだ。
自分たち、家族、親類、友人知人、かた端から生年月日を当てはめては、運勢を調べるのに熱中していた。
ナニ占いだったか忘れたが、東洋占術系である。
わたしは見た目ボンヤリだが、耳は早いので叔母たちの会話を逐一聞いていた(やな子だ)。

「ねえねえ、かほ(年下のいとこ)の生年月日で調べてみたら、すごいのよ!」
「えっ、どんな運勢だったの?」
「『典型的な美人の相である』だって!」

なんですと。
そりゃ羨ましいですね。聞き捨てなりませんね。
わたしは、ちょろちょろと大人たちの間に割りこんで行き、叔母の服のすそを引っぱって訊ねた。

「ねえねえ、まみ(わたしの本名からついた愛称)は?」
「えっ? まみの何だって?」
「占い」
「あー、えーとねー、まみはねー……」

叔母は本を開き、読み上げた。

「『計算高い結婚をする』だって」

はあ?

「……それだけ?」
「うん」

『計算高い結婚をする』。
これが、占いの原体験。
どうなんだ、それって。
ちなみに、かほは本当に典型的な美人になったが、わたしのほうは、まるで計算のできない人生を送り、結婚すらしていない。
ええい、だからどうなんだ、それって。
がっでむ! (もずくを啜りながら竜巻に吹き飛ばされるわたくし)

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